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2010年5月26日 (水)

水木しげる入門・紙芝居の話

紙芝居というと、ほのぼのとした牧歌的イメージとともに語られることが多いですが、実際はそうではなかったようです。紙芝居が隆盛を極めていたころ(1940年代後半から50年代初めにかけて)、紙芝居による「悪影響」を憂慮した「知的文化人」が激しい紙芝居批判を展開していたそうです。

「貸本マンガ RETURNS」(貸本マンガ史研究会編・ポプラ社)によれば、「紙芝居には、おどろおどろしい怪奇ものがいくらも見受けられた。紙芝居におけるリアルな描写は、子どもたちを震え上がらせるに十分であった」として、次のように述べています。

 鬼婆が道に迷った旅人を殺害し、人肉をむしゃぶる身の毛もよだつ画像には、妖怪映画以上の恐怖があった。その画像に接したいがために子どもたちは、紙芝居がやってくるのをベーゴマや縄跳びをしながら何時間も待った。その待ち焦がれる感情は健全そのものである。もし、そのような紙芝居を低劣・俗悪としかみない子どもがいたとしたならば、彼は、当然に「不健康」な子どもであるだろう。「子どもらしい」エネルギーとは、好奇心そのものである。

水木しげるは貸本マンガに転向する前に紙芝居を描いていました。紙芝居というのは現物、即戦、即金というキビシイ世界で、とにかくリクツ抜きで受けることを要求されたそうです。十回連載ものの紙芝居が途中で「受けまへん」と言われてしまうと、二、三日以内に何が何でも受けるようにしないと仕事は打ち切りにされたそうです。

けっきょく、紙芝居は七、八年もやることになるのだが、「受けまへん」のピンチが四、五回あり、しかし、何とかやりぬくことになる。この「やりぬいた」ということがぼくの自信になったようだ。つぎの貸本時代が来て、ここでもしばしばピンチにみまわれたが、紙芝居の時のやりぬいたという自信がぼくのささえになり、いつも土俵ぎわでがんばった。
                  「ほんまにオレはアホやろか」(新潮文庫)

もし、当時の紙芝居が「低劣・俗悪」なものとして条例かなにかで規制されていたとしたら、水木しげるの紙芝居版「墓場の鬼太郎」も間違いなく規制の対象になっていたと思います。受けを狙った怪奇路線が規制されてしまえば水木しげるにとっては大ピンチです。晩成することなく若くして餓死(または筆を折って転職)していたかもしれません。

いま、子供を性的対象にした過激な漫画やアニメなどを規制する東京都の青少年健全育成条例案というのが話題になっています。いつの時代の大人たちも発想が貧困で繰り返し似たような「善意の弾圧」をやってきたのではないでしょうか。あの手塚治虫の「鉄腕アトム」でさえ、かつては悪書追放運動の標的にされて攻撃されていた時代があったといいますから驚きです。

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