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2010年8月 8日 (日)

水木しげる入門・つげ義春の話

連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」に出てくる小峰章(斎藤工)というアシスタントは、マンガ家・つげ義春がモデルであるとされています。ドラマでは物静かな好青年といった感じですが、モデルのつげ義春というマンガ家はいったいどういう人だったのでしょうか。

「月刊漫画ガロ」の「つげ義春特集」(1968年6月増刊号)に寄せられた「つげ義春氏との出会い」という水木しげるのエッセイがあります(これがまたすこぶる面白いです)。

1960年(昭和三十五年)ごろ、当時長井勝一氏(ドラマでは深沢洋一)がやっていた三洋社という貸本漫画出版社での出来事です。

 「つげさん、つげさん」
 長井氏の障子が破れたような声がいきなりひびいたのでうしろをみると、髪の長さ四十五センチぐらい、ヒゲ十二センチぐらい、おそらく顔にはアカもかなりくっついていたのではないかと想像しているが、何しろその異様な風体に圧倒されて声をかけたらしかられやしないかと、ぼく(水木しげる)は三洋社の片隅で震えていた。

この「異様な風体」の男がつげ義春でした。「髪の長さ四十五センチぐらい、ヒゲ十二センチぐらい」というのは、「ゲゲゲの女房」で水木しげるが初めて出あったときの小峰章の風体にそっくりです(テレビドラマはほとんど実話ですが、時空はかなり歪んでいます)。

つげ義春は貸本マンガ家としてのデビューは水木しげるよりも早く、水木しげるが紙芝居を描いていたころにすでに貸本マンガ家として活躍していました。貸本マンガ家として遅れてデビューした水木しげるには周囲のマンガ家が妖怪のように見えたのではないでしょうか。

 ぼく(水木しげる)はこのころ「忍風」(三洋社刊)あたりで奇妙なユーモラスな(つげ義春の)作品を拝見していたからこれはてっきり天才と勘違いしたのである。(いやこの勘違いは偶然にも的中しておったのである。それは後年分かったことである。)

(中略)

 それからまもなくぼくは忙しくなった。(つげ義春)氏に手伝ってもらう必要を感じて長井氏に電話した。長井氏の返事は、「やるかなあ、なにしろあまりやらんからなあ」ということだった。(つげ義春)氏はちょうど長年すんでいた町を去ってどこかへ行きたい気分になっていたときであったから、間もなくぼくのところに現れた。それから一年半ばかりであったが手伝ってもらった。

怠け者(?)のつげ義春氏がなぜクソ忙しい水木さんの手伝いをすることになったのでしょうか。「ねぼけ人生」(水木しげる著・ちくま文庫)ではつげ義春がやってきた時のことが次のように述べられています。

 大方の予想では来ないだろうという話だったが、正月に徹夜してボンヤリしていると、電話がかかってきた。「すぐ行く」という奇蹟のような返事だった。
 つげさんは、たしかに、すぐ来たのはよかったが、着のみ着のまま。後でわかったことだか、どうやら恋愛問題で逃げ場をさがしていた時だったので、かくも敏速に事がはこんだようだ。

どうやら「奇蹟の影に女あり」だったようです。

さて、水木さんの仕事を手伝うようになったつげ氏ですが、その仕事ぶりはどんなだったでしょうか。

 (つげ義春)氏は、長井氏の言葉とは逆に、ものすごい努力家であった。その証拠に働きすぎて手が動かなくなってしまった。(天才に不運はつきものである。)しかし努力家の氏はその間ぼつぼつネタをためていたのだ。手がなおるとバタバタと描き出したね。それがまた佳作ばかり(中には人によって分からんのもあるが)、そして日本に随筆マンガともいうべきジャンルを確立したのである。(これは大したことだ。)漫画賞をやるならば氏のような人与えるべきで、あまり有名(?)になってお金をたくさんもうける人にやってもなんにもならん、とぼくは思っている。

このあたりには、メジャーデビューをして、ガキ相手のなさけないマンガ(つまり商業主義的マンガ)を描くようになってしまった自分に対する水木さんの自責の念が込められているような気がします。

 

