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2010年6月 7日 (月)

小池真理子の「無花果の森」・第166回(6/5)まで

 鉄治はたばこの煙を吐き出すと、泉に向かって静かに笑いかけた。「核心から逸らすような話し方ばかりするな、早くはっきり物を言え、って思っているんじゃないのかな」
 その通りだった。だが、泉は曖昧に微笑を返すにとどめた。

泉は自分から積極的に話をするよりも相手の話をじっくり聞くタイプの女性だと思います。いわゆる聞き上手です。ところが鉄治が相手だと、泉はどうでもいいような話題でもなぜか自分のほうからペラペラとしゃべってしまいます。鉄治がモジモジしていてあまり話したがらないからです。泉がしゃべらないと気まずい沈黙が流れてしまいそうです。

こういうときは、「あなたがしゃべらないならわたしもしゃべりません」ということにして、何を聞かれても「別に(沢尻エリカ調)」と言って天井でも眺めているといいんですけどね。

やがて鉄治は覚悟を決めたのか、ポツリポツリと自分自身のことを話し始めました。

鉄治は東京の大学を卒業して小さな新聞社に就職しました。タブロイド紙を出している新聞社です。日本のタブロイド紙といえば、「夕刊フジ」と「日刊ゲンダイ」があります。まあ、「無花果の森」はフィクションなので、「夕刊フジ」と「日刊ゲンダイ」を足して二で割ったような架空のタブロイド紙を出している架空の新聞社があったことにしておきます。「違法行為すれすれのめちゃくちゃな取材をして、めちゃくゃな記事を載せている」という点に関しては「夕刊フジ」と「日刊ゲンダイ」はいい勝負だと思います。

「芸能スキャンダルや風俗業界のシモネタばっかりを追いかけて、読者を煽るような言葉を並べた記事を書いて。嫌気がさしてくるのも早かったです」

鉄治は三十歳になった年にその新聞社を辞めてしまいました。その後、雑誌記者としてしばらくフリーで仕事をしてから、『週刊時代』の嘱託(契約社員)になったようです。

次に鉄治は、『週刊時代』の記者として新谷監督のDV疑惑を取材するようになった経緯について話し始めました。鉄治は新谷監督の件に関してはデスクに申し出て取材の一任を取り付けていたようです。

 「新谷監督本人に向けた、記者としての純粋な興味、っていうところかな。彼が公の場で口にする言葉から受ける印象なんかじゃなくて。もともと、あの人は人格的に何かが大きく欠落しているような気がしてましたから」

新谷監督に関する鉄治の見解は、泉にとって、ほとんど異論の余地がないほど正確でした。

 「本当は線が細い人なんでしょうね」と泉は言った。「臆病で自意識過剰で。私もいろいろ、彼については私なりに分析しました。でも、何であっても、私には耐えられなかったんです。ただ、ただ、恐ろしくて、逃げることしか考えられなくなっていましたから」

泉が話すまでもなく、泉が吉彦の暴力に耐えて長い間なぜ失踪を躊躇していたのかについて、泉の苦悩を鉄治は信じられないくらい正確に理解していました。この人はなんでこんなにも私の気持がわかってしまうのだろうと思ったとき、泉の鉄治に対する警戒心は一気に消え去ったと思います。

 眉をひそめて自分を見つめ、案じてくれる鉄治に、泉は忘れてしまっていたはずの、人間の優しさを感じた。それは胸が熱くなるほどの幸福な感覚の奔流となって、泉の中にあふれ返った。

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