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2011年9月29日 (木)

アニメ「バクマン。」・集英社と少年ジャンプはどうしてタブーなの?

「週刊少年ジャンプ」に連載中の「バクマン。」は、マンガの中に集英社や少年ジャンプが実名で出てきます。ところがNHK Eテレが放送しているテレビアニメの「バクマン。」は、集英社が遊栄社に、少年ジャンプが少年ジャックにと、その名称が変更されています。

公共放送のNHKが実在する出版社や雑誌の名称をドラマやアニメに登場させると宣伝になるのでまずいということなのかもしれません。しかしあまりにも不粋です。

理屈をいえば、NHK Eテレが「バクマン。」というアニメを放送すること自体、雑誌連載中で実在しているマンガの宣伝をしていることになるではありませんか。

タイトルは「バクマン。」のままでよくて、集英社や少年ジャンプが実名なのはいけないという理屈がどうもよくわかりません。だいたいほとんどの視聴者がすでに知っている事実を、放送する側のNHKだけが必死になって(?)隠そうとしているというこのバカバカしい構図はなんとかならんもんでしょうか。形式主義にもほどがあります。

ここでさらに屁理屈をいわせてもらうと、もし「バクマン。」が「少年ジャンプ」に連載中のマンガであることを知らずにアニメだけを見ていた小学生がいたとします。そんな小学生はおらんやろ?まあ、いたことにしてください。

その小学生が後日「バクマン。」が現在雑誌に連載中のマンガであることを知って、急に「バクマン。」に強い興味を抱くようになったとします。その小学生は、「少年ジャンプ」や「バクマン。」のジャンプコミックスを買ったりするようになるかもしれません。故意に隠すと、そのことによって「バクマン。」がより神秘的なイメージを纏うことになり、隠すことがかえって宣伝効果抜群ということにもなりかねません。

「秘すれば花」です(意味がちょっと違うかな?)。いまや、民放では、わざと商品名を隠して言わないコマーシャルが流行りだしています(うそ)。
 
 
かつて、昭和の歌姫・山口百恵が歌っていた「プレイバックPart2」という曲にはこんなエピソードがありました。

NHKの音楽番組(『レッツゴーヤング』など)に出演した際は歌詞中の「ポルシェ」の部分が宣伝に当たるという理由から「クルマ」に置き換えて歌っていた。しかし、自身初の紅組トリで出場した『第29回NHK紅白歌合戦』での歌唱をきっかけに、以後はNHKでも「ポルシェ」と歌っている。

詳しくは → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AFPart2

この例からもわかるように、宣伝云々といってもその基準はかなりいい加減で曖昧です。「プレイバックPart2」の例などは、現場が上司の考えを忖度して勝手に過剰な自主規制をしていた可能性が大です。こういうときにこそリーダーシップが問われます。

 「『集英社』や『少年ジャンプ』は『バクマン。』という作品の重要な構成要素だ。何かあったらオレが責任をとる。実名のままでかまわん」

このように決断できる(佐々木編集長のような)責任者がNHKにはいなかったのでしょうか?
 
 
最近放送が終了したTBSの連続テレビドラマ「華和家の四姉妹」では、四姉妹の長女・藤子(吉瀬美智子)が講談社のファッション雑誌「with」の副編集長という設定になっていました。もちろん、講談社もファッション雑誌「with」も実在します。「バクマン。」も民放でアニメ化してもらえばよかったのにね。

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2011年9月27日 (火)

「バクマン。」・第25話<ありとなし>(再放送)を観る 

いよいよ12月期の連載会議です。「少年ジャック」の連載会議のメンバーは次の6名です。

 編集長
  佐々木尚(ささきひさし) 
 副編集長
  矢作(やはぎ)
  瓶子吉久(へいしよしひさ)
 班長
  相田聡一(あいだそういち)
  吉田幸司(よしだこうじ)
  中野博之(なかのひろゆき)

連載会議にかけられる作品は13本です。どの作品を新連載にするかはメンバーの意見を参考にしながら最終的に佐々木編集長が判断します(多数決ではありません)。

会議にかけられた作品は連載「あり」と「なし」にわけられます。「なし」になった作品は、次の3つのどれかに振り分けられます。

 1.練り直しして再検討するもの
 2.読み切りで試すもの
 3.まったくダメのボツ

「あり」の作品は新連載になりますが、新連載の作品を決めるということは同時に打ち切りの作品も決めることになります。新連載の作品が増えればそれだけ打ち切りの作品も増えます。マンガ家にとって、マンガ雑誌というのは、限られた指定席(連載)を必死で奪い合うなんともシビアな世界です。そんなシビアな世界でも、連載をやめたいと申し出たのになかなかやめさせてもらえなかった人気マンガ家もいました(「ドラゴンボール」の鳥山明)。

さて、連載会議にかけられた13本の作品のうち、連載が決まるのは2~3本です。しかも、13本のうちすでに連載経験のあるマンガ家の作品が4本含まれています。新人が初めて連載を勝ち取るのは至難の業です。

この日の連載会議では、どういうわけか佐々木編集長が「あり」を連発しました。7本検討した段階ですでに「あり」が4本です。最終的に「あり」が何本になるのか、会議の進行役を務めていた矢作副編集長は心配になってきました。しかし佐々木編集長はブレません。

