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2009年12月31日 (木)

ファイナルファンタジーⅩⅢ 第11章 バルトアンデルスの攻略法

いつもお世話になっている「極限攻略データベース」の攻略法を参考に以下の通りでうまくいきました。

バトルメンバー  ファング、ホープ、ライトニング

使用オプティマ
「ラッシュアサルト」(アタッカー+ブラスター+ブラスター)
「勇戦の凱歌」(アタッカー+ヒーラー+ブラスター)
「トリニティユニオン」(ジャマー+エンハンサー+ヒーラー)
「不屈の戦士」(アタッカー+エンハンサー+ヒーラー)
「フェニックス」(ディフェンダー+ヒーラー+ヒーラー)
「トライディザスター」(ブラスター+ブラスター+ブラスター)

「トリニティユニオン」でスロウがかかったら、「不屈の戦士」に切り替える。
「不屈の戦士」で全員にベールがかかったら、「勇戦の凱歌」に切り替える。

その後は、余裕があれば「ラッシュアサルト」、余裕がなければ「勇戦の凱歌」で戦い、危険を感じたら「フェニックス」へ。特にタナトスの微笑(強烈なサミダレ攻撃)を察知したら必ず「フェニックス」に逃げ込む(多少もたついても間に合います)。

あとはスロウが切れたら「トリニティユニオン」へ、ベールが切れたら「不屈の戦士」へ切り替えて、再度敵にはスロウ、味方にはベールをかけて戦います。

「トライディザスター」は味方のHPが安全圏にあり、チェーンゲージがたまっていて一気にブレイクが狙えそうなときに使います。

悪性の状態変化はいちいち治すのが面倒だし、よくわからないのもあります。放置しておいても自然消滅するのでなんとかなります。でも、魔法が使えなくなる「忘却(フォーク)」だけはアイテム「とんかち」で治しておかないとヤバイです。「とんかち」だけは必ずショップで買っておきましょう(10個ぐらい)。

最初はどうしても攻撃より防御を重視してしまいます。ただある程度攻撃を急がないと「死の宣告」にやられてしまいます。敵のHPを削って削って削って削って、あとほんのわずかのところで、「死の宣告」がタイムリミットを迎えてしまったときの悔しさったらありません。まあ、1度や2度は経験すると思います。

 

「死の宣告」の前に倒されてしまう場合は、まだバトルメンバーの成長が足りないのだと思います。無駄な抵抗はやめてCP(クリスタルポイント)稼ぎをしましょう。

この段階でのCP稼ぎは、テージンタワーまで戻って、クシャトリヤを倒しまくるといいようです。懇切丁寧な情報はここです → http://ff12.jp/ff13_waza1.html

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2009年12月29日 (火)

ファイナルファンタジーⅩⅢ・召喚獣の攻略

シヴァ、オーディンなどの召喚獣を仲間にするには、召喚獣に認めてもらう必要があります。戦闘で制限時間内に一定の闘いぶりを示せば認めてもらえます。

またダメかと思いつつ、タイムリミットぎりぎりに□ボタンを押したら、思いがけなく仲間になってくれたりもします。「えっ?よかったの??」という感じです。何がよかったのかわかりません。運もあります。

ネットで攻略法をいろいろ研究しながら挑戦していますが、プロ(?)のゲーマーの攻略法はウソだろうと思ってしまうことが多いです。スキルが違うので真似してもうまくいきません。素人は画面に表示される戦闘状況をそれほどきちんと把握できているわけではないし、反射神経も鈍いです。攻撃のパターンを読んで間隙を縫うといったような攻略法は無理です。モタモタやっていても勝てる攻略法でないと……。

そこで、召喚獣の攻略に関して、素人にも優しい攻略サイトはないかといろいろ探したところ、ありました。

 ここです → http://ff12.jp/

例えば、召喚獣アレキサンダーの攻略法など実に懇切丁寧です。

アレキサンダーのゲージは、「チェーンボーナス」「治癒」「強化」でアップします。

アレキサンダーは力で押してくるタイプのボスです。
そこでまず最初は、オプティマを「忍耐の守護者」(エンハンサー+ヒーラー+ディフェンダー)にします。
これでホープがプロテスを使うと戦闘が楽になります。
そこから先は、以下の3つのオプティマを使い分けてください。

(1)「ラッシュアサルト」(ブラスター+ブラスター+アタッカー) …全快時
(2)「抗戦の賛歌」(ブラスター+ヒーラー+ディフェンダー) …少しダメージを受けている時
(3)「フェニックス」(ヒーラー+ヒーラー+ディフェンダー) …ピンチのとき

攻撃方法は「ラッシュアサルト」か「抗戦の賛歌」、ピンチになったら「フェニックス」を使いましょう。
ホープはHPが低いので、少しでもダメージを受けてしまったら回復してください。

時間切れではなく殺されてしまって負けることが多いという人は、HPが大幅上昇する装備を買うか、CPを稼いでクリスタリウムでHPを上げてみましょう。

 

この攻略法だと、オプティマの「フェニックス」(ヒーラー+ヒーラー+ディフェンダー)を使うことはほとんどありません。プロテスの効果が切れる前にあっさりクリアできます。今までの苦労は何だったのかと、嬉しいやら情けないやら……。
 

召喚獣の攻略では、絶望的気分でCP(クリスタルポイント)稼ぎをやったこともあります。何度も何度も何度も何度も挑戦して、やっとクリアできたときは嬉しかったのなんのって……。でも、繰り返し挑戦させられることにムカつくだけでクリアしても嬉しくない人は、こういうゲームをクソゲーだと思ってしまうのかもしれません。

人にはそれぞれ好みがありますから押し付けがましいことはいえませんが、

1.ただ映像がキレイなだけのゲーム
2.バトルバランスがメチャクチャなゲーム
3.1本道をマラソンしているだけのゲーム

ファイナルファンタジーⅩⅢをこのようなゲームだと思って途中で投げ出してしまった人は、きっと何かを勘違いしているのだと思います。せっかく高いお金を出して買ったのに……。

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2009年12月27日 (日)

伊坂幸太郎の「ポテチ」を読む

久しぶりに面白い小説を読みました。ファンの人からすれば、伊坂幸太郎の面白さはこんなものではないということになるのかもしれませんが、伊坂幸太郎の初心者(?)としてはカルチャーショック的な面白さでした。とにかくマンガやテレビドラマよりも面白い小説を読んだのは久しぶりです。

「ポテチ」は、新潮文庫の「フィッシュストーリー」という作品集に収録されている書下ろし作品です。収録されている他の作品はまあ普通に面白いという程度の印象でしたが、ラストに収録されていた「ポテチ」の面白さには参りました……降参です。

あだち充の「タッチ」を読んで感動した経験のある人が「ポテチ」を読むと、「タッチ」の感動が蘇ってくると同時にそこに「ポテチ」の感動が被さってきて、こころの奥のほうが激しく揺さぶられるような感じになると思います。こういうのを「タッチ」のフンドシで相撲をとるというのかもしれませんが、他人のフンドシで相撲をとるならこうであって欲しいものです。
   