この「つげ義春氏との出会い」というエッセイは、水木しげるからつげ義春へ、愛を込めた(?)最大級の賛辞によって締めくくられています。

 今や(つげ義春のところには)いろいろな出版社から描いてくれという注文がきているが、(つげ義春はその注文を)すべて断って、先日も風のように旅に出た。「ガロ」に描くためである。

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コメント

つげ義春の「苦節十年記」には、つげ義春が生活苦から水木しげるのアシスタントをすることになったときの心境が次のように述べられています。
 
 「私(つげ義春)はマンガを十年やってきて、業界では多少名前を知られているプライドもあって、今さらアシスタントになることにいくらかの抵抗もあったが、忙しいときだけ日払いの日雇いという助っ人みたいなことで話が決まり、ケチなプライドを保つことができた。しかしその日払いが、当時の水木にはかなり苦しいものであったことがあとで判った。雑誌社からの支払は一、二ヵ月先で、毎日の現金に追われ、あちこちで借金をしていたということだ(敬称略)」
 
こうした裏の事情は水木さんの自叙伝を読んでいてもなかなか出て来ません。加害者(?)であるつげ義春が白状(?)しなければ永遠に藪の中です。自他共に許す怠け者のつげ義春が水木プロダクションでは腱鞘炎になるほど仕事をしてしまったのも、さすがに水木さんに申し訳ないという気持があったからかもしれません。

投稿: むぎ | 2010年9月23日 (木) 16時26分

つげ義春に「ある無名作家」(「COMICばく2」1984年9月号に発表)という作品があります。ちくま文庫のつげ義春コレクションでは、「近所の風景/無能の人」に収録されています。

五月五日のこどもの日のことでした。つげ義春を思わせる安井という男のところに奥田という昔のアシスタント仲間が子どもを連れて訪ねてきました。「ある無名作家」というのはこの奥田のことです。

安井と奥田はかつてA先生のところでアシスタントをしていました。作品の中に直接A先生は出てきませんが、Aプロダクションの外観が出てきます。「ゲゲゲの女房」に出てきた水木プロダクションにそっくりです。「Aさん いつのまにか大家になりましたね」などというセリフも出てきます。

今では大学出のマンガ家など珍しくもありませんが、当時(おそらく1960年代)のマンガ家は中卒という人が多くて、高校まで出ていれば「輝けるエリート」だったといいます。そんな中で、奥田は大学の英文科を卒業していながらA先生のアシスタントをしているという変り種でした。Aプロダクションの仕事場でいつも英字新聞を読んでいるという何とも嫌味な男です。

その奥田は安井と入れ替わるようにしてアシスタントを辞めてしまい、バーテンをしながら酒によっては客にからむような荒れた生活を送っていました。転落の人生です。この奥田という人物にだれかモデルがいたのか、詳しいことはよくわかりません。
 
奥田はやがて米軍基地のあるF町(おそらくは福生市)で外人相手のトルコ嬢(=ソープ嬢)と「結婚生活」を始めるようになります。女には伸一という連れ子がひとりいました。奥田は自分の子どもではない伸一をつねったり殴ったりして面白がっているようなところがありました。今でいう幼児虐待です。

安井が久しぶりに奥田を訪ねると、奥田はトルコ嬢の女房を相手に、

「お前ね、OMANKOはOMANKOのままで通じるんですよ。国際語ですからね」

などと得意の(?)英語を教えていました。

ところが三年前のことです。奥田の女房は小学1年生になる伸一を奥田に預けたままいなくなってしまいました。失踪です。以来、奥田は伸一(=逃げた女房の子ども)と二人暮らしです。

安井(つげ義春)は、何かに怯えるようにして生きている薄幸の少年・伸一に、義父にひどい仕打ちを受けて育った子供の頃の自分を重ねていました……。
 
 
「ある無名作家」はザッとこんな内容の作品です。作中で創作とは何かということが饒舌に語られています。深く考えないでヘラヘラ生きている安井と深く考えすぎて転落していく奥田は、まったく違う人物のようでいてどこか共通したところがあります。

人間は誰でも二つ以上の顔を持っています。「安井」と「奥田」という二人の人物はどちらもつげ義春の分身なのかもしれません。当時のつげ義春の内面には「安井」と「奥田」が巣食っていて、両者の間を振り子のように揺れ動いていた……そう考えてこのマンガを読むとけっこう怖いです。

投稿: むぎ | 2011年2月10日 (木) 13時59分

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