 「何本になろうと、面白いものはありだ」

さすが編集長です。
 
 
連載会議にかけられた13本の中に、吉田さんが担当している平丸一也という脱サラをした異色のマンガ家の作品が含まれていました。平丸さんは26歳ですが、ほとんどマンガを読んだことがなかった人です。たまたま電車の網棚にあったジャックを手にして、これなら自分にも描けると思いました。平丸さんはその日のうちに会社に辞表を提出して、1ヵ月後には早くも作品を仕上げて月例賞に応募してきました。その作品が「ラッコ11号」です。月例賞では佳作でした。

 吉田 「だいたいの人は小さいころからマンガが好きで、気に入ったマンガの絵を真似するところから入ります。そして、マンガの描き方の本などで知識を得て、描き始める……今はそういう情報が溢れてますからね。でも、平丸さんはジャック1冊から1人で試行錯誤し、スクリーントーンも知らずに投稿してきた。しかも、すぐにアニメにもできるようなキャラを作っている。まったくの素人がたった1ヶ月で……天才です」
 
 佐々木編集長「面白いじゃないか。ネームもいい。ありだ」
 
 
いよいよ亜城木夢叶の「疑探偵TRAP」の検討が始まりました。まずは相田さんの推薦の言葉です。

 相田 「どうやら二人(最高と秋人)は新妻エイジを意識し、自分たちも高校のうちにと考えているようです。(努力もしているし才能もあるから)望むならやらせてやっていいのではないかと……」

その後は議論百出です。

 「(高校に行きながらという)そんな茨の道をあえて進まなくても」
 「中学生のときから、編集部によく足を運んでたな。さっきの平丸くんとは真逆で、すべてがマンガ家になるため、いい意味で新人ぽくない」
 「たしかにネクストのときからネームがしっかりしてましたよね。気持悪いくらいに」
 「でも、推理ものは知識量が重要です。若い彼らではすぐに苦しくなるんではないですか」
 「苦し紛れに途中からバトルものに、なんてことになりかねない」
 「10話までのネームを読んだ限りでは、期待は持てます」
 「でも、不安はありますよ。若すぎる」
 「たしかに信用しすぎるのはよくないだろうな」

最後は佐々木編集長のツルの一声です。

 「3話までのネームは面白い。ありだ」

とうとう13本中7本も「あり」になってしまいました。いくら「あり」でも7本全部を新連載というわけにはいきません。さらに検討を重ねて最終的に4本の新連載が決まりました。

午後2時から始まった連載会議は揉めに揉めて、終わったのは午後7時半過ぎでした。一日千秋の思いで結果の連絡を持っていた最高と秋人のところに服部さんから電話がありました。日本語で一番美しい言葉は「ありがとう」ですが、二番目に美しい言葉を服部さんが言ってくれました。

  「おめでとう」

「疑探偵TRAP」の連載が決定です!!最高は亜豆美保にメールで連載が決まったことを知らせました。亜豆から電話がかかってきました。最高が亜豆と話をするのは中学を卒業して以来です。

 「どうしょう。真城くんと話せるのがこんなに嬉しいなんて。信じてる。いつか夢が叶って、(結婚して)ずっといっしょにいられるときがくるのを」

秋人の彼女の見吉香耶はそれなりにかわいくて人間味があります。しかし、最高の彼女の亜豆美保はどうも好きになれません。性格的になんだか重くてめんどくさそうです。見吉香耶と亜豆美保の人気投票をやったら8対2ぐらいで見吉香耶が圧勝するのではないでしょうか。もっともオタク的な少年にとっては、亜豆美保のような純情可憐(?)な美少女が理想なのかもしれません。
 
  
最高と秋人は高校に通いながらいよいよ本格的なプロデビューです。いざ連載となると、遊栄社と正式に契約したり、アシスタントが必要になったりします。担当の編集者も服部さんから港浦吾郎(みうらごろう)という新しい編集者にかわりました。真面目で的確なアドバイスをしてくれていた服部さんに較べると港浦吾郎はどことなくヘラヘラした感じです。最高と秋人はこの人とうまくやっていけるのでしょうか……。

 
続きは → http://mugigicat.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-9c54.html

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2011年9月26日 (月)

「バクマン。」・第24話<電話と前夜>(再放送)を観る

「バクマン。」第2シリーズが10月1日(土)からスタートします。時間帯が変更になって午後5時30分からになりました。これまでは日本テレビの「名探偵コナン」と同じ時間帯(午後6時から)でした。視聴率的には苦戦を強いられていたものと推測されます。

「バクマン。」は地味なアニメです。内容的に小学生が好んでみるようなアニメではありません。むしろ深夜にでも放送した方が視聴率的にはいいような気がしますがどうなんでしょうかね。

時間帯が変わって視聴率がどうなるか気になるところですが、第2シリーズは是非アニメ番組の視聴率ベスト10に入るくらいの人気(視聴率4%程度)になって欲しいものです。
 

さて、9月24日に放送された第24話(再放送)は、金未来杯のゆくえがどうなったかです。読者アンケートの結果は以下の通りでした。

       票 数   順位  支持率 
No1 1312票  3位    79%  KIYOSHI騎士(福田真太)
No2 1321票  3位    76%  疑探偵TRAP(亜城木夢叶)
No3 1103票  3位    73%  hideout door (蒼樹紅/中井巧朗)
No4  482票 14位    53%  カラフジカル(間界野昂次)