「ポテチ」という小説は、緻密な構想力と怒涛の表現力がほぼ完璧な形で結実しています。まさにエンターテインメントのお手本のような小説です。

少しネタバレ的になりますが、「ポテチ」というタイトルは、「ポテトチップス」と「タッチ」の掛詞だと思います。最初は変な(?)タイトルで何を意味しているのかわからなかったのですが、実際に小説を読んでみると深く納得できます。さらに、「ポテチーノ」というブランド品を扱っている「さえら」というお店が仙台市にあります。今村のおっかさんが大西嬢に高級ブランド品の青いシャツを買ってあげる場面が出てきますが、深読みすると、この「ポテチーノ」も掛詞としてさりげなくタイトルに忍び込ませてあるのかもしれません。芸が細かいです。

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2009年12月20日 (日)

「無花果の森」第35回(12/19)

日経新聞の土曜日の夕刊に「文学周遊」という連載記事があります。小説などの名作の舞台となった土地を訪ねて、作家やその投影である主人公の心象風景を偲ぶ(?)といった読み物です。

19日は川端康成の「たまゆら」が取り上げられていました。「たまゆら」の舞台は宮崎市です。実在する宮崎市のホテル(宮崎観光ホテル)の正面には、川端康成自筆の「たまゆら文学碑」が立っているそうです。

同じ紙面に小池真理子の「無花果の森」が連載されています。もし、将来、「無花果の森」が名作だということになって、どこかにこの小説の文学碑が立てられることになったとします。しかし、岐阜大崖が架空の街で、泉が泊まったホテルも、、大崖商店街も、軽食喫茶ガーベラも、すべて現実の世界には存在しないとしたら、文学碑はどこに立てれはいいのでしょうか……。

 

さて、第35回です。泉は吉彦の暴力に怯えて暮らしてきた日々を回想しています。

 蘇る記憶には、脈絡が何もなかった。時系列もなかった。これまで過ごしてきた時間が、相前後しながら、ばらばらの映像と化して、泉の中に意味もなく映し出されては、消えていくのだった。

   

結婚前、吉彦は泉を次のように評していました。

 「いつも地味に、控えめに陰のほうにいて、絶対に目立とうとしない。にこにこして、一分の隙もないほどの協調性があるけど、実は誰とも本当は親しくはならない。若いころから何かを諦めてきたやつの中に、時々、きみみたいなのがいるよ。でも、きみはそういうのとは違う。芯のところは意外にしっかりしている」(第23回)

結婚後はどうなったかというと、

 (吉彦が命じたことを)ひとつでも忘れると、怒鳴られる。殴られる。そうでなくても不気味なほど敵意ある目つきで見られ、あげくの果てに泉の人間性を徹底的に糾弾される。(第34回)

なにがどうしてこうなったのでしょうか。吉彦は、第21回で、結婚前の泉に対してこんなことも言っています。

「男が最後に守りたいと思っているのは、自分の女なんだよ」

吉彦は自分の個人的な思いを普遍化してしまう性癖があります。ここは「男が」ではなく「俺が」でなければなりません。

泉が吉彦にとって、最後に守りたいと思っていた「自分の女」でなくなってしまった(?)のはどうしてでしょうか。期待はずれ、見込み違い、失望、裏切り……いったい何があったのでしょうか。

吉彦の最初の結婚は、妻の浮気が原因で離婚に至ったとされています。吉彦が泉に暴力を振るうようになったのも、やはり泉の浮気が関係しているのでしょうか。実際に肉体関係がなかったとしても、人の心には「精神的浮気」というのがあります。この「精神的浮気」は、いざ疑われてしまうと誤解を解くのは至難の業です。いや、誤解というよりも、心の中の浮気なら誰でもが経験しているといったほうが正確かもしれません。

「自分の女」の気持が、常に100%自分のほうだけを向いていてくれると期待しても、それはもともと無理というものです。吉彦は非現実的な過度の期待を泉に抱いてやがて失望していったのではないでしょうか。

今回、泉の記憶の中に、泉より一つ年下の曾我一郎というカメラマンが出てきました。この曾我一郎と泉の間になにかがあって、それが吉彦の暴力を誘発したのかもしれません。

泉が曾我一郎に親しげに話しかけていたとか、優しく見つめて微笑んでいたとか、ちょっとしたことがきっかけで吉彦に疑念が生まれ、その疑念が妄想の世界で膨張していった……とりあえず吉彦の暴力が始まった原因はそんなところだろうと予想しておきます。わかりませんけどね。

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2009年12月19日 (土)

「無花果の森」第34回(12/18)

電話の話しぶりからすると、天坊八重子はどうも自分本位で我が儘な性格のようです。そして、ひとりぼっちで寂しい暮らしをしています(たぶん)。泉は、こういう我が儘と寂しさが同居している人に気に入られるのは得意かもしれません。

泉が実際に面接するのは明日ということになりました。それまでに履歴書ぐらいは書いておきたいところですが、偽名だと履歴書も書きづらい……。

天坊先生は、もとは大崖服装学院という学校だった古い建物に明日の午前中に来るようにと泉に指示しました。そこに住んでいるのか、ただアトリエとして使っているだけなのか、詳しいことはわかりません。泉は正確な住所を聞き逃してしまいましたが、どうやら軽食喫茶・ガーベラの近くらしく、誰でも知っている場所で近所で聞けばすぐにわかるとのことでした。

 「午後はだめ。午前中にしてちょうだい。九時とか十時とか。それと、悪いんだけど、来る時、たばこを買ってきてくれない?お金は会った時に返すから」
 「銘柄は何にすればいいですか」
 天坊八重子は、「ニコチンが一ミリのやつだったら、なんでもいい」といった。

「ニコチンが一ミリのやつ」という指定は、勘違いされるおそれがあります。最近たばこを吸わなくなったので詳しいことはわかりませんが、文字通りニコチンが1㎎のたばこというのはエコーしかありません(JTのホームページで確認した)。一般的にはニコチン濃度0.1mgの軽いたばこをニコチン1ミリといっているのだと思います。しかし「ニコチンが一ミリのやつ」というだけで、価格も銘柄も指定しないでたばこを買ってこいという喫煙家も珍しいです。天坊先生はボケているのではなかろうか?

