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2007年10月31日 (水)

夏目漱石の「こころ」を読む・その2

人間というのは、いわば自己正当化本能のようなものがあって、無意識のうちに自己を正当化しようとする心理が働くものです。過去を美化したり不都合なことは忘れてしまったりするのも自己正当化本能を想定すると納得がいきます。肯定的に考えれば、これがあるから人間は幸せに生きられるともいえます。ところが、「こころ」の先生は、この自己正当化本能がうまく機能しないタイプの人でした。頭脳明晰で神経が過敏なため誤魔化しがきかずに自分を正当化しようとしている自分にすぐ気がついてしまうのです。

人間には自己正当化本能とは別にモラルというものがあります。人間のモラルは環境や教育によって形成される後天的なものですが、このモラルが過度に肥大化してしまうと自己正当化本能に障害が起きてきます。残念なことに、「こころ」の先生はあまりにも真面目なモラリストでありすぎました。

人生というのはどこか適当でいい加減なところがないと辛いものです。「こころ」の先生も遺書を投函してから「やっぱり気が変わった」というぐらいのいい加減さがあればよかったです。

友人Kの死を無駄にしないためにも、先生は奥さんといっしょにKのお墓参りをして幸せな日々をKに報告しなくてはいけません。Kの分まで幸せになることがKに対するせめてもの償いです。自己正当化本能が正常に機能していれば時間の経過とともにそういう気になると思うのですが・・・「こころ」という小説はどうもいけません。

夏目漱石は深刻ぶった嫌味な作家です。軽妙洒脱の余裕派が聞いて呆れます。でも、小説はすこぶる面白いです。謎めいた伏線がいたるところに張り巡らされていて、読者を飽きさせません。推理小説のような醍醐味があります。純文学にしておくのはもったいないです。

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2007年10月30日 (火)

夏目漱石の「こころ」を読む・その1

明治時代の大学進学率はせいぜい1%程度でした。同学年の人口を100万人と考えれば、大学に進学できるのは全国でわずか1万人程度です。大学というところは一般庶民とは無縁の世界で、豪商、大地主、医者、軍人、役人などの裕福な家庭で育ったお坊ちゃん連中の溜り場だったといえます。

「こころ」という小説は、明治の末期、まだ大学生だった私が鎌倉の避暑地で先生と呼ぶことになる謎の人物と出会うところから始まります。今では「先生」というと、猫も杓子も先生だったりして多少軽蔑やからかいの意味が含まれていたりもしますが、「こころ」における「先生」は平成の現在とはかなり語感が違います。この言葉には崇拝に近い心の底からの尊敬の念が込められています。とても重い言葉です。

私の出会った先生はいわゆる高等遊民でした。高等遊民といのは、最高学府で教育を受けながらも仕事をしないでぶらぶらしている人のことです。当時は大学教育そのものがとんでもない贅沢でしたから、そういう贅沢ができる境遇で育った学生は卒業したからといって特に生活のために働く必要もなかったのだろうと思います。いわば、大学そのものが高等遊民を生み出す温床のようなものだったといえます。

「こころ」の先生は読書と思索に耽る思想家らしいのですが、自らの思想を世に問うことはしません。質素な家でひっそりと暮らしています。美人の奥さんがいます。子どもはいません。下女がひとりいます。贅沢をしなければ遊んでいても生活できる程度のお金はあるようです。

避暑地の鎌倉から東京に戻ってきた私は、先生に「又来ましたね」と呆れられてしまうほど頻繁に先生のお宅を訪問するようになります。ところが、いくら親しくなってもどういうわけか先生は決して自分の過去を語ろうとしません。なぜか過去の話を避けるのです。

このまま何も事件が起きなければ、この小説も単なる高等遊民の無為な生活を描いただけの小説に終わってしまいます。でも、「こころ」という小説は日本でもっとも愛されている小説だそうです。このまま終わるはずはありません。

「こころ」のメインテーマは先生の知られざる過去の物語です。やがて、過去に触れたがらなかった先生が遺書というかたちで渾身の激白をすることになります。激白の内容はあまりにも恐ろしいものです。その恐ろしさは実際にこの小説を読んで味わってもらうしかありません。下手な怪奇小説よりもよっぽど怖いです。

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2007年10月29日 (月)