得票数では「疑探偵TRAP」(亜城木夢叶)がトップ、支持率では「KIYOSHI騎士」(福田真太)がトップでした。得票数にしても支持率にしてもその差はわずかです。「KIYOSHI騎士」を支持する読者の平均年齢は17.5歳、「疑探偵TRAP」を支持する読者の平均年齢は14.3歳です。

アンケートの結果だけからこの2作品に優劣をつけるのは難しいです。結局、金未来杯は史上初の2作同時受賞ということになりました。第22話で新妻エイジが「三番は決まりですけど、一番は引き分けです」と予想していましたが、その通りになりました。

 
金未来杯を受賞したからといって「週刊少年ジャック」への連載が無条件で保証されるわけではありません。どの作品を新連載としてスタートさせるかは連載会議で決めることになります。

惜しくも受賞はならなかった「hideout door」(蒼樹紅/中井巧朗)も連載会議で検討されることになり、金未来杯からは「カラフジカル」(間界野昂次)を除く3作品が連載会議にかけられることになりました。

3ヶ月に1回開かれる連載会議はキャップ(班長)以上のメンバーで構成されます。ヒラ(?)の編集者は連載会議のメンバーではありません。したがって服部さんや雄二郎さんはまだ連載会議には出席できません。

亜城木夢叶を担当している服部さんは、班長の相田さんに連載会議で亜城木夢叶の作品を推してくれるように頼みました。

 服部 「当然会議で高校行きながら描けるかっていう意見が出ると思うんです」

服部さんは連載のネックは唯一亜城木夢叶の二人が高校生2年生だと言わんばかりです。作品(「疑探偵TRAP」)に絶対の自信がなければこういうセリフは出てきません。

 相田 「おいおいすごい自信だな。そこまでいったらの話だが……まあ、そうなるだろうな」

相田さんも亜城木夢叶の実力は高く評価しているようです。

 服部 「会議には3話までしか出しませんが、ネームは10話、ほかに連載になったときを考えて、2週間に1本描かせた(完成)原稿が5話。それも金未来杯のと同時進行です」

服部さんは、亜城木夢叶(最高と秋人)が高校に通いながら週刊誌の連載が可能かどうか、ひそかに「予行演習」を実施していたことを相田さんに打ち明けました。これには相田さんもびっくりです。

なんとしても亜城木夢叶に新連載を、という口先だけではない服部さんの熱意が相田さんにも伝わったと思います。連載会議で「高校行きながら描けるのか」という疑問が出たら「このオレがねじ伏せてやる」と、相田さんは決心しました(たぶん)。

 相田 「わかった。ここまでやってる、できる、という事実は伝えるよ」

 
 
連載会議の前日です。編集部で気を揉んでいるよりいいだろうということで、雄二郎さんが服部さんを飲みに誘いました。焼き鳥屋でビールです。仲がよさそうな二人ですが、差しで飲むのはこれが初めてらしいです。担当しているマンガ家の作品が連載会議にかけられるというのは、編集者としても気になって落ち着いてはいられないみたいです。

服部さんによれば、過去に「ROOKIES」から「HUNTER×HUNTER」まで、ベテラン新人合わせて5本の新連載を決めた連載会議があったそうです。1998年の連載会議です。ラインナップは次の通りです。

 1998年
   10号 「ROOKIES」森田まさのり/新連載(~2003年39号)
   11号 「少年探偵Q」円陣・しんがぎん/新連載(26号で打ち切り)
   12号 「河童レボリューション」義山亭石鳥/新連載(32号で打ち切り)
   13号 「ホイッスル!」樋口大輔/新連載(~2002年45号)
   14号 「HUNTER×HUNTER」冨樫義博/新連載(いまだ連載中・休載多し)

これは服部さんや雄二郎さんが遊栄社に入社する前の「伝説の時代」の話です。現在では新連載はせいぜい2~3本です。

 
続きは → http://mugigicat.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-d298.html

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2011年9月17日 (土)

ビートルズ入門・どう聴けばいいの?

中山康樹氏の「これがビートルズだ」(講談社現代新書)で、"Golden Slumber" の手前、"She Came In Through The Bathroom Window"の解説を読んでいたら、なぜか突然涙が溢れてきました(ウソ)。

奇書・「これがビートルズだ」という本の主張を乱暴に要約すると、

 ダメなものはダメというこのわたしが、(一部の例外を除いて)こんなに絶賛しているんだから間違いない。ビートルズは素晴らしいんだ。

こんなところだと思います。無防備な一般の人を洗脳してビートルズ教に改宗してしまおうとする意図があるのかないのかわかりませんが、音楽の好みは人それぞれです。誰しもがビートルズをまるごと好きになる必要はありません。

そこで、ごく普通の人が、たとえば中山康樹氏の「これがビートルズだ」に感化されてビートルズでも聴いてみようかと思ったとします。そのとき、どうすればいいのかを考えてみました。

まず、ビートルズの活動期間を初期、中期、後期、晩期の四期に分けます。「これがビートルズだ」でとりあげている15枚のアルバムを分類すると次のようになります(一部順不同)。

初期
 1.「プリーズ・プリーズ・ミー」
 2.「ウィズ・ザ・ビートルズ」
 4.「ビートルズ・フォー・セール」

中期
 3.「ア・ハード・ディズ・ナイト」
 5.「ヘルプ」
 6.「ラバー・ソウル」

後期
 7.「リヴォルヴァー」
 8.「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
 9.「マジカル・ミステリー・ツアー」
10. (「イエロー・サブマリン」)

晩期
11.「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」
13.「アビー・ロード」
12.(「レット・イット・ビー」)