泉には喫煙の習慣がありません(たぶん)。間違えずに「ニコチン1ミリのやつ」が買えるでしょうか。それから、1箱だけ買えばいいのか、1カートン(10箱)買うべきなのか、これもまた迷うところです。天坊先生は、人にモノを頼むときに、自分だけわかっていて頼まれる人のことをほとんど考えていません。まことに困った人です。でも一応「悪いんだけど」と、ことわっているからよしとするか……。

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2009年12月18日 (金)

「無花果の森」第33回(12/17)

泉は天坊先生と電話で話をすることになりました。

 本名にすべきかどうか、決めかねた。だが、相手はわずかの沈黙も逃がそうとしなかった。
 「名前」と苛立って繰り返す声が返ってきた。「名乗らないとわかんないでしょうが」
 「すみません」と泉は言った。「高田です。高田洋子と申します」

住み込みの家政婦として働くのにいくらなんでも偽名はまずいのではなかろうか。咄嗟のこととはいえ、あとで困ったことにならなければいいのですが……。

この小説を読んでいると、どうしても気になってくることがあります。主人公の泉の性格です。泉という人は人間としての基本的誠実さに欠けているのではないでしょうか。

ウソも方便とはいいますが、自分の利益の為にウソをつくのはよくありません。嘘つきは泥棒の始まりです。善良な小市民としては失格です。泉のような人がお金に困ると最近話題の女詐欺師のようになるのではないでしょうか。泉は悪人です(きっぱり)。したがって、路上生活者にはなれません。路上生活者というのは気の弱い善人がなるものです。悪人は詐欺や盗みを働いてリッチな暮らしをするか、捕まって刑務所に入るかどちらかです。

もちろん、嘘をつかない人間はいないというのも本当です。でも、普通の人なら、咄嗟にウソをついてしまった後で、後悔とか、自責の念とか、自己嫌悪とかがやってくるのではないでしょうか。まあ、小説の主人公が善人でなれければいけないという決まりはありませんけどね。

さて、天坊八重子です。この先生も相当口が悪いです。ガーベラの店主といい勝負です。

 「『ガーベラ』よ。やる気なんか、まったくないからね、あの店。小汚いったら、ありゃあしない。学生の下宿のほうがまだまし、ってもんだ」

普通に汚いというよりも、小汚いとか薄汚いといったほうが言葉の語感としてなぜかいっそう汚ならしい感じになるから不思議です。冷静に意味を考えるとそうではないんですけどね。

天坊先生とガーベラの店主は、仲が悪くて本気で相手の悪口を言っているのか、それとも口は悪いけど本当は仲がいいのか、まだよくわかりません。今のところ、泉を相手にお互いに陰で悪口を言い合っているかたちになっています。

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2009年12月17日 (木)

「無花果の森」第32回(12/16)

この小説は、東京に関しては「東横線の都立大学駅」など、東京近辺の人しか知らないような実在の私鉄や駅名が出てきます。

しかし新谷泉がたどり着いた岐阜大崖というところは架空の街で実在しません。小説に出てくる街は、泉にとっては見知らぬ街でも、世間的には実在する街のほうがよかったのではないでしょうか。たとえば、美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」で有名な柳ヶ瀬はなんと岐阜市に実在しました(一昨日、TBSの「うたばん」でやっていた)。泉がそうとは知らずに柳ヶ瀬の街を彷徨っていたなんてロマンチック(?)ですよ。架空の街だと、岐阜県に住んでいる読者からすれば、「岐阜大崖?そんなとこないよ」ということで、何だか地元が馬鹿にされたような気分になると思います。もう遅いか……。
    

さて、第32回です。店に入ってきたのは、天坊先生ではなくて、店主と同じ年恰好の二人の男でした。常連客のようです。天坊先生かと思いましたが、わが予想は見事にはずれました。天坊先生は足が悪いからあまり出歩かないんですね。

二人の男は何か裁判沙汰になりそうな揉め事を抱えているようでした。弁護士がどうのこうのという話をしています。泉には、まるで「出て行け」といわんばかりに、店主を交えた三人で額を寄せ合ってひそひそ話を始めました。泉はコースターの裏に天坊先生の電話番号をメモしました。

 半分に折ったコースターをバッグの奥に押し込むと、財布を手に「すみません」と店主に声をかけた。「お勘定、お願いできますか」
 店主が小さなレジスターをたたいて弾き出した金額は、千四百八十五円だった。高いのか妥当な値段なのか、わからなかった。泉は千円札二枚を手渡し、釣り銭を受け取った。

スパゲティ・ナポリタンが七百三十五円、アイスコーヒーが四百円、ホットコーヒーが三百五十円、合計で千四百八十五円です。ナポリタンにはサラダの代金がこっそり上乗せされているかも知れません。でもまあ妥当な金額です。ただし、汚い店にしては高いです。

 日暮れがいっそう濃くなっていた。雨足がさっきよりも強い。泉は持っていた折り畳み傘を開き、急ぎ足で歩きながら、アーケード街に戻った。

六月の日暮れといえば、もう午後七時は過ぎていると思います。雨も降っています。

泉は、電話番号を書いたコースターを取り出して、早速天坊先生に電話をかけ始めました。ちょっと気が早いです。本気で働くつもりなら電話をする前に履歴書ぐらいは用意しておいたほうがいいのではないでしょうか。電話をするのは明日でも大丈夫ですよ、たぶん。競争相手はいません。それよりもまず地図を手に入れて自分がどこにいるのかを確かめるのが先ではなかろうか……。

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2009年12月16日 (水)

「無花果の森」第31回(12/15)

この店に足を踏み入れた泉は、第17回(11/28)で次のように思っていました。

 客のいない店のカウンター席に座ったからには、店主との世間話につきあわなければならなくなるかもしれない、と危惧した。どこに住んでいるのか、何の仕事をしているのか、などといった無邪気な質問に、適当な作り話を返していく元気はなかった。

ところが、食事が終わると、たわいもない世間話を装って、なんと泉のほうから店主に話しかけるようになりました。求人の貼り紙について詳しい情報を訊きたかったのです。

店主がサラダをサービスしてくれて、泉がホットコーヒーの追加注文をする、そんなやりとりをしているうちに気分的に和んできて世間話でもしてみようかという気になったのかもしれません。でも、泉は基本的に性格悪いです。この人は自分の損得で態度が急変するのではないかという印象を受けます。自分に利益がなければ世間話などしたくない、自分に利益があれば積極的に世間話をする……こういうのって何か打算的で嫌な感じです。

軽食喫茶・ガーベラの店主は、無愛想なのかと思ったら、けっこう話好きでした。いざ話始めると、お手伝いを募集している画家の天坊八重子という女性について、訊かれてもいないことまでペラペラとまあよくしゃべります。最初は泉が無口だったので遠慮していたのかもしれません。泉にとってはありがたい情報源です。

「お手伝い募集、なんてテイのいいこと書いているけど、本当のところは、介護人募集なんだと思いますよ。なにしろ独り暮らしだしね。八十近くになって、いよいよ身体が不自由になってきているみたいだから。足元もおぼつかなくて、杖なしじゃ、出歩けなくなっているし」

店主が、天坊八重子について、あることないことおしゃべりしていると、背後でカウベルが騒々しく鳴らされました。誰か来たようです。噂をすれば影で、梅干婆さん(?)の天坊画伯かもしれません。

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2009年12月15日 (火)

