« 野党チーム、西川日本郵政社長を告発へ…かんぽの宿売却問題 | トップページ | 次の首相にふさわしいのはだれか? »

2009年5月17日 (日)

「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」(大野茂著・光文社新書)を読む

マンガ編集者に焦点を当てて、草創期の週刊少年マンガ誌の覇権争いを描いた本です。サンデーとマガジンのまさに死闘と呼ぶのにふさわしい熾烈な闘いが描かれています。「伊賀の影丸」、「おそ松くん」、「巨人の星」、「あしたのジョー」など、当時一世を風靡した名作マンガの裏話なども紹介されています。

流行っている音楽や映画には、必ずプロデューサーがいるように、どんな天才作家がいて傑作が生まれたとしても、それを世の中に広めるためには、編集者という陰の仕掛人の存在が必要である。黒子に徹してきた編集者の大衆をつかむプロデュース感覚、ポップカルチャーへの大いなる功績はもっとみんなに知られてもよい。まして「サンデー」と「マガジン」という2つの週刊少年誌の競い合いがなかったら、現在の日本のマンガ文化の隆盛はなかったといっても大袈裟ではない。その闘い歴史には、個性豊かな編集部員たちの人間ドラマが秘められていたのである。

この本によれば、かつてはマンガというだけですべて悪書とみなされていた時代があったそうです。手塚治虫の「鉄腕アトム」でさえ、悪書追放運動の標的にされたことがありました。しかし、そんなことぐらいで驚いてはいけません。さらに時代を遡ると夏目漱石の小説が「悪書」だった時代もあったそうです。

 マンガは悪書だと騒がれていたその時から半世紀ほど前、今から遡ること100年ちょっと前、明治末期の新聞にこんな記事が載せられていたという。

  近年の子どもは夏目漱石などの小説ばかりを読んで漢文を読まない。これは子どもの危機である。

 歴史は繰り返される。文豪の作品もまた、悪書だったのである。

昔の新聞小説というのは、一般大衆を喜ばせるための娯楽でした。現在のマンガやアニメと似たような存在だったのだと思います。

「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」には、「週刊少年マガジン」に連載されていた「あしたのジョー」にまつわるエピソードがいろいろ紹介されています。その中に文豪・三島由紀夫が「あしたのジョー」のファンだったという有名な話が出てきます。

マガジンの発売日当日の深夜、三島由紀夫が突如、講談社のマガジン編集部に姿を現したのである。三島は毎週マガジンを買うのを楽しみにしていたが、その日に限って映画の撮影(『黒蜥蜴』松竹/監督:深作欣二、主演・丸山明宏<現・美輪明宏>)で夜中になり買うところもなくなったので、編集部で売ってもらおうとやって来たのだった。財布を出した三島に対して、編集部ではお金のやりとりができないから、1冊どうぞと差し出すと嬉しそうに持ち帰ったという。

昔は24時間営業のコンビニなどはありませんでした。したがって、夜になって書店が閉店してしまうともう雑誌を買うことができなくなります。三島由紀夫は「あしたのジョー」が読みたくて翌日まで待てなかったらしいです。

これと似たような話が夏目漱石にもあります。読売新聞に連載されていた尾崎紅葉の「金色夜叉」が大評判だったころの話です。そのころ熊本五高の先生をしていた夏目漱石は、「切り抜きを送ってくれと奥さんの実家に頼むほど」(関川夏央)この小説が読みたかったそうです。

話が横道にそれてしまいましたが、「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」には、古きよき時代の香りがする男たちの物語が描かれています。1958年から1973年までの15年間は、ちょうど日本経済の高度成長期に重なります。マンガ業界も伸び盛りの高度成長期でした。振り返れば、日本経済にとってもマンガ業界にとっても夢のような15年間だったかもしれません。

|

« 野党チーム、西川日本郵政社長を告発へ…かんぽの宿売却問題 | トップページ | 次の首相にふさわしいのはだれか? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/122218/29650391

この記事へのトラックバック一覧です: 「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」(大野茂著・光文社新書)を読む:

« 野党チーム、西川日本郵政社長を告発へ…かんぽの宿売却問題 | トップページ | 次の首相にふさわしいのはだれか? »