初期~中期
14.「パスト・マスターズ・Vol1」

中期~晩期
15.「パスト・マスターズ・Vol2」

 

それぞれの活動期間を代表するアルバムは次の通りです。

 初期・「プリーズ・プリーズ・ミー」
 中期・「ラバー・ソウル」
 後期・「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
 晩期・「アビー・ロード」

まずアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴いてみます。「プリーズ・プリーズ・ミー」に収録されている曲を聴いてもピンとこないという人は、初期ビートルズの曲は性に合いません。「ウィズ・ザ・ビートルズ」「パスト・マスターズ・Vol1」は聴かないほうがいいです。聴いても無駄です。

次に「ラバー・ソウル」を聴きます。初期のビートルズの曲というのは白黒がはっきりしていて、一度聴けば好きか嫌いかはすぐに判断できます。ところが「ラバー・ソウル」になるとちょっとやっかいです。「ラバー・ソウル」のよさが実感できるようになるには少し時間がかかります。このアルバムを何度も繰り返し聴いていると、あら不思議、自分がビートルズの音の世界に引き込まれていることに気づく日がやってきます。単調なリズムの繰り返しから奇妙な心地よさが伝わってくるようになればしめたものです(何が?)。いくら「ラバー・ソウル」を聴いてもピンとこないという人は人間をやめなさい(うそ)。
「ラバー・ソウル」がどうもよくわからないという人は、「ア・ハード・ディズ・ナイト」「ヘルプ」を聴くのはやめたほうがいいです。期待はずれに終わります。

さらに「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を聴きます。このアルバムが好きになれない人は、「リヴォルヴァー」「マジカル・ミステリー・ツアー」は遠慮しておいたほうがいいです。
ビートルズのアルバムは収録曲の順番も含めてアルバム全体で一つの作品であることを教えてくれたのがこのアルバムでした。実際、ビートルズのアルバムというのは初期のころからすでにトータルアルバムとして構成されていました。漠然と曲が並べてあったわけではありません。
もっとも、どういう曲順で聴いても、繰り返し同じ曲順で聴いていると、そこにある必然が形成されてしまうというのもビートルズ・サウンドの特徴です。「ツイスト・アンド・シャウト」が終わると、どこからともなく「ラヴ・ミー・ドゥ」が聴こえてくるという人がいるはずです(幻聴)。

最後は「アビー・ロード」です。「アビー・ロード」が苦手という人は、これはもうビートルズとは縁のない人です。ジャズでも演歌でもクラシックでも、ビートルズ以外の自分の好きな音楽を聴いてください。
 
 
初期、中期、後期、晩期のすべてのビートルズの曲が楽しめるという人はビートルズ・ファンの資格十分です。全アルバムを買い込んでも損することはありません。全213曲を徹底的に聴きまくりましょう。カバー曲だけを集めて聴いてみたり、ジョージ・ハリスンを特集して聴いてみたり、英国でシングル発売された曲を発売順に聴いてみたり、工夫次第で楽しみ方はいろいろです。

「これは聴かなくてもいいかもしれない」と思うアルバムをあえて選ぶとしたら、「イエロー・サブマリン」「レット・イット・ビー」です。「レット・イット・ビー」がビートルズ最後のアルバムというのはあまりにも悲しいです。「レット・イット・ビー」はなかったことにしてカット、「アビー・ロード」を最後のアルバムにしたいです。「レット・イット・ビー」に収録されている捨てがたい名曲は「パスト・マスターズ・Vol2」にも収録されているので大丈夫です。
アルバム「イエロー・サブマリン」は、ビートルズのクレジットがあれば「イエロー・サブマリン」だって売れる、それを証明してしまったのがこのアルバムです(そんなこと言っちゃいけない?)。

とにかく、「プリーズ・プリーズ・ミー」、「ラバー・ソウル」、「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、「アビー・ロード」、この4枚のアルバムだけはしっかり聴いてほしいです。どうするかはそれからです。

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2011年9月16日 (金)

脚本・坂元裕二の「それでも、生きてゆく」最終回を観る

小説の世界では、読者を突き放した後味の悪い作品が流行っているそうです。日経新聞夕刊(9月14日付)の「ベストセラーの裏側」というコラムでは、沼田まほかるの「九月が永遠に続けば」(新潮文庫)が紹介されていました。発行部数がなんでも11刷31万5千部に達しているとか。

 息子の失踪、愛人の事故死、別れた夫や後妻の影。そして陰惨な過去の事件。様々な要素が盛り込まれた作品だが、最大の特色として関係者が口をそろえるのは「後味の悪さ」。近年、湊かなえ『告白』をはじめ後味の悪い作品が人気を呼ぶ例が目に付く。とってつけたハッピーエンドなどとは異なるリアリティーが読者に受け入れられているのかもしれない。

小説の場合、「人気爆発だ」、「ベストセラーだ」といっても、せいぜい30万部とか50万部の話です。テレビドラマの場合、「とってつけたハッピーエンド」は回避できても、意図的に後味の悪いドラマを作るのはちょっと無理です。テレビドラマがヒット作と呼ばれるためには、最低でも視聴者1000万人(≒視聴率10%)を超えなくてはなりません。もっとも、この1000万人の内訳は、真剣に見ている人10万人、なんとなく見ている人990万人の場合もあるだろうし、真剣に見ている人300万人、なんとなく見ている人700万人の場合もあります。

