« 福沢諭吉の「学問のすすめ」を読む・その3 | トップページ | 尾崎紅葉の「金色夜叉」を読む・その2 »

2008年3月 2日 (日)

尾崎紅葉の「金色夜叉」を読む・その1

主人公の間貫一(はざまかんいち)は早くに両親を亡くした孤児でしたが、貫一の亡き父を恩人と仰ぐ鴫沢隆三(しぎさわりゅうぞう)の家に身を寄せて気楽な学生生活を送っていました。

鴫沢家には宮という美しいひとり娘がいました。鴫沢夫妻は勉強家で品行方正だった貫一をこのひとり娘の婿として迎えたいと考えていました。貫一も宮を心から愛していました。宮との結婚話は願ったり叶ったりです。友人からも祝福され人生順風満帆の貫一は有頂天でした。

彼は夫婦に増したる喜びを擁(いだ)きて、ますます学問を励みたり

ところが、貫一と平凡な結婚をするには宮という娘はあまりにも美し過ぎました。宮も貫一に好意を抱いてはいましたが、結婚についてはそれほど強く望んでいたわけではありませんでした。

宮も貫一をば憎からず思えり。されど恐らくは貫一の思える半には過ぎざらん。……才だにあらば男立身は思いのままなる如く、女は色をもて富貴を得べしと信じたり。なお彼(宮)は色を以って富貴を得たる人たちの若干(そくばく)を見たりしに、その容(かたち)の己に如(し)かざるものの多きを見出せり。剰(あまつさ)へ彼(宮)は行く所にその美しさを唱われざるはあらざりき。

やがて貫一に悲劇が訪れます。宮を見そめた資産家の息子が現れて、その求婚を宮が受け入れてしまうのです。許婚(いいなずけ)であった宮を奪われることは、貫一にとっておそらく経験したことのない屈辱だったろうと思います。この失恋は打たれ弱い優等生には厳しすぎる試練でした。あくまでも自分が正しいと信じて疑わない貫一には、宮の幸せを願う心のゆとりなどはありません。

そこで、あの熱海の海岸のクライマックスシーンになるわけです。熱海の海岸には、許しを乞うお宮を貫一が蹴り飛ばしている銅像が建てられているそうです。驚いたものです。文学碑ではなく銅像というのがすごいです(熱海という地名が全国的に有名になったのも「金色夜叉」の影響だとか)。

「吁(ああ)、宮さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言うのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇ったらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いていると思ってくれ。」

「金色夜叉」にはこういう長セリフがやたらと出てきます。お宮の「裏切り」に自暴自棄となった貫一は、お宮と別れてそのまま失踪してしまいます。

4年後に姿を現したとき、貫一は冷酷非道な高利貸の手代になっていました。借り手の弱みに付け込んだ情け容赦のないその仕事ぶりは雇主の鰐淵直行にも厚く信頼されていました。

彼は手代として能く働き、顧問として能く慮(おもんぱか)るのみをもて、鰐淵が信用を得たるにあらず、彼の齢(よわい)を以てして、色を近けず、酒に親まず、浪費せず、遊惰せず、勤むべきは必ず勤め、なすべきは必ずなして、己を衒(てら)わず、他を貶(おとし)めず、恭謹にしてしかも気節に乏しからざるなど、世にありがたき若者なり、と鰐淵はむしろ心陰(こころひそか)に彼を畏れたり。

金に対する恨みとそれゆえの金に対する執着だけが貫一にとっては唯一の生きる支えでした。貫一は自分が金力の奴隷になっていることに気がつきません。強靭な意志力と非情な心を持った高利貸のエキスパート、それが間貫一です。

金の亡者の貫一が人妻となったお宮と再会することで再び物語が動き出します。お宮は足蹴にされても足蹴にされても貫一に取りすがるし、貫一はすがられてもすがられてもお宮を蹴り飛ばします。「金色夜叉」という小説は、「許して」「嫌だ」の繰り返しが延々と続きます。小説とはいえ貫一とお宮のキャラクターはあまりにも作り過ぎで、生身の人間らしくないです。まるで怨念ロボットと悔恨ロボットが出口のない檻の中で動き回っているようです……それがいいのかな。

「金色夜叉」は大長編のわりに読んでいて退屈しません。いろいろああでもないこうでもないと考えたり、かつて身近にあった似たような「事件」を思い出したりします。懐かしいような切ないような何か不思議な気分にさせられます。

洒落にならないような絶対にやってはいけない「禁じ手」も出てきます。熱心な読者が完結することを許さなかったのかもしれません。「金色夜叉」を読むときは、細かいことは気にせずに素直に楽しんでしまうのがいいのではないかと思います。

|

« 福沢諭吉の「学問のすすめ」を読む・その3 | トップページ | 尾崎紅葉の「金色夜叉」を読む・その2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/122218/10885855

この記事へのトラックバック一覧です: 尾崎紅葉の「金色夜叉」を読む・その1:

« 福沢諭吉の「学問のすすめ」を読む・その3 | トップページ | 尾崎紅葉の「金色夜叉」を読む・その2 »