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2008年3月 4日 (火)

尾崎紅葉の「金色夜叉」を読む・その2

タイトルの「金色夜叉」というのは「金力の鬼」という意味で、高利貸となった間貫一を指していると考えるのが一般的です。一般的というよりそれ以外に解釈のしようがないかもしれません。でも、はたしてそれでいいのでしょうか。余談として新説(珍説?)を発表したいと思います。冗談だと思って読んでください。

「金色夜叉」とは「金色の夜叉」ではなく、もともとは「金と色の夜叉」を意味していたのではないでしょうか。貫一を金力の鬼、お宮を色力の鬼と考えると二人合わせて「金色夜叉」です。

「金色夜叉」は明治30年に「読売新聞」の新聞小説としてスタートしました。明治35年までに「前編」、「中編」、「後編」、「続金色夜叉」、「続続金色夜叉」と断続的に書き継がれ、さらに明治36年には「新続金色夜叉」が「新小説」に発表されました。途中で尾崎紅葉が胃癌で倒れたため弟子の小栗風葉が書き継いだそうですが、「新続金色夜叉」がそれに当たるのかあるいはさらに小栗風葉が書き継いだ続きがあったのかははっきりしません。あるいはもっとずっと早い段階ですでに小栗風葉がゴーストライターをやっていたかもしれません。

なにはともあれ、注目したいのは「前編」です。前編の第三章に描かれているお宮には、将来色の亡者に変身してもおかしくない妖しげなムードが漂っています。明らかにその後のお宮とはイメージが違います。

お宮は「色力の鬼」として描かれるはずだったのですが、「金色夜叉」の連載が続くにつれて、お宮に同情する熱狂的読者が増えてきました。多くの読者はお宮を悲劇のヒロインと思い込んで感情移入してしまったのです。自分のことのように「金色夜叉」を愛読していた読者は、お宮が貫一への「裏切り」を後悔するしおらしい薄幸の女性として描かれることを期待しました。こうした愛読者の想いが強くなればなるほど作者としてはその期待を裏切るわけにいかなくなってきます。尾崎紅葉は、やがて展開するはずだったお宮の色の亡者ぶりが書けなくなってしまったのではないでしょうか(冗談)。

まあ、何も知らずに「金色夜叉」というタイトルだけを見せられたら、「鞍馬天狗」や「黄金バット」や「月光仮面」のような活劇ドラマを想像してしまいそうです。貧しい人を救うためマントをひるがえしてやってくる黄金仮面の男、正義の味方金色夜叉といった感じです。およそメロドラマのタイトルらしくありません。タイトルが小説の中身とチグハグなのは、読者の反響の大きさが当初の小説の構想を変えさせてしまったからであることは確かなようです。「金色夜叉」は読者の反応と相談しながら書き進められた元祖インタラクティブ小説といえるかもしれません。新聞小説の鏡です。

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