「DS文学全集」はお買い得です

先日購入した「DS文学全集」ですが、なかなかいい感じになってきました。慣れてくるとページをめくるせわしさがひとつのリズムのようになってきて快適です(タッチペンを使わなくても親指でページがめくれます)。1ページの文字数が少ないため視野狭窄の感じは残りますが、慣れればそれほど気にならなくなります。今のところ、じっくり集中して読むというよりも、5分、10分という細切れの時間で、少し読んでは閉じ又少し読んでは閉じるといった感じの読み方をしています。いってみればチビダラ読みです。面白いのでクセになりそうです。

Wi-Fiコネクションが使えないのでまだ新作のダウンロードはできません。でもダウンロードして新作の小説も読んでみたくなってきました。任天堂の商売上手には参ります。残念ながら、絶対買うものかと思っていたコネクタを買わされることになりそうです。

携帯ゲーム機を使った読書というのは、新しい読書スタイルとして広く普及するようになるかもしれません。

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2007年10月28日 (日)

スーパーで富士宮やきそばが売られていた

偶然発見したのですが、B級グルメの祭典・「B-1グランプリ」で優勝した「静岡・富士宮やきそば」が近所のスーパーで売っていました。2食入りで希望本体価格は300円、販売者はシマダヤ株式会社です。早速買ってきて食べてみることにしました。

うむ。パサパサしたコシのある麺が特徴ですね。「おいしい召し上がり方」というのが紹介されていて、普通のやきそばのように豚肉とキャベツを加えるようになっています。特製焼そばソースのほかに肉天かすを入れたりだし粉(魚介パウダー)をふりかけたりもします。なんだかむりやりおいしくしようとしているような感じがします。

外包装袋に記されている説明の一部を紹介すると、

富士宮やきそばは大正から昭和にかけて駄菓子屋で始められ、手頃で美味しい食べ物として人々に好まれてきました。水分が少なく独特なコシのある蒸しめんをラードを絞った「肉かす」で炒め、野菜・果実のコクのあるソースを絡めて、仕上げにいわし・さばの風味よい「だし粉」をかけて完成するのが本場富士宮やきそばです。

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2007年10月26日 (金)

日経新聞の経済教室・経済事件と司法

25日の日経新聞29面の経済教室で郷原信郎・桐蔭横浜大学教授が経済事件における刑事罰の問題点を解説しています。結論としては、「経済分野での刑事罰による制裁機能を適正化する必要がある」ということのようです。これは最近の経済事件、つまり村上ファンド事件やライブドア事件における一審における刑事罰があまりにも恣意的で不適正であったことに対する問題提起だと思います。

ライブドア事件の一審判決について郷原教授は遠慮がちに、「一審判決のような起訴事実の過大評価は、この事件に関し検察が市場を混乱させてまで突然の強制捜査という手法を用いたことの是非という重要な問題から目をそらすことになりかねない」としています。ここは「なりかねない」ではなく「なった」と断定してしまってもいいのではないでしょうか。意地悪く解釈すれば、検察は強制捜査を正当化するために起訴事実としてありもしない巨悪をでっち上げたともいえます。

25日の経済教室は「上」となっていて、本日はその続きの「下」でした。担当者は清水剛・東京大学准教授です。「下」では、「法令違反に対する司法判断は形式性に依存しており、必ずしも反社会性を反映しているわけではない」として、制裁は形式違反よりも反社会性を重視すべきであるという主張がされています。

この清水准教授の主張は、真意がよく伝わらないというか、二重の意味でちょっと変です。まず、法令違反に対する司法の判断は決して形式性に依存していないと思います。形式性に依存していれば村上被告は無罪です。ホリエモンにも実刑判決が下ることはなかったと思います。前後関係を切り離して「制裁は形式違反よりも反社会性を重視すべき」という文言だけを取り出してきたら、多くの人はだから村上被告やホリエモンに実刑判決が下ったんだと勘違いしてしまうのではないでしょうか。

さらに、司法判断が反社会性を反映していないようにみえるとしたら、それは司法判断が反社会性を重視していないからではなくて、重視はしてはいるけどピントがズレているからだと思います。

日興コーディアルグループの粉飾決算が強制捜査もされず、したがって起訴もされなかったのはなぜでしょうか。ライブドアに比べて形式違反としての可能性が低かったからという説明では説得力がありません。形式違反としてのレベルの違いはたまたまそうだったというだけの話で、かりに日興コーディアルグループがライブドアと同レベルの法令違反を犯していたとしても、いきなりの強制捜査はありえなかったと思います。

