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2011年2月15日 (火)

大相撲の八百長問題・過去のことをほじくるのはやめたらどうかね

高知県高知市出身の第32代横綱・玉錦三右エ門(1903~1938)について、Wikipediaは次のようなエピソードを紹介しています。

(玉錦は)八百長が大嫌いで、小結時代の昭和3年1月千秋楽には全勝での初優勝を目前にした三杦磯(みすぎいそ)の外掛けを堪え打っ棄りで倒した(優勝は大関常陸岩)。また、武藏山が優勝や横綱を目前にした時にも何度も撃破している。このため國技館内は「玉錦負けてやれ」の大合唱になることも少なくはなかったという。三杦磯との一番では「負ければその場で引退しようと考えていた。誰が見ても八百長といわれるだろうから」と言ったといわれる。一方常陸岩から優勝祝勝会への出席を誘われても、「他人のために相撲を取ったのではない」とこれを断った。こうした逸話に代表されるように、直情、純真な性癖から要領よく立ち回るということができず、悪役のイメージを育ててしまったという評もある。

詳しくは → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%8C%A6%E4%B8%89%E5%8F%B3%E3%82%A8%E9%96%80

このエピソードでは、むしろ観客が玉錦に八百長を要求して、それを拒んだ玉錦が人情を解さない悪役にされています。ここ一番というときに玉錦がわざと負けていれば、観客は八百長とわかっていてもその男気(おとこぎ=弱い者が苦しんでいるのを見のがせない気性)に拍手していたかもしれません。

近代スポーツの勝敗至上主義とは別に、相撲には伝統的に「勝負というものはただ勝てばいいというものではない」という美学(?)があったのではないでしょうか。

この玉錦が郷土(土佐)のヒーローとして「鬼龍院花子の生涯」に出てきます。

東京相撲の地方巡業は早くから行われていたが、玉錦が幕内に入った辺りから人気は急上昇し、毎年十二月の二十日から五日間、柳原(やなぎわら=柳が多く生えている野原)に天幕を張って開かれる興業の間、高知市は沸き返るほどのさわぎになる。
                「鬼龍院花子の生涯」(宮尾登美子著・文春文庫)

相撲の地方巡業は出身地の力士に花をもたせる慣わしになっていて、八百長が嫌いという玉錦も高知市での巡業では5日間ほぼ全勝ということに決まっていたらしいです。

一口に八百長といっても、相撲賭博の胴元(=暴力団)が大儲けするために番狂わせを演出するような八百長から、個人が自己責任によって負けを引き受ける八百長まで、その内容は様々です。

現在のマスコミのように八百長はすべて悪として糾弾しようとすると出口が見えなくなります。黙認されてしかるべき八百長もあるという柔軟な姿勢もあっていいのではないでしょうか。

この際、過去に拘るよりも、八百長を含めてこれからの大相撲がどうあるべきかに知恵を絞った方が生産的です。十両と幕下の極端な待遇の格差などはまさに八百長をしてくださいといわんばかりです。これで八百長をするなって、要求するのが無理というものです。

相撲協会が自分から「過去に拘らず」とは言い出せませんから、たとえば現執行部が責任を取って総辞職することを条件に、過去の八百長については賭博などの犯罪絡みでない限り不問に付すことにしてはどうでしょうか。今のままではいつまでたっても埒が明きません。本場所が開けないのでは真面目な力士がかわいそうです。

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