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2010年7月 9日 (金)

水木しげる入門・内田編集長の話

水木しげるのメジャーデビューについては、水木しげるの自叙伝を読んでもあまりくわしく書かれていません。

 暑い夏の日のことだった。また「少年マガジン」からやってきた。暑そうだったので、コップに水を入れて出すと(ただの水)、ぐぐっと飲んで、
 「編集方針が変わりましたので自由に三十二ページやってください」
 と言った。僕は、ひきうけた。
 作品が掲載されたのは、昭和四十年八月の「別冊少年マガジン」だった。「テレビくん」という幻想マンガだった。
 これを機会に、雑誌の注文がどんどん来はじめるようになった。

                        「ねぼけ人生」(水木しげる著・ちくま文庫)

たったこれだけです。「テレビくん」は講談社の児童まんが賞を受賞した作品ですが、「墓場の鬼太郎」や「悪魔くん」についてはまったく触れられていません。これではわけがわからんということで、別の角度から調べてみることにしました。

昭和四十年(1965年)といえば東京オリンピックが開催された翌年です。週刊少年マンガ誌の覇権をめぐって少年サンデーと少年マガジンが死闘を繰り広げていた時期です。でも、どちらかというと少年サンデーのほうが優勢でした。

少年サンデーは、「伊賀の影丸」(横山光輝)、「おそ松くん」(赤塚不二夫)、「オバケのQ太郎」(藤子不二雄)といった強力な三本柱が健在でした。

一方の少年マガジンは不運が続いていました。まず桑田次郎が拳銃不法所持で逮捕されて「8マン」が打ち切りに。続いて手塚治虫の「W3」が盗作騒ぎで移籍。さらにはちばてつやの「ハリスの旋風」が新婚旅行のために長期休載……マガジンはサンデーに大きく水をあけられていました(当時の発行部数は、サンデー60万部、マガジン35万部+α)。

1965年7月、劣勢を挽回するために新しく少年マガジンの編集長に抜擢されたのが弱冠三十歳の内田勝(ドラマ「ゲゲゲの女房」では豊川悟)です。創刊して6年間赤字が続いていた少年マガジンを立て直せるかどうかは内田勝の双肩にかかっていました。

その内田勝が編集長として心に決めたことがありました。「サンデーをはじめライバルとなるマンガ誌を一切読まないこと」です。ライバル誌にどんなマンガが掲載されているかというのは、ある意味では一番知りたい気になる情報です。しかし、競合している他のマンガ誌を読んでしまうと、その面白さに影響されてしまって、出てくるアイディアがどうしても二番煎じになってしまいます。

内田勝が考えたのは、もっとも知りたい情報をあえて遮断することによって、ライバル誌(特に少年サンデー)と徹底的な差別化を図ることでした。

そうした上で、マンガ業界を俯瞰で眺めてみると、あることに気付いた。手塚治虫の流れを汲む太い線の明るいマンガが、相変わらず主流とされていたのである。ギャグの天才・赤塚不二夫にしても、元は手塚に憧れて上京し、手塚を模倣した作品からスタートしている。貸本から人気作家に躍進した白土三平にしても、初期の作品には、手塚色がないこともない。

                        『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』

 

このような状況認識から出発してライバル誌と徹底的な差別化を図ろうとすれば、アンチ手塚路線を打ち出すしかありません。そして手塚マンガともっとも遠いところにあったのが貸本マンガでした。

アンチ手塚路線を模索していた内田勝にとっては、消滅寸前の貸本マンガ業界で悪戦苦闘を続けていた当時の貸本マンガ家が宝の山に見えたのではないでしょうか。その貸本マンガ家の中でも、もっとも手塚的でない(=人類の明るい未来とは無縁の)マンガを描いていたのが水木しげるでした。内田勝はまず水木しげるに白羽の矢を立てることになります。

 東京・調布の深大寺にある仕事場を訪ねた内田は、息を呑んだ。水木は、体をよじって腕のない左肩で紙を押さえ、ぐわっと見開いた眼は紙から数センチのところで、残った右手で執念を込めるようにして墓場の場面をコツコツとペンで点を打ちながら描いてゆくのである。
 点描する音はいつ果てることもなく続く……内田は思わずゾッとして鳥肌が立った。

                        『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』

「墓場の鬼太郎」は夏休み特別企画として3回ほど『週刊少年マガジン』に掲載されました。読者の反応はさっぱりだったそうです。子どもには内容が怖すぎたのかもしれません。そこで、今度は作品を替えて「悪魔くん」で再チャレンジすることにしました。

このころの内田勝は、「何が何でも水木しげるを売り出してみせる」という執念に燃えていたのだろうと思います。編集者をそういう気にさせるのも、ある意味ではマンガ家の才能(?)であるといえるかもしれません。

「悪魔くん」が実写特撮でテレビ番組化の話が決まってから、こんどこそ本丸の「鬼太郎」を人気作品に押し上げようと、あの手この手で「鬼太郎」のメジャー化作戦が始まりました。

水木の人気は読者アンケートで相変わらずビリ争いだった。かつて、牧野編集長時代はビリを3回続けてとると、有無をいわさず打ち切りだったが、内田は水木を信じ、黙って連載を継続させた。

                        『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』

  

そして思わぬところから「鬼太郎」の人気に火がつくことになるのですが、詳しくは『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(大野茂著・光文社新書)を読んでください。

  

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