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2006年7月29日 (土)

水だし麦茶はうまいか?

キーボードを叩いて作文をしていると、漢字が書けなくなってきます。簡単な漢字さえ手書きで書こうとすると「あれっ?」となってしまうことがしばしばです。「漢字力を鍛える」というゲームソフトがあれば欲しいです。

パソコンが普及したおかげで作文をする機会が多くなりました。しかし、よくよく考えてみると、まともな国語教育をうけてこなかったというか、まじめに国語を勉強してこなかったというか、日本語の基本的ルールについての認識がどうもあいまいです。「てにをは」の使い方とか、句読点の打ち方とか、指示代名詞や接続詞の使い方とか、どうもいい加減に処理してきたような気がします。要するに正しい文章を書くための日本語の基礎ができていないんですね。

うーむ、もう一度国語をきちんと勉強したくなってきました。こういう問題意識というのは、しゃべり言葉と書き言葉に区別のない人、つまり文章もしゃべり言葉のように書いてしまう人には関係ないのかもしれません。

話し言葉と書き言葉が著しく乖離してしまうと、明治時代の言文一致運動のようになんとかこの乖離を埋めようとする問題意識がうまれてきます。ところが、話し言葉のほうは時代とともに常に崩れていくので、一度乖離を埋めても、また新しい乖離がうまれてきます。話し言葉に引きずられるようにして書き言葉も崩れていくというのが避けることのできない言葉の宿命なのかもしれません。

「言葉」で面白いなあと思うのは、それが誤って使われたとしても、みんなが誤って使い続けていると、その誤った用法がやがては正しい用法として認知されてしまうことです。たとえば、昔なら、「全然ダメ」とはいっても「全然大丈夫」とは言わなかったと思います。「全然」の下には否定的表現がくるのが決まりでした。ところが、みんなが「全然大丈夫」とか「全然OK」とか言いだして、それが一般的に認知されてしまうと、こういう言い方もアリということで誤った表現ではなくなってしまいます。何が正しいかは、いかなる国語の権威よりも多数決が決めるというのが言葉のおもしろいところだと思います。「一所懸命」がいつのまにか「一生懸命」になってしまって、今では「一生懸命」のほうかよく使われるようになってしまいました。こうなってくると、本来の「一所懸命」のほうはどこか古臭いアナクロ的ニュアンスの言葉に感じられてくるから不思議です。

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