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2008年4月 9日 (水)

森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」を読む

金井湛(しずか)君は哲学の先生です。大学で哲学史を教えています。金井君は哲学者でありながら哲学にはあまり興味がなく、何か小説か脚本のようなものを書いてみたいと考えています。そんなとき、夏目金之助君が「吾輩は猫である」という小説を書き出してしまいました。金井君が「しまった!先を越された」と思ったかどうかわかりませんが、2匹目のドジョウを狙った「我輩も猫である」だとか「我輩は犬である」だとかといったパロディ小説が次から次へと出てくるに及んでやる気をなくしてしまいました。
「いまさら吾輩云々でもあるまい。何か別の趣向を考えよう」ということで、金井君は当時台頭してきた自然主義文学に目をつけました。いわゆる「告白」というやつです。金井君は自然主義文学風に性欲的生活の告白をやってみようと考えました。

「ヰタ・セクスアリス」というのはラテン語で「性欲的生活」という意味だそうです。この小説は6歳から21歳までの性欲的生活のあんなことやこんなことが記憶の糸をたどって赤裸々(?)に綴られています。

当時としてはその内容があまりにも過激すぎたためか、「ヰタ・セクスアリス」を掲載した雑誌「昴」は発売禁止になってしまいました。教育上よろしくなかったのかもしれません。

実際にこの小説を読んでみて感じるのは、書かれている内容にかなり嘘が含まれているのではないかということです。小説ですから嘘を書いてもかまわないんですが、金井君がいかに性欲的生活に淡白であったかを強調している部分などはすこぶる怪しいです。鴎外先生としてはこの小説によって、

  「この世はすべて性欲である。性欲こそわが人生」

といったような自然主義派が信じて疑わなかった(?)人生観に一矢を報いたかったのかもしれません。森鴎外は事実を告白しているようなふりをして自然主義派とは反対の方向にわざと事実を歪曲しているような気がします。

森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」は、卑猥なポルノ小説であるという意見から厳粛な哲学小説であるという意見までいろいろ評価があるようです。まあ、あまり難しく考えないで自然主義(出歯亀主義)をおちょくったパロディ小説だと思って読むのが適当ではないかと思います。文豪の小説をそういう態度で読むのはけしからんという意見もありますが、文学作品というのはどう読もうと個人の自由です。たとえば、「DS文学全集」でもっとも評判のよくない「死者の書」を、日本の近代小説の最高の成果であると最大級の賛辞を贈っている人(川村二郎)だっています。

十四になった。

(中略)

僕はこの頃悪いことを覚えた。これは甚だ書きにくいことだが、これを書かないようでは、こんな物を書く甲斐がないから書く。(「ヰタ・セクスアリス」)

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コメント

それ、嵐の二宮和也が主演で映画やるらしいっスよlovely
でも・・・ニノがあーんなことやこーんなことを・・・crying
うう・・・嵐ファンにとっちゃ寺島のババアとセOクOするなんて、そんな屈辱はないshock

投稿: 拓弥 | 2011年12月21日 (水) 13時56分

ネットで検索してみましたが、ネタではないでしょうか?

それにしても森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」を知っているだけでもたいしたものです。

投稿: むぎ | 2011年12月21日 (水) 14時51分

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