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2007年10月30日 (火)

夏目漱石の「こころ」を読む・その1

明治時代の大学進学率はせいぜい1%程度でした。同学年の人口を100万人と考えれば、大学に進学できるのは全国でわずか1万人程度です。大学というところは一般庶民とは無縁の世界で、豪商、大地主、医者、軍人、役人などの裕福な家庭で育ったお坊ちゃん連中の溜り場だったといえます。

「こころ」という小説は、明治の末期、まだ大学生だった私が鎌倉の避暑地で先生と呼ぶことになる謎の人物と出会うところから始まります。今では「先生」というと、猫も杓子も先生だったりして多少軽蔑やからかいの意味が含まれていたりもしますが、「こころ」における「先生」は平成の現在とはかなり語感が違います。この言葉には崇拝に近い心の底からの尊敬の念が込められています。とても重い言葉です。

私の出会った先生はいわゆる高等遊民でした。高等遊民といのは、最高学府で教育を受けながらも仕事をしないでぶらぶらしている人のことです。当時は大学教育そのものがとんでもない贅沢でしたから、そういう贅沢ができる境遇で育った学生は卒業したからといって特に生活のために働く必要もなかったのだろうと思います。いわば、大学そのものが高等遊民を生み出す温床のようなものだったといえます。

「こころ」の先生は読書と思索に耽る思想家らしいのですが、自らの思想を世に問うことはしません。質素な家でひっそりと暮らしています。美人の奥さんがいます。子どもはいません。下女がひとりいます。贅沢をしなければ遊んでいても生活できる程度のお金はあるようです。

避暑地の鎌倉から東京に戻ってきた私は、先生に「又来ましたね」と呆れられてしまうほど頻繁に先生のお宅を訪問するようになります。ところが、いくら親しくなってもどういうわけか先生は決して自分の過去を語ろうとしません。なぜか過去の話を避けるのです。

このまま何も事件が起きなければ、この小説も単なる高等遊民の無為な生活を描いただけの小説に終わってしまいます。でも、「こころ」という小説は日本でもっとも愛されている小説だそうです。このまま終わるはずはありません。

「こころ」のメインテーマは先生の知られざる過去の物語です。やがて、過去に触れたがらなかった先生が遺書というかたちで渾身の激白をすることになります。激白の内容はあまりにも恐ろしいものです。その恐ろしさは実際にこの小説を読んで味わってもらうしかありません。下手な怪奇小説よりもよっぽど怖いです。

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