君、君たらず、臣、臣たらざるは乱の本なり

「お忙しい中、深く感謝」=天皇陛下と会見-習近平中国副主席・皇居

12月15日11時50分配信 時事通信

 天皇陛下は15日午前、皇居・宮殿「竹の間」で、中国の習近平国家副主席と会見された。習副主席は「お忙しい中、わざわざ会見の機会をつくっていただき、深く感謝します」と述べ、今回の会見設定に謝意を示した。
 会見は、日中関係を重視する首相官邸側が宮内庁に要請し特例的に実現。「天皇の政治利用」をめぐり議論が高まる中、午前11時から約25分間行われた。陛下が中国の政府要人と会うのは、2008年5月に国賓として来日した胡錦濤国家主席以来。

会見というのは、大袈裟なセレモニーをするのではなくて、ちょこっと会って話をするだけなんですね。勘違いしていました。こんなのなら、何が何でもやれというのも変だし、何が何でもダメだというのも変です。どっちもどっちです。

しかし、気のせいか、この会見はどこか形式的で心のこもっていないような印象を受けました。宮内庁の無言の抵抗かもしれません。

今回の騒動は、おそらく政権が交代して政府内にこれまでの慣例に対する認識が徹底していなかったために起きたゴタゴタだと思います。まあ、政権交代の副作用のようなものですね。

内閣(政権与党?)は、今後も慣例(1ヵ月ルール)を無視して宮内庁を振り回すつもりなのか、それとも慣例の存在を再確認して今後はこういうゴタゴタが起きないように気をつけるつもりなのか、今後に対する内閣(政権与党?)の方針をはっきりさせておいてもらいたいです。

それにしても今回の騒動で小沢一郎は全官僚を敵に回したと思います。政治家にまともな政治家とダメな政治家がいるように、官僚にもまともな官僚とダメな官僚がいます。ダメな政治家がまともな官僚に上から目線で親分風を吹かせているのをみれば、別に官僚でなくても反吐が出ます。

  

江戸時代の封建道徳に「君、君たらずとも、臣、臣たれ」という教えがありました。為政者にとっては実に都合のいい教えです。現代風にアレンジすると、「政治家、政治家たらずとも、官僚、官僚たれ」(訳:政治家がどんなにクルクルパーでも官僚は官僚としての職責を果たしなさい)ということになります。無能な政治家にとっては実に都合がいい教えです。

しかしながら、今回の騒動で思い浮かんだのは次の一言です。

    君、君たらず、臣、臣たらざるは乱の本なり

昔の人は実にうまいことをいったものです。

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「無花果の森」第30回(12/14)

 もし、雇ってもらうことができたら、当分の間、人間らしい暮らしが保証される。給金を貯めておけば、突然解雇されたとしても、なんとか生きていける。目の前に、思ってもみなかった光が射してきたような気がした。泉は軽い興奮を覚えた。

まさに「地獄で仏」です。でも、まだ採用が決まったわけではありません。「光が射してきた」と思うのはちょっと気が早いです。「獲らぬ狸の皮算用」になるかもしれません。それに心配なこともあります。

 かつて金持ちの友達の家に住み込んでいた、くだんの家政婦は、その後しばらくたってから解雇された。
 大人たちはひそひそと、「ご主人のお手つきがあって、奥さんが怒り狂ったらしい」と噂した。「お手つき」という言葉の意味を泉が知ったのは、少し後のことになる。

小学生の泉が「お手つき」などという言葉の意味を知っていたら大変です。でも、今どきの小学生なら、マセているから、なんとなくわかってしまうかもしれません。「大辞泉」には、「(「お手付き」の形で)主人が侍女・女中などと肉体関係を結ぶこと」という意味が載っていました。カルタの「お手つき」以外にこんな意味があったとは初めて知りました。

自称「何の取り柄もない、地味な女」の泉が、三十八歳にもなって「お手つき」の心配をするというのは、ちょっと自意識過剰ではないかという気もします。もっとも世間には泉と同じ三十八歳でもそれなりにフェロモンが出ている人もいます。

  

今年の6月1日現在、三十八歳だった有名人をピックアップしてみました(知っている範囲で)。誰がどうとは言いませんが、まだまだ色っぽい人もいるし、もうダメな人もいます。

 伊達公子  テニス選手  1970年  9月28日生れ
 永作博美  女優  1970年  10月14日生れ
 渡辺満里奈  おニャン子クラブ  1970年  11月18日生れ
 和久井映見  女優  1970年  12月8日生れ
 西村知美  タレント  1970年  12月17日生れ
 丸川珠代  参議院議員  1971年  1月19日生れ 
 酒井法子  女優・歌手  1971年  2月14日生れ
 西川史子  医師  1971年  4月5日生れ
 光浦靖子  タレント  1971年  5月20日生れ

  

軽食喫茶・ガーベラの店主によれば、貼り紙にある「天坊」というのは人の名前で、「てんぼう」と読むのだそうです。お手伝いの雇い主は「天坊八重子」という大崖に住んでいる画家でした。お店の常連客なのかもしれません。なにはともあれ雇い主は女性です。これで泉にとって「お手つき」の心配はなくなりました。

あとは保証人をどうするかです。泉の夫の吉彦は有名な映画監督です。失踪に至った事情を正直に話せば保証人なしでも雇ってもらえるかも知れません。ただ、泉はすべての過去と縁を切ったつもりになっています。この期に及んで夫の名前に頼りたくないと思っているかもしれません。

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2009年12月13日 (日)

日本国はどこへ行く?

特例会見、小沢氏が要請…「政治利用」批判強まる

12月12日20時20分配信 読売新聞

 鳩山首相が14日に来日する中国の習近平国家副主席と天皇陛下との会見を特例的に実現するよう指示していた問題は、民主党の小沢幹事長が首相側に会見実現を要請していたことが明らかになり、「天皇陛下の政治利用だ」との批判が一層強まっている。

宮内庁のホームページによれば、国賓、公賓の接遇について次のように述べられています。

国賓とは,政府が儀礼を尽くして公式に接遇し,皇室の接遇にあずかる外国の元首やこれに準ずる者で,その招へい・接遇は,閣議において決定されます。皇室における国賓のご接遇には,両陛下を中心とする歓迎行事,ご会見,宮中晩餐,ご訪問がありますが,両陛下はじめ皇族方は心をこめて国賓のご接遇をなさっています。

公賓とは,政府が儀礼を尽くして公式に接遇し,皇室の接遇にあずかる外国の王族や行政府の長あるいはこれに準ずる者で,その招へい・接遇は閣議了解を経て決定されます。皇室における公賓のご接遇には,両陛下によるご引見や宮中午餐があります。

注目して欲しいのは、接遇が「閣議において決定」とされていることです。今回の「会見」(つまり接遇)はまだ閣議おいて決定されたわけではありませんから、まったくのルール違反です。それにしても宮内庁長官がひとこと「ダメです」といえばすむことなんですけどね。どうしてそうならないのか不思議です。

