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2010年5月28日 (金)

小池真理子の「無花果の森」第158回(5/27)まで

 泉は、長屋の二階の、死んだ詩人が使っていた布団の中で、深いため息をついた。
 思い出したくないことなのに、ひとたび記憶を手繰り寄せてみると、すみずみまでまんべんなく、折々の自分自身の苦しみが、すべて克明に蘇ってくるのが不思議だった。

泉の回想が続いています。失踪直前の数日間の出来事に続いて、子供のころの記憶が蘇ってきました。忌まわしい父親の暴力の記憶です。泉の父は予備校の講師(何を教えていたかは不明)をしていて、何が不満だったのか家庭ではよく暴力を振るっていました。暴力の標的は母親のみならず泉たち子どもにも及んでいました。

そんな父が、泉が高校に入学した年の晩秋に遺書を残して自殺してしまいました。そんな父のことを泉は次のように考えていました。

父は自分で自分の身の始末をしようと、かなり早くから決めていたのではないか。暴力をふるう恐ろしい父親だとしか思えずにいたが、それは間違いだったのではないか。父はずいぶん前から、自分自身に絶望していて、縊れることでしか自らに決着をつけることができなくなっていたのではないか

「ラスト・フレンズ」というテレビドラマでも、DVがやめられずに苦しむ宗佑という青年が出てきました。宗佑は恋人を自分のDVから解放するための最後の手段として自殺してしまいます。テレビドラマとしてはかなり衝撃的な物語でした。でも宗佑の自殺は二十四歳のときです。

結婚していて子どもが二人いておそらくは四十歳を過ぎていたであろう泉の父親が、自分のDVを苦に自殺するというのはあまり現実的ではありません。自分自身に絶望して自殺を選ぶなら、三十歳になる前にとっくに縊れていただろうと思います。四十歳を過ぎてからの自殺というのは、そのほとんどが健康上の問題かあるいは経済的な破綻が原因です。これ以外で考えられるとしたら男女問題(=心中)ぐらいでしょうか。

人間の自殺に理由などないという意見もあります。もっともらしい自殺の原因を考えたとしても、同じ原因があっても自殺する人としない人がいるのはなぜかという疑問が残ります。あらゆる自殺には理由などなくて、すべてはタナトスの微笑み(=死の本能)によるものなのかもしれません。

それにしても泉はどうして脈絡もなく遠い昔のことを思い出していたのでしょうか。泉は無意識のうちに「鉄治に向って過去を打ち明けるための心の準備」をしていたのかもしれません。

泉(38)と鉄治(42)の年齢差は四歳です。学年差も四年だとすると、泉が中学3年のときに鉄治は高校を卒業していることになります。もし鉄治が浪人をして予備校に通っていたとすれば、予備校で泉の父親と出会っていた可能性があります。泉の旧姓は不明ですが、案外鉄治は泉の父親のことを知っているかもしれません。

 

さて、何はともあれ泉は再び鉄治のところを訪れることになります。途中で泉は近くのコンビニで飲み物とプチシュークリームを買いました。手土産のつもりです。

甘いものではなく、酒のつまみになるなるようなもののほうがいいのかもしれない、と思ったが、そんなものを持って行ったら、一緒に酒を飲むつもりでこれを買って来たのかもしれない、と誤解されそうでいやだった。

泉は何を言っているのでしょうか。一緒にお酒を飲めばいいじゃないですか。缶ビールを買って行きなさいよ、と言いたくなります。この人は鉄治のところに何をしに行くつもりなのでしょうか。

泉の中に、理由のわからない猜疑心と不安が渦を巻き始めた。鉄治は本当に今日、二時にあの部屋で自分を待っていてくれるのだろうか。
 たかだか一週間前に交わした約束を、彼が忘れるはずはなかった。第一、誘ってきたのは彼のほうなのだから、連絡もなく約束を反故にするわけもないこともわかっていた。

泉さんの心配性には困ったものです。それに「連絡もなく約束を反故にするわけもない」といっても、泉は鉄治に自分のケータイの電話番号を教えていません(たぶん)。電話による連絡は泉のほうからはできても鉄治のほうからはできないと思います。

廃墟のような見知らぬ街に潜伏している似たような境遇の二人です。一週間後に会う約束をしたまま一週間の間まったく音信不通というのはいかにも不自然です。いつ何があるかわかりません。それほど頻繁にではなくても、一日に一度ぐらいは連絡を取り合ってお互いの無事を確認しもいいのではないでしょうか。そのほうがお互いに安心できます……。

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