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2010年2月 1日 (月)

小池真理子の「無花果の森」第64回(1/30)まで

自分の過去を美化して自慢話をするお婆さんがよくいます。だいたい若いころは非常にモテたという話なんですが、どこまで本当なんだかあやしいものです。

「無花果の森」の天坊八重子も、泉を相手に自慢話を始めました。

「あたしが三十八の時は、絵描きとしてやっと独り立ちできて、おまけにあたしに恋を囁きたがっている男が、数珠つなぎになってまわわりを取り囲んでたもんだよ。二十代で結婚した亭主に愛想つかされて別れた後だったから、あたしも天下晴れて独身だったしね。恋に仕事に忙しくて、そりゃあ、あんた、毎日、寝る間もないくらいだったよ」

いつのころからかフィットネスやエステなど、健康や美容に関連したサービス業が盛んになってきました。フィットネスクラブなどはその潜在需要が1兆円とも言われています。こうした健康・美容産業の背景にあるのは、いつまでも若く美しくありたいと願う現代女性の切ない女心です。最近はエイジレスだのアラフォーだのというキーワードがもてはやされて、三十八歳になってもまだ女性として魅力的な人(つまり男にモテそうな人)はそれほど珍しくありません。これは現代女性の「美(性?)」に対する飽くなき執念と涙ぐましい努力の賜物です。

しかしながら、今から約四十年前(=天坊八重子が三十八歳だったころ)はどうだったでしょうか。当時(1970年ごろ)の三十八歳というのは、今の年齢にすれば五十過ぎぐらいの感じだったと考えられます。当時の基準からすればもう完璧なオバサンです。色気もへっくれもあったものではありません。変に色気づいたりすると、「いい年してみっともない」と言われてしまったのではないでしょうか。

もちろん世の中には例外ということがあります。百歩譲って三十八歳の天坊八重子がそれなりの「美人」だったとしましょう。それでも「恋を囁きたがっている男が、数珠つなぎ」なんてことはありえませんよ。明らかに妄想です。まあ、敬老精神でそうだったことにしておきます。

 「ほんとのこと言うと、こっちもね、もう限界なんだよ。台所と寝室は、ここの二階にあるんだけどさ。情けないことに、階段を一人で昇り降りするのが怖くなっちまったから、ここんとこ、ずっとアトリエ暮らしよ。ソファーで寝るしかなくて、背中は痛いし、腰は痛いし、食事だって、店屋ものばっかり。ここしばらく洗濯機もまわしていないし。あちこちほこりだらけ。やってもらいたいことが山ほどある」

天坊八重子に家政婦が必要だったとしても、お屋敷と呼べるような広い家でもないし、手のかかる子どもがいるわけでもありません。日常的な掃除や炊事洗濯をするだけなら住み込みでなくても1日3時間程度のパートで十分です。軽食喫茶ガーベラのマスターが「本当のところは、介護人募集なんだろうと思いますよ」と言っていたのはその通りだったようです。あとは話し相手が欲しかったのかもしれません。

天坊八重子は、両親すでになく、兄弟姉妹はいるのかいないのか音信不通、夫もいなければ子供もいない……要するに天涯孤独です(たぶん)。自由気ままに楽しく生きてきたのはいいけれど、晩年を迎えてふと気がついたらひとりぼっち……芸術家(?)にはありがちな人生です。それでも、家政婦を雇える身分なんだからたいしたものです。路上生活者に転落しなかっただけでも運がよかったといわなくてはなりません。

なにはともあれ、泉は月5万円の給料で住み込みの家政婦として雇われることになりました。口約束ながら契約成立です。泉は八重子がどんなに自分勝手で我が儘でも「暴力がないだけまし」と考えています。一方八重子のほうも泉のことを「どこの馬の骨かわからないけど猫よりまし」と思っているかもしれません。このふたりが仲良くなれるといいのですが……そういう展開の小説ではないかもしれません。

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