日興コーディアルグループは東証1部上場の立派な会社、ライブドアは新興市場の怪しげな会社、司法がそういう思い込みで反社会性の判断をしているとしたら、刑事罰による制裁は形式違反に限定したほうがよほどマシだともいえます。少なくとも、限りなく白に近いインサイダー容疑やどこにでもありそうな期ズレや会計処理上の問題で関係者が逮捕・起訴されて実刑判決を受けるといったような恣意的で不適正な刑事罰は防止できたと思います。

なんだか長くなってしまって意味不明の内容になってしまいました。失礼や誤解もありそうです。詳しくは日経新聞の経済教室を直接読みましょう。

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2007年10月23日 (火)

「DS文学全集」・記念品、贈答品に最適か?

DS文学全集なるものを購入しました。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治などの名作が100点収録されている携帯ゲーム機用のソフトです。試しに夏目漱石の「こころ」を読んでみました。なにせ画面が小さいためページをめくるのがせわしないです。「しおり」というのがあってしおりを挟んでおくとそこから続きが読めます。ジャズ喫茶、ビーチなどのBGMも何種類か用意されていて、お好みのBGMが選べます。

慣れないせいか、まだ本を読んでいるという感じがしません。でも、気軽に100点の文学作品を持ち歩けるというのは、長旅の友にいいかもしれません。売れるかな?

こういう新製品は、最初は新しいもの好きがもの珍しさに買う程度かもしれませんが、そのうち本人が欲しくなくても入学祝いや卒業祝いなどのプレゼントとして大フィーバーするかもしれません。読まれるかどうかはともかくとして、贈る方の自己満足にはなりそうです。

    ゲームばかりやっとらんで本を読みなさい。

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2007年10月22日 (月)

偽装平和国家日本の試練・開き直り大作戦

インド洋で給油さえしていれば国際社会(=先進国社会)の一員として認めてもらえます。コストパフォーマンスを考えれば安いものです。給油された油がどう使われようといいじゃありませんか。日本は米国のコバンザメ国家です。世界のガキ大将・米国のご機嫌を損ねると大変なことになります。テロとの戦いなんてどうでもいいです。パキスタンがどうなろうと、イラクがどうなろうと知ったこっちゃありません。利害関係が錯綜した国際社会のなかで、思考を停止して何も考えずにいるためにはインド洋で給油を続けることが一番です。給油の継続こそが国際社会(=先進国社会)に波風を立てないための最良の方法です。これこそが日本の国益です。

自民党の本音はおそらくこんなところではないでしょうか。

テロ特措法に関して、嘘を誤魔化そうとして新たな嘘をつき、嘘の連鎖が始まって窮地に追い込まれているのが今の自民党だと思います。まごまごしているうちに防衛省・守屋前事務次官の接待疑惑まで飛び出してきました。

財政問題(≒増税問題)では自民党はすでに開き直り作戦に方針を転換したようです。この際、外交問題でも国際貢献などといわずにアメリカに追随することが国益であると明言してしまってはどうでしょうか。

豊かな国の豊かさというのは力で奪い、力で守るものです。それがイヤなら、偽装平和国家日本のようにズルをするしかありません。芋の根っこをかじっても清く貧しく美しくというのもひとつの選択でしょうが、大多数の国民は貧しさを覚悟してまで清廉な国家を望んではいません。

 軍事同盟・日米安全保障条約は政権が交代しても破棄できない

この現実を直視すれば、自民党は本音を吐露したほうが国民の理解を得られるような気がします。もう遅いか?

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2007年10月20日 (土)

「おもひでぽろぽろ」・ロリコン超大作?

スタジオジブリのアニメ作品はテレビでけっこう観ています。よくやるので中には2度3度と観たのもあります。あまり好きになれない作品もありましたが、今回放映された「おもひでぽろぽろ」はよかったです。個人的には一番気に入ってしまいました。

主人公の小学5年生のころの思い出が不都合な部分も含めて(つまり都合よく美化されないで)かなりリアルに描かれています。

都会のOLと田舎の好青年の出会いというのはよくある話ですが、27歳の主人公が自分探しの旅に出かけるという設定は過去を回想するための触媒のようなもので、この作品の本当の肝はきれぎれの回想シーンにあると思います。それにしても現在の感覚からするとあの27歳はちょっと老けているのではなかろうか?

