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2010年7月 3日 (土)

水木しげる入門・「ガロ」の話

テレビドラマ「ゲゲゲの女房」に嵐星社の深沢洋一が創刊した「ゼタ」という漫画雑誌が出てきます。この「ゼタ」は、「ガロ」という伝説の漫画雑誌(月刊誌)がモデルになっています。字面(じづら)が何となく似ていますね。

フリー百科事典「Wikipedia 」は、「ガロ (雑誌) 」について、雑誌名の由来や創刊当時の目的について次のように解説しています。

『ガロ』は1964年、それまで貸本漫画の出版などで知られていた編集者、長井勝一により創刊された。その誌名は白土三平の漫画「やませ」に登場する忍者「大摩のガロ」から取っている。

その題材・内容とスケールから連載する場所が無かった白土の漫画『カムイ伝』の連載の場とすることが創刊の最大の目的であった。同時に、活躍の場を失いつつあった貸本漫画家への媒体提供と、新人発掘のためという側面もあった。

詳細は → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AD_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)

長井勝一(深沢洋一のモデル)が立ち上げた青林堂(嵐星社のモデル)という出版社は、「ガロ」を創刊する前は、白土三平の作品を中心に貸本向けの単行本を出版していました。ほとんど壊滅状態だった貸本漫画界でも白土三平の漫画だけは依然として高い人気を保っていたようです。

『「ガロ」編集長 私の戦後マンガ出版史』(長井勝一著・ちくまぶっくす)の中で、長井勝一は次のように述べています。

「サスケ」だけでなく、「いしみつ」、「掟」、「二年ね太郎」、「灰色熊の伝説(上、下)」なども含めて、三平さんの印税だけで三百万円くらいになったはずだが、三平さんには一銭も払っていない。『ガロ』をやるための資金にしろといってくれたのだ。

赤字続きの新雑誌『ガロ』の運転資金を白土三平が全面的に提供してくれていたのです。当時の三百万円といえば、現在の貨幣価値なら数千万円に相当します。大金です。白土三平の描く漫画は豪快ですが、白土三平はお金に対しても太っ腹で豪快な人だったようです。こういう人でないと、人間とは何か、自然とは何か、歴史とは何か、といった壮大なテーマを扱うスケールの大きい漫画は描けなかったかもしれません。

水木しげるがこの白土三平に初めて会ったとき(昭和四十年秋)のことを次のように述べています。

 待ち合わせ場所の王子駅に行ってみたが、まだ誰も来ていない。僕(水木しげる)に会いたがっている三平氏も早目に来るようなことだったのに来ていない。駅のベンチには真黒な足をしたルンペンのような男が寝ているだけだ。
 古武士のような厳格な三平氏が時間に遅れてくるはずはないと考え、ひょっとすると思って、ベンチのルンペンふうの男の顔をのぞいてみると、長髪とヒゲとホコリにまみれた中に、写真などで見たおもかげがあった。

                    「ねぼけ人生」(水木しげる・ちくま文庫)

このルンペンふうの男が「偉大なる白土三平大先生」だったそうです。
   

テレビドラマ「ゲゲゲの女房」は水木しげるの奥さんが主役のドラマであるため、白土三平(ドラマでは赤土四郎)は出てこないかもしれません。故意に伏せているような気もします(偉大過ぎるため)。長井勝一(ドラマでは深沢洋一)が衰退する貸本漫画業界にありながら、あまりお金に困っている様子がなかったのは、おそらく白土三平の漫画を出版していたからだと思います。長井勝一はこんな告白(?)もしています。

わたしが小金井の病院に入院したときは、ほとんどスッカラカンで、一文無しに近い状態だった。それを、始終見舞いに来ては、何から何まで面倒をみてくれたのが三平さんだった。わたしの体に手術を受けられるだけの体力がつき、七本の肋骨におさらばしたのは、一九六二年(昭和三十七年)の一月だったが、手術の費用を用意してくれたのも三平さんである。

                    『「ガロ」編集長 私の戦後マンガ出版史』

 

一九六二年十月に「忍者武芸帳 影丸伝」が完結してから、白土三平は次の大作である「カムイ伝(第一部)」の構想を練っていました。しかし、完全主義者(?)の白土三平のことです。構想が纏まるまで待っていたのではいつになるのかわかったものではありません。

そこで辣腕編集者(?)の長井勝一はとんでもない奇策を考えました。問答無用で『ガロ』を創刊してしまったのです。新作がないので創刊号に収録されたのは白土三平の旧作(「白土三平傑作選」)です。新作が連載されるはずの雑誌が新作を待たずに創刊されてしまったのです。いざ創刊してしまえば、いつまでも旧作の傑作選で凌いでいるわけにいかなくなります。早く新作を描いてもらわなくては困ります、というわけです。

