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2007年10月26日 (金)

日経新聞の経済教室・経済事件と司法

25日の日経新聞29面の経済教室で郷原信郎・桐蔭横浜大学教授が経済事件における刑事罰の問題点を解説しています。結論としては、「経済分野での刑事罰による制裁機能を適正化する必要がある」ということのようです。これは最近の経済事件、つまり村上ファンド事件やライブドア事件における一審における刑事罰があまりにも恣意的で不適正であったことに対する問題提起だと思います。

ライブドア事件の一審判決について郷原教授は遠慮がちに、「一審判決のような起訴事実の過大評価は、この事件に関し検察が市場を混乱させてまで突然の強制捜査という手法を用いたことの是非という重要な問題から目をそらすことになりかねない」としています。ここは「なりかねない」ではなく「なった」と断定してしまってもいいのではないでしょうか。意地悪く解釈すれば、検察は強制捜査を正当化するために起訴事実としてありもしない巨悪をでっち上げたともいえます。

25日の経済教室は「上」となっていて、本日はその続きの「下」でした。担当者は清水剛・東京大学准教授です。「下」では、「法令違反に対する司法判断は形式性に依存しており、必ずしも反社会性を反映しているわけではない」として、制裁は形式違反よりも反社会性を重視すべきであるという主張がされています。

この清水准教授の主張は、真意がよく伝わらないというか、二重の意味でちょっと変です。まず、法令違反に対する司法の判断は決して形式性に依存していないと思います。形式性に依存していれば村上被告は無罪です。ホリエモンにも実刑判決が下ることはなかったと思います。前後関係を切り離して「制裁は形式違反よりも反社会性を重視すべき」という文言だけを取り出してきたら、多くの人はだから村上被告やホリエモンに実刑判決が下ったんだと勘違いしてしまうのではないでしょうか。

さらに、司法判断が反社会性を反映していないようにみえるとしたら、それは司法判断が反社会性を重視していないからではなくて、重視はしてはいるけどピントがズレているからだと思います。

日興コーディアルグループの粉飾決算が強制捜査もされず、したがって起訴もされなかったのはなぜでしょうか。ライブドアに比べて形式違反としての可能性が低かったからという説明では説得力がありません。形式違反としてのレベルの違いはたまたまそうだったというだけの話で、かりに日興コーディアルグループがライブドアと同レベルの法令違反を犯していたとしても、いきなりの強制捜査はありえなかったと思います。

日興コーディアルグループは東証1部上場の立派な会社、ライブドアは新興市場の怪しげな会社、司法がそういう思い込みで反社会性の判断をしているとしたら、刑事罰による制裁は形式違反に限定したほうがよほどマシだともいえます。少なくとも、限りなく白に近いインサイダー容疑やどこにでもありそうな期ズレや会計処理上の問題で関係者が逮捕・起訴されて実刑判決を受けるといったような恣意的で不適正な刑事罰は防止できたと思います。

なんだか長くなってしまって意味不明の内容になってしまいました。失礼や誤解もありそうです。詳しくは日経新聞の経済教室を直接読みましょう。

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