ちなみに、今年の国賓・公賓など外国賓客一覧表を見ても、天皇が接遇したのは王族か大統領か首相で、副大統領とか副首相なんていうのはいません。

 国賓・公賓など外国賓客一覧表(平成21年以降)
    ↓
 http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/shinzen/hinkyaku/hinkyaku-h21-30.html

注)ベトナムでは、「党内序列は常に書記長が1位で、国家主席、首相はこれに次ぐ」とされていて、共産党中央執行委員会書記長が事実上のナンバーワンです。

 

 

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「無花果の森」第29回(12/12)

「結婚して四年目の秋」でした。泉と吉彦の間に、いわば「味噌汁投げつけ事件」というのが起きました。

遅く帰宅した吉彦に泉が食事の用意をしました。おかずは、肉じゃがと納豆、それに豆腐とワカメの味噌汁です。ところが、納豆にまぜた長ねぎが細かく刻んでないということで吉彦が突然怒り出しました。味噌汁を力まかせに窓に向って投げつけると、吉彦はどこかへ出かけていってしまいました。泉は悲鳴をのみこんで、ただ呆然として震えていました。

この常軌を逸した吉彦の行動が、ことのき初めてだったのか、それとも以前から日常化していたのかは不明です。泉が呆然として震えていたことを考えると初めてのような気もします。でも、何度同じような目にあってもやはり怖いです。その都度呆然として震えていたかもしれません。

それにしても、納豆が気に入らなかったのなら納豆を投げればいいのに、吉彦はどうして味噌汁を投げたのでしょうか。八つ当たりされてブン投げられた味噌汁がかわいそうです……そういう問題ではないか。

結婚して四年目というのは、吉彦が四十二歳のときです。四十二歳といえば、日本アカデミー賞を受賞した年でもあります。吉彦が八つ当たり気味に怒りっぽくなっていたのは、日本アカデミー賞をめぐるストレスが影響していたのかもしれません。ただ、吉彦の誕生日や吉彦と泉の結婚記念日の正確な年月日が不明なため、この「味噌汁投げつけ事件」が、受賞前の出来事なのか、それとも受賞後の出来事なのか、はっきりしません。

  

DV(家庭内暴力)の加害者には、まさかあの人がという人当たりのよいおとなしい人から、吉彦のように日ごろから暴力的で乱暴な人まで、その表面的な性格に一定のタイプはないといわれています。

たとえば、自尊心ということひとつをとってみても、自尊心を傷つけられてDVに走る人もいれば、自分がDV男になるなんて自尊心が許さないと考えている人もいると思います。漠然と自尊心が高いというだけではDVとの関係ははっきりしません。問題はその人が何を自尊心と考えているかです。

外部からは窺い知れない深層心理として、どういう人がDVの加害者になりやすいのか、あなたのドメステックバイオレス(DV)の危険度をチェックしてみましょう。

 チェック内容(「はい」、「いいえ」で答える)

【1】 彼は嫉妬深いですか?   
【2】 彼はあなたを傷つけるような言動に出たあと、しばらくは人が変わったようにやさしくなったり、気をつかったりしますか?   
【3】 あなたがどこでなにをしているかを、とても気にしますか?   
【4】 あなたが実家に帰ったり、友人と外出することをいやがりますか?   
【5】 彼は、気分がコロコロ変わって、まるで別人のようになることがありますか?   
【6】 彼はカッとなったら、物にあたったり、あなたに手を挙げたりしますか?   
【7】 彼に離婚の経験がある場合、その理由は「暴力」でしたか?   
【8】 彼はあなたが独りで判断して物事を進めようとすると、機嫌が悪くなることがありますか? 
【9】 彼が怒り出すと、あなたは落ち着かない気持ちになったり、「怖い、恐ろしい」と感じますか?   
【10】 何を言っても相手にされず無視されたことがありますか?   
【11】 彼は自分にうまくいかないことがあると、あなたに原因があるという態度に出ますか?
【12】 彼は同乗している車やバイクを乱暴に運転したことがありますか?   
【13】 彼は気がすすまない時にセックスを強要してきた事がありますか?   
【14】 あなたの過去の男性関係を根ほり葉ほり聞いたことがありますか?   
【15】 あなた宛ての手紙(所有物)を勝手に開封したことがありますか?

「いいえ」は全問0点です。「はい」は質問ごとに配点が違います。全問「はい」なら100点になります。DV危険度50%(100点満点で50点)だと判定は次のようになります。

DVの可能性が否定できません。(TwT。) 勇気を出して、最寄の相談窓口でアドバイスを頂いてもよいかも。

詳しくは → http://byebyestress.mocoq.com/dv05.htm

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2009年12月12日 (土)

「無花果の森」第28回(12/11)

カウンター脇の柱に、厚手の白い紙がピンで留められていました。そこには達筆の墨文字で次のように書かれていました。
  

   急募。住み込みお手伝い。高給優遇します。 天坊
    ◎ ◎

なんだか泉に打ってつけの仕事です。タイミングが良すぎます。まあ人生にはこういうこともたまにあります。ただ、いくら急募だからといって身元保証人なしでは雇ってもらえないのではないでしょうか。住所不定というのもまずいです……うまく雇ってもらえるでしょうか。

ところで、「天坊」というのは何のことでしょうか。ホテルか旅館の名前のような気もしますが、単なる珍しい苗字かもしれません。鈴木とか佐藤だとわかりやすいのですが……。
   

泉は、「住み込みお手伝い」という文字に触発されて、小学生のころ、裕福なクラスメートの家にいたお手伝いさんのことを思い出していました、そのお手伝いさんの部屋を見せてもらったりもしました。

 殺風景な部屋だった。壁にはプラスチックの白い縁のついた四角い鏡が架かっていた。片隅に小さなテーブルが一つ置かれ、いかにも安物の花瓶に薔薇の造花が一輪、飾られていた。中央には、畳まれた薄い布団が一式あった。
 布団の上に載せられた蕎麦殻の枕に、花の刺繍のついたピンク色のカバーかかっていたことを妙に生々しく蘇らせながら、泉は「住み込み」という言葉を反芻した。

う~ん、この描写はどんなものでしょうか。泉は現在38歳です。小学生のころといえば30年近く前になります。たまたま遊びに行ったクラスメートの家のお手伝いさんの部屋の様子をこんなに具体的かつ鮮明に覚えているものでしょうか。さらに不自然なのは、全体の描写が小学生の認識のレベルを超えていることです。まるで大人が見たかのように脚色されています。

1.素材がプラスチックだとなぜわかったのか?
2.花瓶が安物であるかどうかなど小学生が考えるだろうか?
3.一輪挿しの薔薇の花が造花であるとなぜわかったのか?
4.小学生が布団をみて薄いなどと判断するだろうか?
5.枕が蕎麦殻だったというのはどうしてわかったのか?