子どもというのは優しさと残酷さと素直さとわがままがごちゃまぜになっています。まさに天使と悪魔の同居です。そんな子どもの心象風景をひとつひとつ取り出してきて見せられると、まるで自分の過去が暴かれているようなヤバイ気分になってきます。懐かしさもさることながら、どこかほろ苦く面目ないという感じがしてきて、まさに「おもひでぽろぽろ」です。まったく同じではないにしても、ひとつひとつのエピソードに必ずそれと酷似した想い出があります。恥ずかしきことの数々が怒涛のように蘇ってきて参ってしまいました(遠い昔にすでに監視カメラがあって、ひそかに監視されていたような気分)。

バックで流れていた当時の流行歌もだいたいわかりました。中でも「ひょっこりひょうたん島」の挿入歌が大活躍でした。

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2007年10月17日 (水)

テロとの戦いVSテロとの戦い

クルド人というと、フセイン政権下で迫害を受けていたイラク北部の少数民族という程度の知識しかありませんでしたが、なんでもトルコ議会がイラク北部のクルド人抵抗勢力を鎮圧するために越境攻撃を承認するようです。越境攻撃ということは、トルコ軍が国境を越えてイラク領内に侵攻するのでしょうかね。

トルコ議会、イラク北部への越境攻撃を承認の見通し
10月17日12時41分配信 ロイター

[アンカラ 17日 ロイター] トルコ議会は17日、国際圧力を無視する形で、イラク北部のクルド人抵抗勢力を鎮圧するため軍による越境攻撃を承認する見通し。
 承認されれば攻撃に法的根拠が与えられ、軍は事実上、適切と判断された場合は自由に攻撃することが可能となる。
 トルコの法律では、議会は軍の海外展開を承認しなければならない。このため議会は、エルドアン内閣の要請を受けて公開討論を行った後、圧倒的多数で攻撃を承認するとみられている。
 エルドアン首相は16日、自ら率いる与党の公正発展党(AKP)に対し「承認が即攻撃を意味するわけではないが、正しい時期、正しい状況と判断されればわれわれは行動する。これは自衛の問題だ」と述べた。演説はテレビ放映された。
 クルド人抵抗勢力がトルコ軍に対する攻撃を繰り返していることから、エルドアン首相は、イラク北部のクルド労働者党(PKK)拠点を攻撃するよう、世論の圧力を受けている。

クルド人についての基礎知識

1.人口2500万~3000万人。独自の国家を持たない世界最大の民族。
2.トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに少数民族として生活。
3.宗教はイスラム教スンニ派。
4.現在のイラク大統領はクルド人(ただし、イラク内では少数派)。
5.イラク北部を拠点にクルド人の独立を目指す武装組織がある→クルド労働者党
6.クルド労働者党がトルコ北部で活発なテロ活動をしている。
7.日本政府はトルコ政府と友好的でクルド人には冷たい。

「テロとの戦い」を理由にトルコ軍がイラクに侵攻したら、同じ「テロとの戦い」を標榜しているアメリカはどうするのでしょうかね。

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2007年10月16日 (火)

「戯作三昧」(芥川龍之介・新潮文庫)

日経新聞の「戯作の時代①―南総里見八犬伝」の解説に次のようなくだりがありました。

芥川龍之介は馬琴を主人公とする小説「戯作三昧」の中で登場人物の1人にこう語らせた。馬琴の小説は「四書五経の講釈だけでせう。だから又当世の事は、とんとご存じなしさ」。八犬伝は水滸伝の焼き直し、山東京伝の二番せんじだとも言っている。

これだけを読むと登場人物の言葉を通して芥川龍之介が馬琴を批判しているかのように受け取れます。ちょっと気になったので実際に「戯作三昧」を読んでみました(短編なのですぐ読める)。

芥川の「戯作三昧」は馬琴に自己の心情を仮託していて、馬琴に対しては批判的どころかむしろ共感をもって描いています。読み方によっては、「戯作三昧」の馬琴は芥川龍之介自身であるともいえます。時代背景を大正時代にして、主人公を馬琴ではなく「私」にしたとしてもほとんど違和感がありません。