「それでも、生きてゆく」のように、なんとなく見ている人がほとんど逃げ出してしまうような重苦しいドラマで、平均視聴率9%台というのは、見方によっては大変な快挙といえるかもしれません。
 
 
さて、「それでも、生きてゆく」もいよいよ最終回です。

自首した文哉(風間俊介)は拘置所に移送されました。責任能力ありということで有罪が確定すれば、しばらくは刑務所暮らしです。文哉の逮捕によって、物語的には、被害者家族と加害者家族の嵐の日々はひとまず凪(なぎ)を迎えたといえます。 

その後、洋貴(瑛太)と双葉(満島ひかり)はどうなったでしょうか。

文哉を助けてしまったことを後悔している双葉に洋貴が言いました。

 「(文哉を)殺したら、文哉と同じ人間になるじゃないですか。ぼくは文哉のような人間になりたくないス」

ちょっと待った、洋貴くん。最初に文哉を殺そうとしていたのはあんたじゃないですか。急にまともな人間みたいなこと言い出すなんて、なんだか変です。まあ、ここは双葉のことが好きになって、本気で好きになったら、人殺しからは足を洗いたくなったというふうに解釈しておきます。

 

話は飛びますが、9月15日の「ライオンのごきけんよう」に耕平役の田中圭が出ていました。「それでも、生きてゆく」の番宣です。前日はいろいろ撮影の裏話もしてくれました。田中圭もこのドラマのために頑張りました。最終回はこれまで無視しがちだった洋貴の弟・耕平(田中圭)にも少しスポットを当ててみようと思います。

墓参りのあとで、耕平が呟いたメーテル(「銀河鉄道999」のヒロイン)の言葉というのは、より正確には次のようなものです。

  「その親切な心や、優しさが、いつかきっと鉄郎を、鉄郎自身を助ける事になると思うわ」

 

マンガオタクの耕平はマンガやアニメに出てくる感動的なアフォリズムをよく知っています。中でも印象的だったのは第2話に出てきた「ONE PIECE」のジンベエの言葉です。義兄・エースの死を嘆き悲しんで自暴自棄になっていたルフィに語りかけたジンベエの言葉は、「それでも、生きてゆく」の最終回にこそふさわしい言葉です。

「今は辛かろうがルフィ…!!それらを押し殺せ!!! 失ったものばかり数えるな!!!」

「無いものは無い!!!」

「確認せい!!!お前にまだ 残っておるものは何じゃ!!!」

ジンベエは手を離す。
地面に座り込むルフィ。
じっと自分の手を見つめ、ゆっくりと何かを指折り数える。
再び、涙があふれだす。
先ほどまでとは違う涙が。

「仲間がいるよ!!!」

詳しくは → http://karbozarc301.seesaa.net/article/155318374.html

 
「それでも、生きてゆく」は、生きることの意味を問う重いテーマのドラマでした。大震災後の復旧・復興もままならないこの時期に、こういう深刻なドラマはないだろうという意見もあります。たしかに、今はもっと被災者を勇気づけるような明るく楽しいドラマのほうがふさわしいのかもしれません。しかし、あえてこの時期だからこそ、絶望のどん底からそれでもなお必死に生きようとする人間の姿を描くことに挑戦したのだと思います。

震災で大切な人を亡くして、夜になれば悪夢にうなされるような生活を送っている被災者の時間は、おそらくいまだに止まったままです。これからどうやって生きていけばいいのかわからずに、いまだに絶望のどん底で苦しんでいる被災者は少なくないと思います。ややもすると生きることよりも死ぬことを選びたくなるような被災者を励ますのに、はたして明るく楽しいドラマがふさわしいといえるでしょうか。

第5話で、響子(大竹しのぶ)が15年間の苦しかった心情を吐露するシーンがありました。問わず語りの響子の言葉は、いまだに避難所や仮設住宅で暮らしている希望を失った被災者の心情を代弁しているかのようでした。「それでも、生きてゆく」は、明らかに震災が産んだドラマです。震災直後はあまりの痛ましさに言葉がなかったけれど、今なら少し何かが言えます。その少し何かを言おうとしたのが、この「それでも、生きてゆく」というドラマだと思います。
 
 
最後に、このドラマが訴えていた決定的な教訓をひとつ。

  加害者と加害者家族は別人格である

人間に理性があれば、少なくともこれくらいの認識はあってしかるべきです。「罪を憎んで人を憎まず」とまでは言いません。せめて「加害者を憎んでも加害者家族を憎むのはやめなさい」と言いたいです。それがとんなにふざけた家族に見えてもです。人間の心なんて、外見だけでそう簡単にわかるものではありません。

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2011年9月14日 (水)

「これがビートルズだ」(中山康樹著・講談社現代新書)を読む

この本の中で、中山康樹氏はビートルズのデビュー曲 である「ラヴ・ミー・ドゥ」(62年9月11日録音のアルバム・ヴァージョン)を次のように評しています。

 記念すべきデビュー曲である。だが、それがどうした。凡曲である。凡演である。聴くべきところはほとんどない。

(中略)

 なぜこれが『赤盤』や『ビートルズ1』といったベスト盤の一曲目に入っているのか。みんなこの曲でこけているというのにだ。なにが「ラ~ラミドゥッ」か。ビートルズだから、ましてデビュー曲だからといってありがたがることも自分自身に嘘をつくこともない。この曲をダメと断じる耳があってはじめて他の曲がいかに偉大であるかが理解できるのだ。