泉には、見てもいないものを見たかのように思い込んで、それを思い出しているように錯覚してしまう病的な性癖があるのかもしれません。

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2009年12月11日 (金)

「無花果の森」第27回(12/10)

 泉にとっての新谷吉彦は、鬼才と呼ばれる映画監督である以前に、妻を支配し、暴力を振るい続けることで、やっと精神の均衡をとることのできる、自尊心と自意識が異様に肥大化した、一匹の孤独な獣でしかなかった。

依然としてよくわからないのは、どうして吉彦が泉を好きになったかです。結婚までしてしまったとなるとますますわけがわかりません。

第23回(12/5)で、吉彦は情事の後で泉に、「きみは……俺が探していた女だよ」などと臭いセリフを吐いています。これは、泉を喜ばせるために心にもないことを言ったわけではないと思います。吉彦は本気で、泉が結婚相手として理想的な女であると考えていたはずです。じゃあ、吉彦にとって、「結婚相手として理想的な女」とは、具体的にどういう女性のことだったのでしょうか?まさか最初から暴力を振るっても黙って殴られていてくれる相手を探していたわけではないでしょう???

  

さて、なにはともあれ、やっとスパゲティ・ナポリタンが出来上がりました。泉が極度に空腹だったせいか、それとも汚い店のわりにもともと味は確かだったのか、「この世にこれほど美味な食べ物があったのか」と感動するくらいこのお店のスパゲティはおいしかったようです。嬉しいことに、付かないはずのサラダもサービスしてくれました。

こうなると泉も気を利かせなくてはいけません。ついホットコーヒーを注文してしまいました。サラダのサービスがなければ、ホットコーヒーの追加注文もなかったかと考えると、このお店の店主は無愛想のようでいてなかなかの商売上手です。まいど。

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2009年12月10日 (木)

「無花果の森」第26回(12/9)

今回は新谷吉彦の経歴が主です。泉の回想というより、客観的立場から吉彦の経歴を紹介しているといった感じです。いい加減かつ簡単にまとめておくと、

18歳 某国立大学美術学科入学
26歳 某国立大学を中退
    中堅のCM制作会社に入社 有能なCMディレクターとして活躍
30歳 暴力事件によりCM制作会社を解雇
32歳 初監督作品・薔薇シリーズ第一弾『薔薇の挽歌』を発表
42歳 『湘南心中エレジー』で日本アカデミー賞(最優秀?)監督賞を受賞
48歳 妻・泉が失踪

吉彦は映画監督のかたわら、エッセイスト、コンサートの舞台監督、作詞家などとしても活躍、各方面で多彩な才能を発揮しているとのことです……なんだかね。

 

●映画についての参考サイトです。

  映画興行収入に関するランキング → http://www.eiga-ranking.com/

  日本アカデミー賞の公式サイト → http://www.japan-academy-prize.jp/

  日本映画監督協会 → http://www.dgj.or.jp/

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2009年12月 9日 (水)

「無花果の森」第25回(12/8)

 当時、新谷監督は三十七歳。個性派監督として名を馳せ、彼の撮った映画には熱心な固定ファンがついていた。すでに、「新谷組」と名づけられた熱狂的信奉者がスタッフとして彼の周囲を固めていた。若手にもかかわらず、早くもおいそれとは近づけない雰囲気を醸しだしている監督だった。

こういう設定は俗っぽくて軽薄です。だいたい時代の寵児のような映画監督が、何の取柄もない駆け出しのスクリプターの泉に好きだなんて言いますかね。

その監督から、好きだ、とい言われ、身体の関係を持ち、短期間のうちに結婚することになろうとは、そのころの泉には夢にも想像できないことだった。

そりゃあ想像できませんよ、現実問題としてありえない話ですから。

いくら小説とはいえ、吉彦を今を時めくカリスマ的映画監督にしてしまうのは興醒めです。できれば、厳しい現実の中で虚勢を張って悪戦苦闘しているごく普通の男にして欲しかったです。映画監督というのは、何か副業でもしないと監督業だけでは食べていけない貧乏な人が一般的だと思います。そういう、うだつの上がらない監督でないと、吉彦が泉を好きになるという展開が不自然です。あまりにも現実離れしています。

吉彦が泉という女性の気質や性格を深く理解してそれで好きになった、などというのはおとぎ話です。

あくまでも好きになったことにするなら、泉が交通事故で亡くなった最愛の母親に似ていたとか、子供のころに病気で他界した妹にそっくりだったとか、吉彦が泉を好きになってしまう何か特殊な事情がないと……。

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2009年12月 8日 (火)

「不毛地帯」・和久井映見の巻

本日12月8日は太平洋戦争の開戦記念日ですが、女優・和久井映見の誕生日でもあります。和久井映見はテレビドラマ「不毛地帯」で元大本営参謀・壱岐正(唐沢寿明)の妻・佳子役を演じていました。

壱岐佳子は和服が似合う控え目な女性です。いつも何かを心配してオロオロしています。嬉しいことがあってもかすかに微笑むだけで、ゲラゲラ笑ったりはしません。自分を犠牲にして何かに耐えています。家庭を守る良妻賢母のお手本のような人です。めったに愚痴はいいません。見方によっては一緒にいると息が詰まる……そんなこといっちゃいけない。

佳子は、夫の正が浮気をしているかもしれないという疑惑を抱いたその直後に、交通事故で死んでしまいます。なんという残酷なドラマでありましょうか。不毛地帯とはまさに佳子の人生そのものです。戦争によって翻弄され、それでも夫を愛し子供を愛して生き続けてきた佳子の人生はあまりにも悲しすぎます。その悲しみの塊のような人生を和久井映見が見事に演じていました。

そんなわけで、「不毛地帯」を観ていたら、すっかり和久井映見のファンになってしまいました。佳子亡き後も「不毛地帯」は続きますが、何となく興味は半減です。

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「無花果の森」・第24回(12/7)

「日本映画・テレビスクリプター協会」(会員74名)というのがあって、HPでスクリプターの仕事を次のように紹介しています。

皆さん、そもそも『スクリプター』という仕事を知ってますか。監督の横にぴったりと貼りつき、撮影行程の全てを把握し、管理・記録するスクリプター。女性の専門職と言われてますが、いったいどんな仕事なのでしょうか。

(中略)

まずは【準備段階】。
台本を読んでその台本がどのくらいの長さになるのか「時間(尺)」を出します。長い場合は監督に短くするよう提案もします。それから「衣裳合わせ」では、どんな衣裳を着るか、タバコは吸うか?時計やメガネは?設定が結婚しているなら指輪をしているか、など細かく決めて記録します。そして「美術打ち合わせ」で撮影の方法を話し合ったり、リハーサルにも立ち合います。