「戯作の時代」における宝玉正彦氏の引用に間違いはありませんが、誤解を招きやすいです。引用されているのは風呂屋で馬琴がふと耳にしてしまった無知な大衆の戯言です。芥川の「戯作三昧」はこうした世間の無理解に対する反論として書かれています。戯作文学を「過去の遺物」として軽んじるような風潮に創作者の立場から強く異議を唱えたのが「戯作三昧」という小説だと思います。

小説「戯作三昧」の主題を要約すると、

 「創作活動の何たるかも解らずに生意気なことをほざく阿呆もいる」

こんなところだろうと思います。古典・故事に独自の解釈を与えて物語を展開した芥川龍之介の小説手法は戯作文学への先祖がえりのようなところがあります。できれば江戸戯作文学の隠れ礼賛者として紹介して欲しかったです。

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2007年10月15日 (月)

江戸時代最大のベストセラー小説は何か?

日経新聞というと無味乾燥な経済新聞のようなイメージがありますが、実際はそうでもありません。文化面や経済と関係のないコラムなどが充実していてなかなか面白いです。各界の著名人が若き日の悪事や過ちや自慢話を披露する半生の自叙伝「私の履歴書」にも、小松左京や水木しげるなどが登場したりします。「私の履歴書」はひとり一ヶ月間の連載なので読み応えがあります。ただし、人物が変わっても文体が一定しているので文章そのものは本人が書いているわけではないと思います。

最近、楽しみにしているのは日曜日の[美の美」というシリーズです。今は「戯作の時代」というタイトルで江戸時代の戯作にまつわる極彩色の錦絵が解説文とともに紹介されています。

極彩色の錦絵を見ていると、かつて(1960年代後半)世界的に流行したサイケデリック・アートを連想します。あのサイケデリック・アートも所詮は錦絵の二番せんじだったのではないかという気がします。ゴッホが浮世絵を熱心に模写していたことはあまりにも有名ですが、錦絵を見ていると確かに狂気と紙一重の色彩感覚が漂っています。日常的な風景でもなぜか幻想的です。

この「戯作の時代」ですが、第1回で滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」がとりあげられていました。何となく知っていて、でも実際に原作を読んだ人は少ないというのがこの「南総里見八犬伝」だと思います。

「南総里見八犬伝」は坪内逍遥に罵倒され、文学史的には著しく低い評価しか与えられていないそうです。「戯作の時代」の解説文を書いている宝玉正彦氏は、文学史上の評価に一定の理解を示しつつも、「南総里見八犬伝」は浮世の辛酸をなめた戯作者・滝沢馬琴が歴史の姿を借りて理想(の世界観)を表した作品であると指摘しています。

「戯作の世界では焼き直し二番せんじも日常茶飯事であり、強力な小説作法である」(宝玉正彦)とすれば、そのこと自体を非難するのは的外れです。問われるべきはその小説作法によってなにをなしたかです。

小説というのは読まれて何ぼの世界ですから、大家がいかに非難しようと、200年の時を超えて平成の今日にまで及んでいる「南総里見八犬伝」の影響力と生命力は無視でないものがあります。かつては「旧時代の遺物」という烙印を押された「南総里見八犬伝」ですが、ちょっと視点を変えてみると、「馬琴を目の敵にした近代の文学(≒純文学)は八犬伝を超えられたかという疑問」(宝玉正彦)も沸いてこようというものです。

「戯作の時代」は絵画を紹介するシリーズですが、解説の名文に誘われてなぜか小説のほうも読んでみたくなってきます。ちなみに、江戸時代最大のベストセラーは柳亭種彦の「偐紫田舎源氏」だそうです。

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2007年10月13日 (土)

政治資金規正法はザル法か?

政治資金規正法は違反したときの罰則規定を厳しくしておかないといかんと思います。違反が発覚したときに、「知りませんでした」「ミスです」「訂正します」が通用すれば、領収書の添付を1円以上にしたところで意味ないです。結局はザル法になるのではないでしょうかね。

一連の騒動で気に入らないのは、弱いものいじめのようなマスコミの態度です。政治資金でマンションを購入するなんていうのは、家賃を取るとか取らないとか以前の問題で明らかに違反です。「知りませんでした」も「ミスです」も通用しません。ところが、相手が小沢一郎だとマスコミもあまり厳しくは追求しません。相手が弱いと嵩にかかって正義ヅラをするのになぜか腰砕け状態です。なにを恐れているのでしょうかね。

政治資金問題で追求されて閣僚を辞任させられた自民党の議員は、

  「ふざけるんじゃねえ。いい加減にしろ!!!」

と、マスコミに対して抗議する権利があると思います。

「変わりやすいのは、男心と秋の空、それとお上の御政事」とは荷風先生の言葉ですが、これに「マスコミの報道態度」も付け加えたいです。

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2007年10月 9日 (火)

人生とは言い訳を探す旅である?