(中略)

 いまなお解けない謎は、なぜビートルズがこのような凡曲を望んでデビュー・シングルに選んだのかという真意だ。

おそらくプロデューサーだったジョージ・マーティンはビートルズのデモテープをクラシックやジャスを聴く感覚で聴いていたのだと思います。このプロデューサーはロック・ミュージックはあまり好きではなかったと推測されます。

しかし、どんな凡曲であっても、ビートルズとジョージ・マーティンを結びつけたという意味で、「ラヴ・ミー・ドゥ」はビートルズ史上(?)極めて重要な曲です。もしこの曲がビートルズのレパートリーに入っていなかったら、ビートルズとジョージ・マーティンの出会いはなかったかもしれません。もしビートルズがジョージ・マーティンと出会っていなかったとしたらどうなっていたでしょうか。ジョージ・マーティン抜きでもロック・バンドとしてならビートルズは成功していたかもしれません。しかし、ロック・バンドの域を超えた「ビートルズの不思議な旅」はまずなかったと思います。

ビートルズのデビュー曲が「プリーズ・プリーズ・ミー」でも「シー・ラヴズ・ユー」でもなく「ラヴ・ミー・ドゥ」だったというのは、まさに天の配剤です。

ジョージ・マーティンは「私は最後になって『ラヴ・ミー・ドゥ』を最高の作品として選んだ。この曲に魅力をあたえたのはジョンのハーモニカだった」(『これがビートルズだ』ビリー・シェファード著)

ジョージ・マーティンが決めた1枚目のシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」はコケました。ビートルズが決めた2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」は空前の大ヒットです。これによって、少なくともロック・ミュージックに関する限り、ビートルズとジョージ・マーティンの心理的上下関係が決定しました。ジョージ・マーティンがプロデューサーでありながら、ビートルズのやることにつべこべ言わなくなって、ビートルズのアイディアを最大限尊重する立場に徹するようになったのも「ラヴ・ミー・ドゥ」の失敗があったからです。

ビートルズがアルバムでは実験的な音楽に挑戦しながらシングル盤ではなかなかロックから足を洗えなかったのも、「ラヴ・ミー・ドゥ」の失敗がトラウマになっていたのだと考えられます。なにしろあの「イエスタディ」でさえイギリスではシングル盤はリリースされませんでした。なにもそこまでしなくても(笑)。

石坂敬一は『ビートルズの辞典』(ゴマ・ブックス)の中で「ラヴ・ミー・ドゥ」について次のように述べています。

リフ・フレーズにハモニカを用いたり、節回しに黒人風のネバッコさがあったりで、クリフ・リチャードやヘレン・シャピロ全盛の当時のイギリス・ポップス界にあっては、まるで異色のサウンドを特色としていた。

それでは、当時流行っていたクリフ・リチャードやヘレン・シャピロの曲を聴いてから、その雰囲気の中で「ラヴ・ミー・ドゥ」を聴いてみましょう。

ダイナマイト/クリフ・リチャード & The Shadows


She's Gone/Cliff Richard & The Shadows


I Can't Say No To Your Kiss/ヘレン・シャピロ


Walkin' Back To Happiness/ヘレン・シャピロ


Love Me Do /ビートルズ

1963年1月12日、2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー/アスク・ミー・ホワイ」が発売されました。その直後の2月2日から3月3日まで、計15回にわたる初のイギリス全国公演,が開始されます。もっともコンサートの主役はヘレン・シャピロです。ビートルズは前座にすぎませんでした。ところが、2月中旬すぎからは立場が逆転していつのまにかビートルズがコンサートの主役になっていたとか。

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2011年9月 9日 (金)

脚本・坂元裕二の「それでも、生きてゆく」第10話を観る・後編

双葉(満島ひかり)は文哉(風間俊介)を追って尾道市因島にやってきました。双葉には「因島」というほかに文哉を捜す手がかりは何もありません。文哉が寄りそうな旅館にでも問い合せるつもりだっのでしょうか、双葉は電話ボックスで電話帳を調べていました。

そこへやってきたのは洋貴です。偶然にしては出来すぎていますが、因島は小さな島です。よそものがウロチョロできる場所は限られているのかもしれません。

洋貴は新幹線で双葉を追ってきました。双葉が洋貴のナイフを持ち出したことも双葉が文哉を殺すつもりでいることも知っていました。

双葉は電話ボックスに立てこもって出てこようとしません。しばらくは頑張っていましたが、夏場の電話ボックスの中は蒸し風呂です。汗だくになった双葉がギブアップして出てくるのも時間の問題です。

双葉が決死の覚悟で持ち出したナイフはあっさりと洋貴に取り上げられてしまいました。文哉を見つけてどうするかはともかくとして、洋貴と双葉はいっしょに文哉を捜すことにしました。

洋貴は双葉の知らない情報を知っていました。双葉を生んだ母親の旧姓は「村上」です。駿輔(時任三郎)から教えられた情報です。文哉は母親の生家の村上家を訪ねている可能性が大です。

ところが、因島というところは、昔の村上水軍の末裔が住んでいるところです。いたるところに村上という姓が氾濫しています(だいたい因島の10軒に1軒は表札が村上です)。それでも何とか洋貴と双葉は、文哉が立ち寄った村上家を探し当てました。