これで、やっと【撮影】クランクイン。
まずは監督のコンテを把握し、スタッフに伝えなければいけません。それから「スクリプト用紙」という紙に1カットにつき一枚づつセリフや動き、秒数などを細かく記録し、編集の方法をその紙を介して編集部に伝達します。そして、皆さんよくご存知の「芝居のつながり」も見なければいけません。撮影はシーン順に撮るわけではなく、バラバラに撮るので、いつも前後の事を考えます。髪は耳にかけていたか、目線はどうか、その時コップを左右どちらの手でどう持ち、水をどのくらい飲んだか、走ってきたのなら息遣いを荒くするところからつなげたり、"動き"や"セリフ"のテンションが自然につながるように配慮します。「歌」がある場合はあらかじめ録音した歌に合わせて唄う必要が出てきます。「つながり」と一口にいっても色々あるんです。その上、セリフが台本通りかもチェックしなければいけません。「音」についても理解していないとつながりません。勿論、出来あがった作品が長くなり過ぎないように時間の長さの管理もします。とにかくあらゆる事を予測しながら、編集のことを考え、全てが当たり前につながるように計算してゆきます。

そして【仕上げ】。
編集に立ち合い、監督のやりたい事を編集マンに伝えます。アフレコで役者さんにセリフを話すタイミングを指示したりします。ダビング(音楽や効果音、セリフの整音など)の準備をし、最後の最後まで立ち合います。 さぁ、映画が出来あがりました。でも、それでもまだやる事があります。「完成台本」です。 撮影前の台本と出来あがった作品はセリフも内容も順番も変わっています。ですから副音声用や海外字幕用に正しいセリフや芝居、効果音、音楽などを書き入れた"目で見る映画の台本"を作らなければならないのです。 やっと全てが終りました。スクリプターは準備から仕上げまで監督と常に共に行動し、監督の日々のテンションも把握・理解した上で現場の全てに対処するので『監督の女房役』などといわれるのかもしれません。

詳しくは → http://www.jss.sakura.ne.jp/scripter/scripter.html

こうした多岐に渡る仕事内容を考えると、スクリプターがしっかりしていれば、監督が少々クルクルパーでもいい映画は作れそうです。ベテランのスクリプターの中には、監督を尊敬するどころが、監督の馬鹿さ加減にうんざりしている人もいるのではないでしょうか。ある意味では、映画監督というのは、女房役のスクリプターに尊敬されるようになって初めて一人前といえるのかもしれません。

もっとも、ここで紹介されている仕事内容は、スクリプターの地位向上を目指している「日本映画・テレビスクリプター協会」によるものです。スクリプターの仕事を美化しているきらいはあります。実際は縁の下の力持ち的な大変な仕事なのだと思います。

「無花果の森」でも、「ベテラン技師たちからは、時にゴミでも扱うように無視され」たり、意地悪な女優から「アルミの灰皿を投げつけられたり」して、若き日の新谷泉さんもいろいろ苦労したようです。

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2009年12月 6日 (日)

小池真理子の「無花果の森」を読む・第23回(12/5)

それは十一年前の、寒い冬の日の夜更けだった。

今から11年前といえば1998年です。とりあえず12月ということにしておきます。1998年12月、伝説のロックスター・忌野清志郎が「サン・トワ・マミー」を熱唱しています。

女に逃げられた切ない男ごころを歌った歌です。吉彦クンのイメージソングにぴったりではなかろうか……。

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2009年12月 5日 (土)

小池真理子の「無花果の森」を読む・第22回(12/4)

「覚悟を決めたら奪うだろう。それが男だ。だから、女房を奪った相手の男のことを憎んだことはない。俺が憎んで殺したいと思ったのは女房のほうだ」

よくいうよ。相手の男を「前歯がへし折れるほど、ぼこぼこにしてやった」というのはウソなんですか。言っていることとやっていることがめちゃくちゃです。もし、相手が親友の女房だったら、絶対に手を出さないと覚悟を決めるのが普通です。そうはならなかったのは、相手の男にとって、吉彦が親友として眼中になかったのか、あるいは吉彦の女房が見ていられないほど不幸な境遇にあったのかどちらかです。

思うに、実際は女房のほうが先に、別れられなければ吉彦を殺したいと思い詰めていたのではなかろうか……。

「頼むから尊敬してます、なんて言ってくれるなよ。死にたくなるから」

いい気なものです。吉彦が映画監督としてどう優れているのか、人間としてどう魅力的なのか、読者を納得させる描写がこの小説にはありません。したがって吉彦には映画監督というレッテルがあるだけです。そのために、泉が吉彦を尊敬しているといっても、映画監督というレッテルを尊敬しているようにしか読者には伝わってきません。「映画監督?まあステキ!」ということで納得できない読者はこの小説を読むのが辛くなってきます。

次のようなセリフに接すると、泉が単なるバカ女のように思えてきます。

「私は監督と、ずっとこうしてお酒を飲みながら話してきました。とても親しくさせていただいて、すごく嬉しいです。夢みたいです」

「話してきました」というよりも、聞き役に徹して、一方的な暴論、愚論を聞かされていたいたというのが本当のところだったのではないでしょうか。そういう人(=異論を唱えない人)でないと吉彦の相手は務まりません。

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2009年12月 4日 (金)

小池真理子の「無花果の森」を読む・第21回(12/3)

 妻が男を作ったことが離婚の原因になったこと、相手の男というのが、新谷が学生時代から、唯一、深くつきあってきた親友と呼べる人間だったことを、彼は泉にだけ打ち明けた。

ここでまた吉彦はウソをついています。ウソという言い方に語弊があれば、事実を自分に都合よく解釈しています。吉彦が「相手の男」を親友だと思っていたとしても、「相手の男」は吉彦に憎しみや敵意をいだいていたかもしれません。「深くつきあってきた」というのも一方的に吉彦がそのつもりになっていただけかもしれません。

前妻が浮気をしてしまったのは、自分を客観的にみることができない吉彦自身にその原因があったのではないでしょうか。被害者ヅラをして自分よりも十歳も年下の泉に同情してもらおうというさもしい魂胆が気に入りません。実際はどちらが被害者なんだかわかったものではありませんよ。

「俺は女房を愛していた。俺らしくもない言い方に聞こえるかもしれないけどね。俺なりのやり方で愛していた」

吉彦の言う「愛していた」というのは、一方的な支配欲を満足させることです。本当の意味での愛情ではありません。「俺なりのやり方」というのが曲者です。ありがた迷惑な「愛し方」をしていたのではないでしょうか。

「前歯がへし折れるほど、ぼこぼこにしてやったけどな。殺そうとは思わなかった」

そんなふうだから女房に逃げられたのです。独りよがりな吉彦には相手を思いやるという気持がありません。自分を中心に世界が回っていると思っています。気に入らなければすぐ暴力です。吉彦は一度でも自分はダメな人間だと反省したことがあるのでしょうか。もううんざりです。わたしが女だったら吉彦のような男は敬して遠ざけます。決して近寄りたくありません。泉がなぜこんな男と結婚する気になったのか不可解です。くだらないパフォーマンス野郎にしか思えませんけどね。

