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2007年4月15日 (日)

吉川英治と井上靖

吉川英治の歴史小説はどんな激しい合戦を描いても、その根底には反戦思想が流れています。「新・平家物語」にしても「私本太平記」にしても、物語全体を通じて「人間とは何か」を問いかけてくるようなところがあります。吉川英治はいくさに勝つ武将よりも勝てるいくさでもそれを回避しようとする武将のほうを常にワンランク上に評価しようとする傾向があります。源義経しかり、楠木正成しかりです。

これに対して、井上靖の「風林火山」は、反戦思想のようなものとは無縁で、甘いヒューマニズムなどは微塵もありません。実にあっけらかんとしています。合戦はさながらゲームのように展開されます。勝っても負けてもそれまでのことです。いくさに対する疑問やいくさを根底で支えている民百姓の苦しみなどは一切出てきません。

以下は小説「風林火山」の内容について若干ネタばれが含まれます。

「風林火山」で一番印象に残ったのは、由布姫が他界した後、老将・山本勘助が茫然自失の態で原野をさ迷い歩くシーンです。大切な人を失って失意のどん底にある勘助の心境が実によく描かれていました。「風林火山」は群雄割拠の時代を背景とした「わがまま姫」と「姫に仕えた爺や」の物語であるともいえます。

それから、武田信玄の宿敵・上杉謙信については、描くことによってではなく描かないことによってその存在感が際立っていました。上杉謙信は出そうで出ないお化けのような存在として最後まで登場して来ません。最後の最後にチラッと登場しますが、乱戦の中、上杉謙信が武田信玄の本陣を突いて一騎打ちを挑むというあの川中島の有名なシーンの直前で「風林火山」は終わっています。ベールに包まれていた上杉謙信が姿を現すと同時に突然物語が終了するというこの演出はこころ憎いです(うーむ、まるで映画のようだ)。この終わり方には、「この物語の主役はあくまでも山本勘助である」というメッセージが込められているのかもしれません。

なお、NHKの大河ドラマ「風林火山」は井上靖の原作にいろいろ尾ひれをつけて膨らませてあるようです。先日たまたま再放送の第13回を見たら、やっと山本勘助が武田晴信(信玄)に仕官するところをやっていました。原作はここから始まるのですが、テレビでは第12回まで原作にはない山本勘助の青春時代(?)を延々とやっていたようです。

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