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2009年4月11日 (土)

「レッドクリフPartⅠ」がテレビにやって来た

「レッドクリフPartⅠ」がテレビ朝日系で4月12日(日)に放送されます。「三国志」の「赤壁の戦い」を描いた中国の大作映画の前編です。

西暦208年(建安13年)、天の時を得て破竹の勢いで進軍してくる曹操軍と孫権、劉備の連合軍が長江の南岸の赤壁で対峙した赤壁の戦いは、曹操軍20万に対して孫権・劉備連合軍は5万だったといわれています。しかしそれでは面白くないということなのか、80万対5万という説もあります。映画はこちらの説にしたがっているようです。

映画を観る前に予習のつもりで吉川英治の「三国志・赤壁の巻」を読むことにしました(吉川英治の「三国志」は一度読んだことがありますが、細かいところまでは覚えていません)。

吉川英治版「赤壁の巻」は、漢室の末裔・劉備玄徳が三顧の礼を尽くして、天才軍師・諸葛孔明を帷幕に加えることに成功するところから始まります。このとき、孔明27歳、玄徳47歳です。孔明は玄徳に次のような天下の形勢を説きます。

北に拠った曹操は、すなわち天の時を得たものであり、南の孫権は、地の利を占めているといえよう。将軍(劉備玄徳)はよろしく人の和をもって、それに鼎足(ていそく)の象(かたち)をとり、もって、天下三分の大気運を興すべきである

天の時、地の利、人の和について、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」と説いたのは、古代中国(戦国時代)の哲学者・孟子です。孔明はこの孟子の教えに倣って劉備玄徳にこれから進むべき道を示しました。

漢室の末裔でありながら領地を持たないで流浪の身であった劉備玄徳が、孔明を味方につけたということは、ただ有能な軍師を得たというだけでなく、孔明の持つヒト、モノ、カネ、さらにはその人格的な信用をも味方につけたことを意味します。

孔明の家がらというものは、その叔父だった人といい、また現在呉に仕えている長兄の諸葛瑾(しょかつきん)といい、彼の妻黄氏の実家といい、当時の名門にちがいなかった。しかも、孔明の誠実と真摯な人格だけは、誰にも認められていたので――彼を帷幕に加えた玄徳は――同時に彼のこの大きな背景と、他方重い信用をも、あわせて味方にしたわけである。

孔明と玄徳は、「寝るにも、室を共にし、食事をするにも、卓をべつにしたことがない」といわれるほどすっかり意気投合します。しかし、その戦略において、打算を嫌いあくまでも義を重んじる劉備玄徳の頑固さにはさすがの孔明先生もほとほと手を焼いたようです。

数千の兵力しか持たずに敗走を続ける劉備軍が独力で曹操軍100万と戦うのはあまりにも無謀です。劉備軍が活路を見出すためにはどうしても呉と同盟を結んで共に戦う必要があります。しかし、呉主孫権は3代目のお坊っちゃんで優柔不断のところがあります。孫権が曹操の大軍に恐れをなして降伏してしまったら一大事です。孔明は、呉の北端、柴桑城にいる呉主孫権にたった一人で会いに行きます。説得のためです。

映画「レッドクリフ」は、呉の孫権軍の若き司令官・周瑜が主人公で、周瑜が劉備軍の諸葛孔明と協力して曹操軍を撃退するという筋書きになっているようです。しかし、吉川英治の「三国志」を読んでいると周瑜と諸葛孔明の仲はあまりよくありません。周瑜はその才能を恐れて諸葛孔明を殺そうとしたりします。

吉川英治の三国志はあくまでも諸葛孔明がカッコよくて大活躍することになっていますが、どこまでか原作でどこからが吉川英治の創作なのかわかりません。映画とはどうもニュアンスが違うようです。

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