日曜日の日経新聞に安岡崇志の「言い訳が良い訳」と題した含蓄のあるコラムがありました。原稿が遅れた文士の言い訳の数々からはじまって言い訳の効用が力説されています。短いコラムだし面白かったので全文引用したいところですがそうもいきません。

 ♪坂田三吉 端歩もついた
   銀が泣いてる 勝負師気質~      

と、歌にもうたわれた将棋の坂田三吉ですが、一手損するとわかっていながらなぜ無意味な端歩突きをしたのか、それは負けたときの言い訳のためだったというのが内藤国雄九段の解釈だそうです。坂田三吉の「謎の端歩突き」は、負けたときの言い訳のために稀代の勝負師が考えた究極の一手だったのかもしれません。

「言い訳は人を人格崩壊から守り幸福へ導いてくれる、生き方の技らしい」というのがこのコラムの結論ですが、言い訳の得意な人ほど幸福な人生を送れるというのは確かなようです。うまく言い訳ができない人は、人生における節目節目で自分の決断や行動について常に後悔と自責の念に苛まれることになります。

  言い訳力 + 鈍感力 + 忘却力

人生においてこの3つを兼ね備えている人は幸福になるために生れてきたようなものです。何が起きても人生はバラ色です。

このコラム自体が言い訳のためのコラムではないかと考えるとなかなか奥が深いです。

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2007年10月 8日 (月)

社名は単なる識別記号か

人に名前があるように、会社には社名というものがあります。この社名にも流行があるようで、最近はアルファベットを3文字並べただけの無味乾燥な社名がやたらと増えてきました。上場企業だけでもアルファベット3文字だけの社名は相当あります。数えたことはありませんが、おそらく100社近くあるのではないでしょうか。

昔からあるNTTとかNECとかTDKとかは、アルファベット3文字でもそれなりにオーラがあってブランドイメージが漂っています。しかし、新興市場に氾濫しているアルファベット3文字の会社は何だかわけがわかりません。とりあえずアルファベットを3文字並べておけばグループ企業の親分みたいで大企業っぽく見えるとでも思っているのでしょうか。

総務省の統計によると、日本の企業数は約153万社で、資本金1億円以上の企業に限っても約2万8000社あります(平成16年現在)。

ところが、アルファベット26文字から3文字を取り出してきて並べる並べ方は、重複を許しても17576(26×26×26)通りしかありません。アルファベット3文字を社名とする企業がこのまま増えていくと、そのうち空きがなくなってしまいそうです。究極の社名として、コード番号をそのまま社名にして5401株式会社なんてことになるかもしれません。

社名というのは会社の顔でもあります。新興企業のオーナー経営者はせめて自分の子どもの名前を考えるぐらいの熱心さで社名を考えてもいいのではないでしょうか。

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2007年10月 6日 (土)

ゴールデンタイムに「おネエ軍団」が進出

小学生の頃、おネエ言葉をしゃべるクラスメートがいました。もちろん男子です。ナヨナヨしていてしぐさも女っぽく、自分のことを「あたし」というし「ダメよ」とか「違うわよ」とかいうのが口癖でした。「変な奴だなあ」と思いつつも、こいつはこういう奴なんだということで何となく納得していました。小学生のころはまだこういう趣味の人がいるんだということを知りませんでした。

それから20代のころ喫茶店で働いていたときの先輩がやはりおネエ系でした。お客に対しては敬語を使うので気づかれませんが、日常会話では「やーね」とか「そうかしら」とかおネエ言葉をしゃべります。最初は冗談かと思っていましたが、そうではなくて日常的にそういう人でした。このとき、「そういえば小学校のときも似た奴がいたなあ」と思い出したものです。