だいたい「前歯がへし折れるほど、ぼこぼこにしてやった」などというのはたいして傷ついていない証拠です。気を取り直して、今度は浮気されないように地味な女(つまり泉)を再婚相手に選んだのでしょうか……。

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2009年12月 3日 (木)

小池真理子の「無花果の森」を読む・第20回(12/2)

やっと見つけた軽食喫茶で、泉はアイスコーヒーとナポリタンを注文しました。無愛想で無口な初老の店主は、かったるそうにナポリタンを作っています。まるで客が来たのが迷惑みたいです。

店内には有線放送から懐かしい映画音楽が流れていました。泉はナポリタンが出来上がるのを待ちながら、結婚前の吉彦のことを思い出していました。泉は自称「何の取柄もない、地味な女」でした。にもかかわらず吉彦に愛されてしまいました。おそらく吉彦には泉が落ち着いていて慎み深い清楚な女性に見えたのだと思います。

 彼は他人に、自分の私生活を話したがらなかったが、彼がまだ監督になる前、二十代のころ、一度離婚していることだけは公になっていた。幼い娘が一人いたが、妻が引き取ったという話だった。離婚の理由については誰も知らなかった。

泉が吉彦といつ結婚したのかは不明です。泉が思い出している結婚前の出来事というのもいつごろのことなのかよくわかりません。とりあえず勝手に決めておきます。十数年前、泉がまだ二十代で吉彦が三十代のころの出来事を思い出していることにします。今では吉彦の前妻も四十代だし、その娘はすでに成人しています。

泉はおそらく二十代で吉彦と結婚しました。結婚後すぐに吉彦のDVが始まりました。吉彦がもともと病的なDV男だったのか、それともなにか特定の原因があってDVが始まったのか、今のところそのきっかけについては不明です。泉は吉彦の我がままと暴力に長年の間耐え続けてきました。しかし、とうとう耐えきれなくなって一昨日の午後衝動的に家出をしてしまいました……今のところはこう考えておきます。あくまでも推測です。間違っているかもしれません。

泉は夫の吉彦に言い知れぬ恐怖心を抱いています。物理的な暴力に対する恐怖なのか、吉彦の人格に対する恐怖なのか、肉親や友人知人との関係をすべて断ち切ってでも身を隠してしまいたいと考えるほど吉彦を恐れています。眠れば悪夢にうなされ、見知らぬ街の見知らぬ店にいても、ふとドアを開けて吉彦が入ってくるのではないかと、恐怖心がもたらす妄想に怯えています(たぶん)。

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2009年12月 2日 (水)

小池真理子の「無花果の森」を読む・第19回(12/1)

 「そんな映画に、この音楽がくっつけられたんだよ。信じられないよ」と彼は溌剌とした言い方で言った。「音楽だけ聴いたら、甘ったるいロマンス映画としか思えないよな」

ここで新谷吉彦はウソをついています。吉彦は現在48歳です。「世界残酷物語」(1962)が公開された当時はまだ赤ちゃんでした。吉彦がこの映画を観たとしたら、1962年からすくなくとも十数年が経過してからです。

「世界残酷物語」のテーマ曲「モア」の大ヒット以降、モンド映画(観客の見世物的好奇心に訴える猟奇的ドキュメンタリー映画)には美しいテーマ音楽というのが流行りだしました。過激な映像にロマンチックなメロディというのは信じられないほど斬新でもなんでもなく、ごく当り前のパターンになってしまったのです。

「世界残酷物語」を公開当時に観た人がその内容とテーマ音楽とのギャップに「信じられない」という感想を漏らしたとしても不思議はありません。しかし、十数年後にこの映画を観て同じ感想を抱くということはありえないと思います。特に古今東西の多くの映画を観いてる映画監督ならなおさらです。過激な映像に美しいテーマ音楽というのは、信じられないどころかすでにマンネリ気味のお決まりのパターンになっていたはずです。

「世界残酷物語」について、ネット上に次のような解説がありました。

世界の奇習・風俗の映像を集め、見世物感覚で並べ立て、後に無数の亜流作品を産むこととなった、いわゆる“モンド映画”の原点。その後のモンド映画は、人間の死の瞬間という究極映像を求めていくようになったが、この作品ではまだそういった過激映像はなく、未開人の風習と、迷走する現代人の風俗を交互に紹介することにより、人間とは何か、という壮大なテーマをそれなりには感じさせる作りになっている。今日的視点で観れば、やはりヤラセ的な映像も多い。そのへんもまた元祖モンドではある。リズ・オルトラーニによるテーマ曲「モア」はアカデミー賞にもノミネートされ、今ではスタンダードとして定着。以降、モンド映画には、美しく覚えやすい旋律のテーマ曲がつきものとなった。

詳しくは → http://homepage1.nifty.com/hoso-kawa/video/video9.html

この映画は、今観れば「どこが残酷やねん」という程度の内容だそうです。

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2009年12月 1日 (火)

小池真理子の「無花果の森」を読む・第18回(11/30)

小説を読んでいると、知っている人は知っているけど知らない人は知らない歌手や楽曲や映画などが出てくることがよくあります。名前ぐらいでも知っていればいいのですが、まったく馴染みがないと白けてしまいます。

「無花果の森」にもいきなりアンディ・ウィリアムスが出てきました。アンディ・ウィリアムス(1927~)は1960年代に活躍した米国の国民的ポピュラー歌手です。どういう縁があったのか、1991年にはNHKの紅白歌合戦にも出場したそうです。しかし、日本では今や知らない人のほうが多いのではないでしょうか。

 

「軽食喫茶・ガーベラ」には有線放送からアンディ・ウィリアムスの洗練された甘い歌声が流れていました。

『ある愛の詩』が終わり、次に流れてきたのは『モア』だった。

「ある愛の詩」(1971)というのは次のような曲です。

 

そして「世界残酷物語」(1962)のテーマ曲「モア」というのは次のような曲です。

 

泉の夫の新谷吉彦は映画監督です。昔の映画のこともよく知っていました。

 その美しくロマンティックなメロディからは想像もつかないが、『モア』という曲が『世界残酷物語』という恐ろしいタイトルの映画のテーマ音楽だったことを教えてくれたのは、まだ恋人にもなっていなかったころの新谷吉彦だった。

泉は「まだ恋人にもなっていなかったころ」の吉彦のことを思い出していました。しかし、読者には泉と吉彦がいつ出合って、いつ結婚したのかが知らされていません。この「まだ恋人にもなっていなかったころ」というのが、3年前なのか、5年前なのか、それとも10年以上前なのか……まあ、とにかく結婚前の話です。

気難しいことで有名だった吉彦が、泉の前では、少年のように無邪気に熱っぽく映画について語っていました。泉にはそんな吉彦が「親しみやすい魅力的な男」に思えたようです。なるほど女はギャップに弱いのかも知れません。

 

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