文哉は近くの夏祭りに出かけていました。自殺するとも洩らしていました。

双葉は考えました。このまま兄が自殺してくれれば、洋貴が人殺しにならなくてすみます。あの草間ファームの社長さんも喜んでくれます。洋貴の家族も自分の家族もみんな楽になれます。双葉は文哉の自殺を願う自分の気持を率直に洋貴に話しました。

いかなる理由があろうとも人の自殺を願うことは倫理的に許されることではありません。タブーです。こういう本音は普通の人は絶対口にしません。でも、双葉は平気で話してしまいます。双葉は「悪魔の囁き」にも素直です。
 
 
 
夏祭りの会場の近くで、洋貴と双葉は手足をガムテープで縛ってプールに浮かんでいる文哉を発見しました。咄嗟の判断で洋貴はプールに飛び込みました。洋貴は文哉を助けてしまいます。文哉を殺すつもりで持ち歩いていたナイフで文哉を縛っていたガムテープを切りました。殺すつもりだったナイフが文哉を助けるために役立ってしまいました。皮肉なものです。

文哉は水を飲んでいて瀕死の状態でした。それでも洋貴の必死の人工呼吸が功を奏して、寸でのところで文哉は息を吹き返しました。自殺を試みた文哉を助けてしまったからには、あらためて殺すわけにもいきません。困りました。
 

文哉が「腹が減った」とでも言ったのでしょうか、三人は因島の鄙びた大衆食堂にやってきました。洋貴たちのほかに客はいません。食堂の主(あるじ)は、商売そっちのけでテレビの野球中継に熱中しています。この食堂の主は空気を読むことを知りません。洋貴たちの沈んだ気分とは裏腹にあくまでも陽気です。

 

文哉がトイレに行っている隙に双葉が洋貴に訊きました。

 「どうするんですか。どうして助けたんですか。さっきあのまま放っておいたら……」
 「わかんないス。ていうか、自分(双葉のこと)だって……」

たしかに双葉は死にかけている文哉を発見したとき、「ヤダ、ヤダ」と泣き叫んでいました。文哉が自分で死んでくれれば洋貴を人殺しにしなくてすむと言っていたのにです。

 「警察、呼ぶんですか?」
 「……えっ?」
 「……」
 「わかんないス。わかんないスけど、あいつのこと信じてみようかと思って」

文哉がトイレから戻ってきました。洋貴はこれまであったことや、今の率直な自分の気持を伝えようとして必死に文哉に語りかけました。でも、文哉は洋貴の話など聞いていません。

 「ご飯まだかな……お兄ちゃんお腹すいてんだよ」

これが文哉の答えでした。険しくなる洋貴と表情とあまりの情けなさに涙を堪えている双葉が少しは気になったのか、文哉はかたちだけの言葉を並べました。まったく心のこもっていないただの言葉です。

 「自首すればいんだろ。謝ればいいのか……ごめんな、洋貴。双葉、ごめんな」

 
注文したオムライスとマカロニサラダ(ポテトサラダ頼んだのにね)が運ばれてきました。食事をしながら洋貴は突然狂ったように笑い出しました。人間は極限状況に追い込まれるとわけもなく笑いたくなるときがあります。洋貴は哄笑によって文哉から与えられたストレスを解消していたのかもしれません。双葉はどうしたでしょうか。

双葉は、ひとりで行くといって警察署に向った文哉の後姿に、ムラムラと怒りがこみ上げてきました。背後から蹴りを入れると、そのまま文哉に襲いかかって怒りの鉄拳を炸裂させました。驚いて飛び出してきた警察官がとめに入っても双葉の怒りは収まれません。さすがの文哉も正気に戻ってしまいそうな剣幕です。笑ってはいけないシーンなんですが、双葉のあまりのかっこよさに思わず笑ってしまいました……。

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脚本・坂元裕二の「それでも、生きてゆく」第10話を観る・前編

響子(大竹しのぶ)が、遠山隆美(風吹ジュン)とその娘の灯里(福田麻由子)がひっそりと暮らしているアパートにやってきました。何をしにきたのでしょうか。

響子を部屋に招き入れた隆美は、この15年間、殺人事件の加害者家族として、どんな思いで暮らしてきたかを響子に話しました。こういう話を直接響子にできるのはおそらく初めてのことです。

 「あの人(響子)には同情する人がいる。わたしには死ねという人がいる。何の違いがあるのかと思いました。娘が殺されたこと、息子が人を殺したこと、苦しみに……この苦しみに何の違いがあるのかと思いました。あなたのことを憎んで、あなたのことを憎んで今日まで生きてきました。あたしは……身勝手な人でなしです」

隆美は一度は自殺を考えたものの、被害者家族・響子への憎しみを心の支えにしてなんとか生きてきたことを正直に告白しました。響子は隆美の話を聞いて安堵していました。その気持を隆美に話しました。

 「ホッとしました。あなたがこの15年苦しんできたことを知って、今……ホッとしたんです。あたしも人でなしです」

たしかに、人の苦しみや不幸を知ってホッとするというのは人でなしかもしれません。でも、「人の不幸は蜜の味」という格言(?)もあります。人間なんて、しょせんそういう生きものです。ただし、人間にはそういう一面もあるということでそれがすべてではないのもたしかです。真っ白な人がいないかわりに真っ黒な人もいません。みんな中途半端なグレー・ゾーンの人です。

