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2008年4月 4日 (金)

太宰治の「人間失格」を読む

学業の挫折、自殺未遂、非合法活動の挫折、心中未遂による自殺幇助容疑、パピナール中毒による精神病院入院、同棲生活の破綻等々、「人間失格」には太宰治の実体験が色濃く反映されています。

太宰治の年譜その1・狂乱の時代
昭和 2年(1927年)18歳 弘前高等学校入学。
昭和 4年(1929年)20歳 弟礼治肺血症で死去。自殺未遂。
昭和 5年(1930年)21歳 弘前高校卒業、東大入学。鎌倉の小動岬で心中未遂、相手の女性だけが死亡。自殺幇助容疑(不起訴処分)。
昭和 6年(1931年)22歳 津島家から除籍、小山初代と同棲。
昭和 7年(1932年)23歳 非合法活動から離脱、青森警察署に自首。
昭和10年(1935年)26歳 都新聞の就職試験失敗。鎌倉で自殺未遂(?)。東大中退。パピナール中毒。
昭和11年(1936年)27歳 武蔵野病院入院。
昭和12年(1937年)28歳 水上温泉で心中未遂、小山初代との同棲生活破綻。

絶望の中で廃人・太宰治は深い眠りにおちていきます。

太宰治の年譜その2・夢の中の日々
昭和14年(1939年)30歳 石原美知子と結婚
昭和16年(1941年)32歳 長女園子誕生
昭和17年(1942年)33歳 母死去
昭和19年(1944年)35歳 長男正樹誕生
昭和21年(1946年)37歳 農地改革
昭和22年(1947年)38歳 次女里子誕生、太田静子との間に治子誕生
昭和23年(1948年)39歳 山崎富栄と玉川上水に入水

人間らしく生きようとして生きられなかった30歳以降の人生は、太宰治にとって夢の中の日々でした。戦後、夢から覚めた太宰治はすっかりとしをとっていました。しかし、心は「人間失格」を自覚して眠りについた二十七のころのままでした。

自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から四十以上に見られます。(「人間失格」)

太宰治は一生夢を見続けて生きていればよかったです。暖かく優しい夢の世界で、夢を見ていることに気がつかないまま生涯を終えてしまうのが「幸せな人生」なのかもしれません。

昭和の名曲に「女心の唄」(作詞・山北由希夫 作曲・吉田矢健治  唄・バーブ佐竹)というのがあります。女心の切なさを歌った唄です。

どうせ私を だますなら

だまし続けて 欲しかった

酔っている夜は 痛まぬが

さめてなおます 胸の傷

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