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2008年7月27日 (日)

中村光夫の「二葉亭四迷伝」を読む

講談社文芸文庫創刊20周年記念アンコール復刊ということで、中村光夫の「二葉亭四迷伝」が復刊されました。けっこう貴重な本だと思います。

二葉亭四迷の小説家としての経歴は実にあっさりしています。

明治20年(1887年)24歳 6月「浮雲」第一編を金港堂より出版。
明治21年(1888年)25歳 2月「浮雲」第二編を金港堂より出版。
明治22年(1889年)26歳 7月より「浮雲」第三編を「都の花」に連載、未完。
明治37年(1904年)41歳 3月、大阪朝日新聞東京出張員となる。
明治39年(1906年)43歳 10月10日より「其面影」を東京朝日新聞に連載、未完。
明治40年(1907年)44歳 10月30日より「平凡」を東京朝日新聞に連載、未完。

以上で終わりです。二葉亭四迷が書いた小説は20代の頃の「浮雲」と40代になってからの「其面影」、「平凡」の3作しかありません。しかも3作とも未完です(「あひびき」「めぐりあひ」などの作品もありますが、これは翻訳です)。

20代の頃に坪内逍遥の指導の下に書いた「浮雲」を未完のまま放り投げて、その後は役所勤めをしたり、外国語学校でロシア語を教えたり、実業に興味を持って中国大陸に渡ったり、小説(=創作活動)とは無関係の生活を送りました。

二葉亭四迷はもともとは軍人になりたかったらしいのですが、士官学校の試験がどうしても受かりませんでした(極度の近視が禍したのか3回受験して3回とも不合格)。方針を変更して19歳で東京外国語学校に入学し、ロシア語の勉強を始めました。ロシア語を学ぶ過程でロシア文学に詳しくなってしまうのですが、あくまでもロシア語のマスターが目的であって特に文学に興味があったわけではなかったようです。

二葉亭四迷は40代になってから大阪朝日新聞社に入社して再び小説を書き始めますが、これも本人の希望というよりは池辺三山(東京朝日新聞社主筆)の要請に応じて浮世の義理からやむをえず書いたといった感じです。本人は翻訳かあるいはジャーナリストとしての仕事がしたかったようです。

ロシア語が堪能だった二葉亭四迷は明治41年に朝日新聞社ロシア特派員としてペテルブルグに派遣されます。なにはともあれこれで小説を書かなくてすむと喜んだのも束の間、翌年(明治42年)にペテルブルグの地で肺結核に罹り、帰国途上のベンガル湾洋上で死んでしまいました。享年46歳(数えで)。

「文学において失敗者として終わったように、政治家としても実業家としても新聞記者としても教育家としてもついに見るべき業績を残さなかった」二葉亭四迷ですが、同時代の夏目漱石や森鴎外に成功者の胡散臭さを感じたら、決して成功することのなかった二葉亭四迷の人生に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。松ケンのキャッチコピーではないけれど、

  人間をさぼるな

この精神が二葉亭四迷の人生には貫かれています。

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