おネエ系の人っていうのは人には言えない苦労や悩みもあるんだろうと思いますが、外見的にはケセラセラで人生を楽しんでいるといった印象が強いです。楽天的な人が多いのではないでしょうか。見ているだけで何だかこっちまで嬉しくなってくるところがあります。

あのKABA.ちゃんがどこかで言っていましたが、同じ趣味の人というのは以心伝心でわかるそうです。たとえば、道を歩いていても男と視線が合うことはめったにないのに、新宿2丁目に行くと男と視線がバチバチ合うようになるとか。視線が合った瞬間、何となくお互いに同じ趣味であることが了解できるんだそうです。

スポーツ報知によると、日テレ系「おネエ★MANS」(土曜・後5時半)が、全国ネットのゴールデンタイム(10月23日スタート、火曜・後7時)に進出するそうです。「どんだけー」のIKKOさんの言うことには、「全国の方に“おネエMANS”の存在をわかっていただけるのがうれしい。若者からお年寄りまで勇気を与えられたら」とのこと。

世の中にはいろんな人がいるものです。

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2007年10月 4日 (木)

金融商品取引法に山ほど苦情

10月3日17時2分配信 時事通信

 渡辺喜美金融担当相は3日の金融審議会の席上、先月末の金融商品取引法の施行で「山のような苦情メールが届いた」と述べた。同法は投資家保護のため金融機関に詳細なリスク説明を義務付けており、その結果、渡辺金融相に「売るのも買うのも面倒な法だ」などの苦情が殺到したという。

投資家保護のためといえば聞こえはいいですが、法律を作成した役人が本気でそんなことを考えているとは思えません。この金融商品取引法の狙いはズバリ、国民に国債を買わせるための法律だと思います(金融審議会がどんな答申をしても、法律を作成する過程で答申の趣旨が都合よく捻じ曲げられてしまう)。

 金融商品取引法 = 国債を買いましょう売りましょう法

こう考えておけば当たらずといえども遠からずだと思います。貯蓄から投資への流れはとめられないとしても、国民の投資先はなるべく国債にして欲しいというのが財務省・金融庁の本音ではないでしょうか。

さらに、当局は郵政民営化についても抜かりなく手を打っています。10月1日から郵政が民営化されましたが、これによって新たにスタートした「ゆうちょ銀行」や「かんぽ生命」は自由な資金運用ができるようになったかというと、そういうわけでもなく、既存の郵貯や簡保の資金については国債に縛りつけておくための法律があるようです(郵便貯金・簡易生命保険管理機構法)。

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2007年10月 1日 (月)

年間上昇率ナンバーワン銘柄を追う・その9

9月末までの上昇率ベスト10です。

    コード   上昇率(%)  銘柄     
 1. 6378  388.70   木村化  
 2. 9132  289.90   第一中汽
 3. 9113  268.46   乾汽船  
 4. 9115  164.45   明治海  
 5. 6755  162.60   富士通ゼ 猛暑関連・エアコン絶好調
 6. 9123  156.21   太平海  
 7. 9110  152.22   新和海  
 8. 6222  129.48   島精機  
 9. 4997  120.94   日農薬  
10. 7999  119.79   MUTOHH

波乱の株式相場も9月はやや落ち着きましたが、8月のひどかったことといったら目も当てられません。損益を計算する気力も失せてしまった人も多かったのではないでしょうか(自分のことを人ごとのように言う)。

9月30日の日経新聞に、世界主要20市場の1-9月騰落率というのが載っていました。

    騰落率(%)
 1.  104.5  中国
 2.   35.6  韓国
 3.   33.6  香港
 4.   33.2  ブラジル
 5.   24.0  インド
 6.   22.0  シンガポール
 7.   19.6  台湾
 8.   19.3  南アフリカ
 9.   17.7  ドイツ
10.   15.8  オーストラリア
11.   11.4  米国
12.    9.1  カナダ
13.    8.0  オランダ
14.    4.9  スウェーデン
15.    2.5  英国
16.    1.7  フランス
17.    1.5  スペイン
18.    0.1  スイス
19.   ▲3.3  日本
20.   ▲5.1  イタリア

潜在的な財政問題を抱えている日本とイタリアがともにマイナスだったというのが象徴的です。何か不吉な将来を暗示しています。国際貢献もいいけれど、無料サービスのガソリンスタンドをやっている場合ではないと思うのですが・・・。

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