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2010年3月14日 (日)

小池真理子の「無花果の森」第99回(3/13)まで

映画「ブルー・ベルベット」について、allcinema というサイトが次のように解説しています。

ノース・キャロライナ州ランバートン。製材が主産業ののどかな町。よく晴れた日、大学生のジェフリーは、庭仕事をしていて突然異常な発作に襲われた父を見舞った病院からの帰り道、野原で異様な物を見つけた。手に取ってみると、それは何と切り落とされた人間の片耳だった……。

ボビー・ビントンの歌う同名ヒット曲を背景に、赤い薔薇、白いフェンス、青い空といった絵葉書の様なアメリカの典型的な田舎町を映し出した、テクニカラーの明るい画面から一転して、カメラが草の間に入って行き、地面で虫たちが凄まじい生存競争を繰り広げるさまを描いた冒頭部、暴力、セックス、SMに絡む奇怪な登場人物など、デヴィッド・リンチ独特の世界が満喫できる作品。また、耳の持ち主はどうなったのかという謎からストーリーが進行していきながら、いわゆるハリウッド流の公式には従わず、ダークで異常なスリラーに展開してゆくのはいかにもリンチらしい。

“耽美と頽廃の世紀末的世界”や“官能と倒錯の幻想的世界”といったリンチ特有の世界が堪能出来る本作は、これ以前に撮られたインディペンデント映画の傑作「イレイザーヘッド」から、この後に製作されリンチの名を世界的に広めた「ツイン・ピークス」への推移が見て取れるが、これらを含めた彼の数多い作品群には、その一つ一つの完成度の高さからいって、一言で“カルト”と言って片づけられない才能の幅の広さを感じてしまう。

 詳しくは → http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=20583

「ブルー・ベルベット」の公開は1986年9月(日本では1987年5月)ですが、「街の様子や車やファッションは1950年代のテイストに統一されており、古きよきアメリカを懐かしむことのできる作品」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)とされています。映画の中で使われているボビー・ヴィントン(1935年生まれ)が歌う「ブルー・ベルベット」(1962年のヒット曲)も古きよき時代の雰囲気を醸し出しています。

監督のデヴィッド・リンチ(1946年1月20日生まれ アメリカ・モンタナ州ミズーリ出身 )については、「インタビュアーが次の質問をするのに怖じ気づくほど、リンチの一言一言は鋭く、信念に満ち、説得力があった」として、そのインタビューの内容が「週刊シネママガジン」に紹介されていました。

■映画に解説は必要ではない
 「イレイザーヘッド」を始め、リンチの作品には難解とされるものが多いが、作品のテーマは自分で見いだすものだと主張する。
 リンチは映画の中ですべてを表現したつもりなので、そこに解説を求められるのは不本意であるという。音楽は解説を必要としないが、一方で映画に対しては音楽と違ったわかりやすい解説が求められる。本来なら映画も音楽のように感覚で楽しむべきなのである。自分自身が感じとったことを信用することである。自分なりに理解したという感触を他人に言葉で伝えるのは難しいが、理解に変わりはない。映画の見方は人それぞれ。映画にあれこれと理屈をつけるのは彼の主義が許さないのだ。

■自分で納得できる作品を作るまでだ
 映画で一番の見どころはどこかという質問に対し、リンチはすべてだと答えた。映画とはさまざまな要素の集大成で、すべてに意味がある。そのすべての要素を100%活用すべく努力して、理想を形にしている。だからこそ完成した作品の全編がハイライトになる。
 作品が好評を博しているという質問に対しては、リンチはあまり関心を示さない。リンチにとって映画は完成させたら終わりである。宣伝活動も無駄ではないが、作品は勝手に一人歩きしていくものなので、評価の行方はだれにも予測できない。だから観客に受け入れられる作品を目指すよりも、一番大切なのは自分が納得できる作品を作ることである。

■アイデアこそすべてだ
 何より大事なのはアイデアである。それがないと何も始まらない。リンチの諸作品は、ある日ひらめいた天啓のアイデアに自分自身が惚れ込んだことで誕生した。映画とはアイデアを自分の表現で形にしていくこと。その過程がすべてであり、そこにありとあらゆる醍醐味がつまっている。自分をここまで惚れ込ませ、突き動かしたそのアイデアを、見る人にも受け取ってもらいたい。アイデアは見る人それぞれが直感すればいいだろう。リンチの願いはそこである。
    
詳しくは →  http://cinema-magazine.com/new_kantoku/lynch.htm

    

泉の夫である新谷吉彦とデヴィッド・リンチは、その作風にどこか共通するものがあります。「無花果の森の」の第26回で、新谷吉彦の初監督作品である「薔薇の挽歌」が次のように紹介されていました。

暗黒映画ふうの翳りを帯びた映像で、ハードボイルド風の世界をおそろしく耽美に描いた作品だった。その独特の作風は、カルト映画ファンを魅了し、関係者の間でも高く評価された。

   

さて、バー「ブルー・ベルベット」のマスターは還暦間近のおかまさんです。小太りで、あまり背は高くありません。キャスケットを被っています。もう頭が薄くなっているのかもしれません。女装はしていませんが、妖怪のようなケバケバしい化粧をしています。暗がりの中で「サクラと申します。どうか、ごひいきに」と、泉に自己紹介をしました。

泉は「高田洋子と申します。よろしく」と言うのかと思ったら、まだ「高田洋子」に慣れいていないらしく「初めまして」といっただけでモジモジしていました。すかさず天坊八重子が名前なんていわなくていいんだよ、といわんばかりにフォローしてくれました。このお婆さんは本当にいい人です。

デヴィッド・リンチが大好きだというサクラは、似た作風の新谷吉彦をどう思っているでしょうか。映画談義で盛り上がってしまって、サクラが「日本にもお気に入りの映画監督がいるわ。あんた、薔薇シリーズの新谷吉彦ってご存じ?」などと泉に訊いてきたら泉はなんと応えるでしょうか。

 1.はい、わたしの夫です。 0%
 2.はい、名前だけは。   80%
 3.いいえ、知りません。   20%

いきなり「わたしの夫です」と応えるはずはありませんが、デヴィッド・リンチを知っているくらい映画に詳しそうな泉が、新谷吉彦は知りませんというのも不自然です。かえって怪しまれてしまいます。無難なところで「名前だけは」と応えるのではないでしょうか。

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