« 泉鏡花の「婦系図」を読む | トップページ | 夏目漱石の「坊ちゃん」を読む »

2008年1月12日 (土)

有島武郎の「或る女」を読む。

有島武郎の小説を初めて読むとネチネチした文章がカンに障ります。それでも我慢して読み続けていると、いつのまにか有島ワールドにハマってしまいます。小説というのは少し読んでつまらないと思ってもブン投げずに我慢して読み続けることも大切だと思います。途中から俄然面白くなってくることがあります。

有島武郎の小説でも「生れ出づる悩み」を読んだときは「くだらん」と思ったのですが、「或る女」はいいです。自分らしく生きようとして、何が自分らしいのかわからなくて、結局は肉欲に溺れて滅びていった「新しい女」の物語です。でも、ポルノ小説ではありません(残念?)。

「或る女」のヒロイン早月葉子は、ちょうど夏目漱石の「三四郎」に出てくる里見美禰子をさらに過激にしたような美女です。「三四郎」の里見美禰子はあくまでも常識の範囲内で男心を翻弄しますが、「或る女」の早月葉子はその美貌を武器に「常識なんてくそくらえ」とばかりに男を狂わせて暴走します。自由奔放な生き方に俗世間から道徳的な非難を浴びせられれても、道徳の背後に潜む偽善を鋭く見抜いていて、むしろ俗世間の非難に快感を感じるような反道徳的女です。よく言えば情熱的、悪く言えば淫乱です。

夏目漱石の「三四郎」を読み、近松秋江の「狂乱」を読み、徳田秋声の「あらくれ」を読んで、しかる後に有島武郎の「或る女」を読むと、「或る女」という小説が桁外れの傑作であるということが実感できます。

「或る女」は前編と後編に別れていますが、大正8年に発表された後編には夏目漱石の「明暗」などの影響が色濃く感じられます。しかし、前編にあたる「或る女のグリンプス」は明治44年から大正2年にかけて発表されています。あくまでも個人的感想ですが、夏目漱石が衒学趣味的な愚作や勧善懲悪的な駄作を脱却して人間のエゴイズムと本格的に格闘する大作家に大化けしたのは、ひょっとすると有島武郎の存在が影響していたかもしれません。実際そうではなくても、そう思わせるくらい「或る女」という小説には存在感があります。

ネットで調べたところ、有島武郎が漱石の門下生などが集まる木曜会のメンバーであったことは確認できました。しかし、漱石と武郎にどの程度の交流があったのか、またお互いがお互いをどのように評価していたのかはよくわかりませんでした。

「或る女」のヒロイン早月葉子には佐々城信子(国木田独歩の離婚した元妻)という実在のモデルがいたそうです。作中に登場する木部や古藤もそれぞれ国木田独歩と有島武郎がモデルなんだそうです。でも、そんなことは100年後にこの小説を読む読者にとってはどうでもいいことです。「或る女」を読んでいると、妄想と現実の狭間で身も心もボロボロになっていく早月葉子に有島武郎が憑依しているのではないかという印象を受けます。あと一歩で発狂するか自殺するかしかないという瀬戸際の心理描写には鬼気迫るものがあります。早月葉子はまさに作者自身の凄惨な自画像です。「早月葉子はおれ自身だ!」という悲痛な叫びが聞こえてくるようです。

「或る女」は間違いなく近代文学における屈指の名作です。こんな名作がほとんど読まれることがないというのはまことに残念です。未読の人には是非おススメです。日本の純文学も捨てたものではありません(ただし好き嫌いはあるかもしれない)。

|

« 泉鏡花の「婦系図」を読む | トップページ | 夏目漱石の「坊ちゃん」を読む »

コメント

こんばんは。
ちょうど今「或る女」を読み終えて、あまりにも引き込まれてしまったので、ちょっとその物語が描かれた背景とか、知りたいなぁと思って調べてたいたら、偶然にもこちらに実在したモデルがいると書いてあったので、ビックリしました。
夏目漱石が好きですが、漱石の心理描写にはないえぐさというか、もっと真に迫るものがありました。あの心理描写のすさまじさは最近読んだことのない衝撃を与えてくれました。
それがゆえに、頭の芯がぼーっとしてますが、女性としてはわからんでもない気持ちが多いだけに、1年足らずであそこまで堕ちていく人生を見ると、自分もどこでああなるかわからないという恐ろしさを感じます・・・・。

投稿: かおり | 2010年9月21日 (火) 20時32分

かおりさん、コメントありがとうございます。

「或る女」はDS文学全集で読んだのですが、有島武郎の魂の叫び声が聞こえてくるような小説だったと思います。その後の人妻との心中を予見させます。
 
夏目漱石の作品では「明暗」が一番好きです。「明暗」は漱石が高みから客観的に登場人物を操っているようでかっこいいです(これぞまさしく則天去私)。「明暗」には倫理的な臭味がないのも気に入っています(未完だからかな?)。
 
あと近代文学の掘り出し物としては、宮本百合子の「伸子」も面白いですよ。

投稿: むぎ | 2010年9月21日 (火) 23時19分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/122218/9839172

この記事へのトラックバック一覧です: 有島武郎の「或る女」を読む。:

« 泉鏡花の「婦系図」を読む | トップページ | 夏目漱石の「坊ちゃん」を読む »