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2011年8月30日 (火)

坪内祐三の『ストリートワイズ』(講談社文庫)を読む

毎月文庫の新刊を1冊読むことにしています。何を読むかはそのときの気分で決めます。7月は坪内祐三の『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』を読むことにしました。

この本は、明治の元号と満年齢が一致する慶応三年生まれの七人の評伝を同時進行で進めることによって、明治という時代を立体的に描こうとした大変な労作です。個人的には興味深い本でしたが、いかにも売れそうもない本です。

この坪内祐三という人、大学の先生ではなさそうだし、こんな売れそうもない本ばかり書いていて、ご飯食べていけるのだろうかとちょっと心配になりました。夏目漱石の小説でさえ読まれなくなりつつある現在、こうした本は普通の人はまず読みません。だいたい斎藤緑雨なんてほとんどの人は名前すら知らないと思います。

あえてこういう売れそうもない本を書く坪内祐三とはどういう人なのだろうかと思ってネットで調べたところ、坪内逍遥の曾孫ではなかったですが、いいとこのお坊ちゃん(父親が元日経連専務理事)で、あまり生活には困っていないみたいでした。フリー百科事典のWikipediaでも、(その著作において)「金銭に余裕のある現代のオタクや高等遊民のような側面を見せる」と評されていました。つまり、売れようが売れまいが知ったこっちゃない、自分の興味のあることを徹底的に追及する「旋毛曲り」の人みたいです。

『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』は明治27年8月1日の日清戦争勃発のところで突然終わっています。「あとがき」には次のように書かれていました。

 唐突に思えるかもしれないけれど、いちおう、これはこれで完結したのである。
 私は飽きてしまったのである。

 

先日、新宿のジュンク堂で文庫本の棚を眺めていたら、講談社文庫のところに『ストリートワイズ』という坪内祐三の本があるのを見つけました。奥付をみると、「2009年4月15日第1刷発行」となっていました。つまり売れてないんですね。ジュンク堂だからかろうじて並んでいたもののスペースの限られた普通の街の本屋さんではまずこの本は置いてありません。つい買ってしまいました。
 
 
この『ストリートワイズ』はエッセイ集です。この本を読むと、坪内祐三(1958~)がどのようにして保守反動の重鎮(?)福田恆存(1912~1994)に可愛がられるようになったのか、またどのようにして親子ほども年の離れた文化人類学者・山口昌男(1931~)と親しくなったのかがわかります。

『ストリートワイズ』に収録されている「一九七九年の福田恆存」(追悼文)によれば、学生時代の坪内祐三は、福田恆存が隊長(?)を務めていた現代演劇協会の事務局員の募集(ほとんどタダ働きのアルバイト)に応募して初めて福田恆存に会ったそうです。そのときの印象を次のように述べています(坪内祐三21歳、福田恆存67歳のころです)。

ただ一つ憶えているのは、自分の孫ほどに年の離れた一介の大学生相手に、少しも偉ぶることなく、一人前の会話相手として対等に接してくれた福田さんの姿である。これには驚いたし、感動した。私はそれまで、そういう大人に出会ったことがなかった。

話しているうちに坪内祐三が福田恆存の著作のかなり熱心な読者であるとこが福田恆存に伝わりました。おそらく、その著作で言わんとしていることが正確に坪内祐三に理解されていて、その正確に理解されているということがこれまた正確に福田恆存に伝わったのだと思います。

大思想家だって人の子です。自分の著作の熱心な読者(理解者)が現れればそりゃあ悪い気はしません。しかも相手が学生となれば、いやでも坪内祐三を可愛がりたくなろうというものです(新潮文庫の坪内祐三著・『考える人』によると、坪内祐三の父と福田恆存は知り合いだったらしいです)。

ところで、この福田恆存という人は何を問題にしていた思想家だったのでしょうか。「一九七九年の福田恆存」の中で、坪内祐三は『諸君!』1980年6月号に掲載された「言論の空しさ」という福田恆存の論文に言及して次のように述べています。

 この時期、日本の言論界は、ソビエトのアフガニスタン侵攻、中国の四人組裁判などの影響で、左派いわゆる進歩的文化人、およびそのシンパたちが勢いを失い、右派は、それみたことかと、己の状況分析の正しさを我先にまくしたてていた。先見の明を誇ってよいはずの福田さんは、そういうジャーナリズムの中で居心地の悪さを感じていた。孤立していた。

この「居心地の悪さ」は何に起因するのでしょうか。孫引きになりますが、坪内祐三は福田恆存の「言論の空しさ」から次の箇所を引用しています。

 なるほど平和論批判の時、私(福田恆存)の為に援護射撃してくれる人は殆ど無く、私は村八分にされた、その頃に較べれば確かに世の中は変り、私の様な考へ方(反左翼的考え方)は、「常識」になったとさへ言へる。寧ろ左翼的な「進歩的文化人」の言論の方が村八分にされかねない世の中になった。そして私は二十数年前と同様、厭な世の中だなと憮然としてゐる。その意味では、世の中は少しも変ってゐはしない。

注)福田恆存は頑固一徹の人で最後まで旧仮名遣いをやめませんでした。

1980年当時、何が変ったかといえば、世界情勢の変化によって左翼的言論が流行らなくなり、右翼的言論がもてはやされるようになりました。変わったのはただそれだけです。時代の空気に流されて、自分の頭で物事を考えようとしないジャーナリズムの体質(=根本的欠陥)は、百年一日のごとくまったく変わっていないというのが福田恆存の認識です。

忙しくて考えている暇がないのか、考えていると貧乏神に取りつかれて出世ができなくなるのか、いつの時代でも大半の人は状況に身を任せて深く物事を考えようとはしません。そのほうがが人生楽だからです。「厭な世の中」と言われてしまうと返す言葉がありません。実にすまんことです。
 
 
さて、文化人類学者の山口昌男とは、坪内祐三はどこでどうして知り合いになったのでしょうか。どうやら古本好きという趣味が共通していて意気投合してしまったみたいです。『ストリートワイズ』には、「『月の輪書林古書目録9』を読む」という世にも奇怪なエッセイが収録されています。このエッセイの中で坪内祐三は次のように述べています。

 かなりの読書家で、本については口うるさい私の友人の何人もが、この目録を手にしてしばらくの間、注文したい本のチェックを忘れて読みふけり、この目録の世界にはまってしまったと告白していた……中略……なかでも、その中毒症状が激しかったのは(たぶん私以上に)、ほかならぬ『本の神話学』の著者である山口昌男氏である。山口さんは私に、この目録に目を通したあとで、しばらくは、もうほかの目録を手にする気が起きない、と語った。

古書の目録を読んで感動できるようになれば、読書家としては達人の域に達したといえるのかもしれません。そして、その達人の読書家を感動させる目録が作れる古本屋は、これぞまさしく古本屋の達人です。読書家と古本屋の戦い……世の中にはマニアックな世界があったものです。

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