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2008年12月 8日 (月)

岡野宏文と豊崎由美の対談集「百年の誤読」を読む

面白い本を見つけました。「百年の誤読」(ちくま文庫)です。この本は、20世紀の100年間を10年ごとに区切って、各10年ごとに10冊、計100冊のベストセラー本を岡野宏文と豊崎由美が読んでその感想を率直に語り合うという構成になっています。ひとはそれぞれ感性が違いますから、同じ作品に対して評価が違っていても別に不思議はありません。なぜ評価が食い違うのかを考えながら読むと「百年の誤読」という本は結構奥深いです。それに、文豪と呼ばれているような大家の作品でも、いわゆる文学史的な評価は無視してあくまでも自分の感性による印象を述べているのがいいです。

たとえば、夏目漱石の「それから」の主人公・代助に対して、豊崎由美がこんな感想を述べています。

で、食卓につくと、<熱い紅茶を啜りながら焼麺麭(パン)に牛酪(バタ)を付けている>って、……プーのくせにっ!こういう小説読んで明治時代の庶民は反感覚えなかったんでしょうかね。

いいなあ、この感想。わたしは昭和生まれの庶民ですが、正直言って代助のものの考え方や生活ぶりにはムカッとしました。夏目漱石の小説に出てくる高等遊民のなかでも代助は最低最悪です。社会のダニです。それでいて社会のダニとしての自覚がありません。回し蹴りをくらわせてドブの中に放り込んでやりたくなります。夏目漱石は「虞美人草」の藤尾のような女が大嫌いだったようですが、わたしは「それから」の代助のような男が大嫌いです。「生れてすみませんぐらい言え、バカヤロー」といった感じです。「それから」を読むと太宰治が夏目漱石を徹底的に嫌っていた理由が何となく理解できます。

「百年の誤読」で紹介されているベストセラー作品で実際に読んだことがあるのは3割程度(おもに明治・大正時代の小説)ですが、未読の作品で是非読んでみたくなったのは谷崎潤一郎の「細雪」です。感想を読んだだけでも実に面白そうです(谷崎潤一郎は長生きしてしまったために著作権がまだ残っていて「DS文学全集」には収録されていない)。

「百年の誤読」には異論を唱えたくなる感想も出てきます。でも、個人の印象なんだから仕方ありません。人それぞれです。

岡野宏文は「百年の誤読」の序文で「本の世界には、昭和三十五年に謎がある」として、昭和三十五年を境にして読書傾向がガラッと変わっていることを指摘しています。単純に考えればテレビの影響ということになりますが、徐々にではなくたった一年で劇的に変化しているとなるとテレビの影響というだけでは説明のつかない何かがあるのかもしれません。まあ、岡野宏文の気のせいという可能性もあります。

「百年の誤読」は、第一章が1900年からスタートしているため、実際は101年になっています。誰もミスに気がつかなかったのか、「誤読」にちなんで愛嬌でわざとこうしてあるのかは不明です。

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