結局、「カムイ伝(第一部)」の連載が始まったのは、創刊から四号目に当たる一九六四年の十二月号からでした。「カムイ伝(第一部)」は一九七一年の七月号で完結しますが、白土三平はこの作品を失敗作だと考えていて(謙遜かも知れません)、「あのとき、長井さんがあんまり急がせたものだから、うまくいかなかった」と、ことあるごとにこぼしていた(?)そうです。でも、最初の構想通りにいかなかったとしても、「カムイ伝(第一部)」は決して失敗作ではありません。失敗作どころか二度と描けない不朽の名作になっています。これには長井さんにも言い分があります。

物事には時機というものがあると思うのだ。急いだために失敗したという点があると同時に、そのときやっておかなければできなかったことというのも、あるだろう。いまある「カムイ伝(第一部)」は、いろいろ欠点があるにしても、やはり三平さんでなければ描けない立派な作品だし、それは、あのとき、無理しても毎月百枚描くということをしなければできなかったものだ、と思うのである。

                    『「ガロ」編集長 私の戦後マンガ出版史』

まさにその通りだと思います。白土三平に毎月百枚のノルマを課して、長井さんがせっついてくれたおかげで「カムイ伝(第一部)」という大作が出来上がったともいえます。ぼやいてばかりいないで感謝もしなくてはいけません。
 
 
さて、初期のころの『ガロ』は、あくまでも白土三平・赤目プロの「カムイ伝(第一部)」がメインでした(なにしろ全ページの3分の2が「カムイ伝」だった)。そんな中でもうひとつの柱となったのが水木しげるでした。

このころの水木さんは、たんに水木しげるの名前で発表した作品だけで『ガロ』に登場していたわけではない。たとえば、一九六五年四月号を見ていただくと、その活躍ぶりがよくわかる。ここでは、まず水木しげる名で、「剣豪とぼたもち」がある。ついで水木さんの本名の武良茂の名で「イソップ式漫画講座」として、「どうなってんの」と「これはたまらん」の二つの掌篇を描いている。また同じ武良茂の名で「劇画小史」を、これは文章で書いている。水木さんが飄逸でユーモラスな調子の文章の書き手であることは、御存知の方もいられるだろう。「劇画小史」にもそれが生きているが、ここではもう一つ、東新一郎という名前で、「ロータリー」という欄に、社会戯評を書いているのだ。まさしく、一人四役で大車輪の活躍をしているのだ。
                    『「ガロ」編集長 私の戦後マンガ出版史』

まあ、多くの人が参加して作っているんだという感じの目次にしたかったのでしょう。『ガロ』の目次に水木しげるの名前がズラリと並んでしまったのでは体裁が悪かったのだと思います。

水木しげるの「剣豪とぼたもち」は今読んでも面白いです。峠の茶店で剣豪・宮本武蔵が雲助と注文のあとさきでもめて、ぼたもちの奪い合いを始めます。みにくい奪い合いの末、雲助にぼたもちを食べられてしまった武蔵は、絶望と怒りのあまりに刀を抜いて雲助の片耳を切り落としてしまいます……まあ、腹が減っているときは剣豪も大名もお姫様もへったくれもない、というお話です。

この「剣豪とぼたもち」は、想像上だけの話にしてはあまりにもリアルです。おそらく水木しげるはどこかで似たような体験をしていたのだろうと思います。長井勝一はこういう奇妙な味わいのある(?)水木しげるの短編が好きだったようです。

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コメント

「剣豪とぼたもち」ですが似たような話が
水木しげる先生の自伝にありました(確か「寝ぼけ人生」)かな

兵営に入ったあとで、どうしてかどこからかアンパンを手に入れてくる
同僚がいて、いくら頼んでも分けてくれなくて便所で醜い争いをしたけど結局目の前で食べられてしまったそうです
その同輩の方はニューギニアで体力をだんだん落としていったけど
兵営時代のこともあって水木先生は助ける気になれず、
結局行軍中落伍して行方不明になってしまった、という話でした。

投稿: 通りすがり | 2010年8月 6日 (金) 01時13分

通りすがりさん、コメントありがとうございます。

なるほど「ねぼけ人生」に、「隣りの班の小林という二等兵が便所でアンパンを食っているところを目撃した」という話がありました(ちくま文庫版の92ページあたり)。

「剣豪とぼたもち」は設定を巧みに変えてありますが、話の内容はこのアンパン事件(?)にそっくりです。食い物の恨みが「剣豪とぼたもち」という迫真の(?)作品を生んだのかもしれません。

投稿: むぎ | 2010年8月 7日 (土) 22時09分

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