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2007年12月14日 (金)

幸田露伴の「五重塔」を読む

このところ精力的に「DS文学全集」を読んでいます。「おススメ」にしたがってランダムに一作一作気合を入れて読んでいます。子供のころあまり本を読まなかったのでほとんど読んだことのない作品ばかりですがけっこう面白いです。個人的な隠れた名作に遭遇することもしばしばです。

すでに3分の1を読破しましたが、26作目に読んだのが幸田露伴の「五重塔」でした。タイトルは知っていても実際に読んだことのある人はほとんどいないと思われる明治20年代の作品です。日本の近代文学に夏目漱石が登場する以前は紅露時代と呼ばれていて、尾崎紅葉と幸田露伴の黄金時代だったそうです。その紅露時代の一翼を担った幸田露伴の代表作が「五重塔」です。

この小説は、いわゆる芸術至上主義がテーマになっていて、天才肌の大工職人のっそり十兵衛が谷中感応寺の五重塔建立という偉業に職人魂を捧げた物語です。五重塔が完成して落成式の日取りも決まったその夜、未曾有の大暴風雨がやってくるというドラマチックな筋書きになっています。

十兵衛は大工の腕は確かなのですが、処世の知恵が不足していて、同じ大工仲間からは「のっそり」というあだ名をつけられて馬鹿にされていました。現代的な感覚からすると、この十兵衛というキャラクターは嫌な奴だという印象を受けると思います。協調性がなく頑固でひとりよがりです。周囲の人たちが理非をわきまえた心優しい善人ばかりなため、十兵衛のわがままだけが突出して目立ちます。すでに内定していた人事を上人様に直談判してひっくり返したり、恩義のある親方の親切を撥ねつけたり、礼節もマナーもない傍若無人の振る舞いに不快感さえ感じます。この小説を素直に感動物語として読むことができる現代の読者は少ないのではないでしょうか。今どきの物語であれば、読者が十兵衛に同情したくなるようなそれなりの悪役とか敵役とかというのが出てくるものです。しかし、「五重塔」にはそういった悪人がいっさい登場しません(悪人を強いてあげれるとすればそれは主人公の十兵衛です)。明治時代の読者がのっそり十兵衛の生き様をどう受け止めていたのか・・・謎です。

芸術至上主義というのは時代を超えた永遠のテーマだと思いますが、「芸術至上主義」をどういう物語として提示するかは時代によって大きく違っているようです。同じ芸術至上主義をテーマにした小説でも幸田露伴の「五重塔」(明治24年)と芥川龍之介の「地獄変」(大正7年)とでは物語の結末が天と地ほども違っています。

岩波文庫版の「五重塔」の解説で文芸評論家の桶谷秀昭は次のように述べています。

日本の近代小説は、「五重塔」において露伴が創造した人間性の極限をめざす人間像をつくらなかった。人間の崇高な理想の動機に卑小なエゴイズムを摘出する分析力に冴えは示したが、卑小な衝動と崇高な理想の落差に架橋する造型方法を見いだすことはできなかったのである。

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