あと、このドラマには封印されているものが二つります。ひとつは人間の自己合理化本能で、もうひとつは人間の忘却力です。自己合理化本能と忘却力によって、人間の心の悩みや苦しみはそのほとんどが時間とともに消えてゆきます。時が解決してくれるのです。しかし、この二つを封印されてしまうと、何年経っても心の傷が癒えることはありません。何年経っても癒えることのない心の傷を抱えてしまったとき、人間はどのようにして生きていけばいいのでしょうか……これがこのドラマのメインテーマです。
 
 
響子は、かつて加害者家族を憎んだり恨んだりしていたときとはだいぶ気持が変ってきたことを隆美に話しました。おそらく、響子が隆美のアパートを訪れたのは、この気持の変化を隆美に伝えたかったからだと思います。

 「あなたたち、許せる日がくるとは今も思いません。ただ……今朝この写真(週刊誌に掲載された加害者家族の写真)見ても、もう昔のような気持にはなりませんでした。不思議な感じを……たぶん、息子が洋貴が双葉ちゃんと会ったときと同じ気持です。あのふたりと同じです。あたしたちは、被害者家族と加害者家族だけ……同じ乗り物に乗っていて……一生降りることはできない……じゃあ、行き先は……いっしょに考えないと」

隆美にとって憎しみの対象だった響子の態度が軟化してきました。思いがけない展開に隆美は狼狽します。こういうのを嬉しい誤算というのでしょうか。

 「やめてください……言わないでください……あたしは、あなたのことを憎んで、憎むことで今日まで生きてきたのに……そんなこと言われたら、そんなこと言われたら……」
 

 
草間ファームの主(あるじ)・草間五郎(小野武彦)は、娘・真岐(佐藤江梨子)の延命治療をできる限り続けるつもりでいました。しかし延命治療には莫大な費用がかかります。場合によっては真岐の延命のために草間ファームを手放さなければいけなくなるかもしれません。

真岐は事件以来こん睡状態が続いています。延命治療を続けたとしても、もう意識が戻ることはありません。草間五郎は悩みに悩んだすえ、「延命治療拒否についての同意書」にサインすることを決断しました。

草間五郎は文哉の父・三崎駿輔(時任三郎)を真岐の病室に連れてきました。

 「今からサインする。父親が娘の命を諦めるところだ。あんた、目をそらさんと、見とけ!」

草間五郎は震える手で「同意書」にサインしました。こんなことになったのはあんた(駿輔)の息子のせいだといわんばかりで、なんともやりきれないシーンです。草間五郎にしてみれば、加害者家族への憎しみをテコにでもしなければ「同意書」にサインができなかったのかもしれません。でも、駿輔の胸中を察するとあまりにも残酷な仕打ちです。草間五郎にも自分と駿輔が同じ乗り物に乗っていることに気づくときが来るのでしょうか……。

 
続きは → http://mugigicat.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-22de.html

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2011年9月 7日 (水)

夏ドラマを楽しもう(もうすぐ終わりだけど)

夏の連続テレビドラマもいよいよ終盤を迎えています。7月はレコーダーが壊れていたため、途中から観はじめたドラマが多いですが、思いつくままに夏ドラマの感想です。

「全開ガール」
新垣結衣ってかわいいね。それはさておき、このドラマにはNHKの「てっぱん」で絵描きの笹井さん役だった神戸浩が若葉(新垣結衣)の父親役で出てきます。「てっぱん」のときは山下清みたいな役だったのでああいうしゃべり方をしていたのだと思っていましたが、なんと「全開ガール」でも同じしゃべり方でした。あのしゃべり方は演技ではなく、神戸浩にとってはあれが普通のしゃべり方でした。そういえば、戦場カメラマンにも似たようなしゃべり方の人がいました。

「花ざかりの君たちへ~イケメン☆パラダイス~2011」
AKB48の「フライングゲット」が発売第一週で100万枚を超えるセールスを記録したそうです。すごいですね。かりに「フライングゲット」のCDを買った人が全員(つまり100万人)が、前田敦子のテレビドラマ「花ざかりの君たちへ」を観たとします。100万人ということはテレビの視聴率としては約1%程度です。
主題歌のCDは100万枚突破、テレビドラマの視聴率は一ケタという珍現象も、老若男女のほとんど全国民がベースとなっているテレビの視聴率の性格を考えると、それほど不思議ではないのかもしれません。
たとえば、少年ジャンプの読者(約300万人)が全員、テレビアニメの「ONE PIECE」を観たとしても、それでも視聴率としては3%程度です(テレビアニメ「ONE PIECE」の実際の視聴率は10%前後)。

「華和家の四姉妹」
貫地谷しほりはモテる役よりも振り返ってくれない男を一途に思い続ける寂しい女の役が似合っています(「龍馬伝」の佐那役のときも龍馬と結ばれることはありませんでした)。桜子(貫地谷しほり)は最後に幸せになれるのでしょうか。
それにしてもこのドラマ、観月ありさがやたらとモテるという設定がどうも気に入りません。竹美(観月ありさ)は、3人の子持ちなのに子どもからお年寄り(?)までありとあらゆる男にモテるんだから参ります。ちなみに、四姉妹の父親役は遠藤憲一で、竹美の二番目の夫は林田さん(田中哲司のこと)です。

「日はまた昇る」
警察学校が舞台の男臭いドラマです。

「チーム・バチスタ3 アリアドネの弾丸」
仲村トオルって、いい雰囲気してますね。ファンになりそうです。「てっぱん」で尾道の和尚さん役だった尾美としのりが左目へ弾丸を撃ち込んで自殺する役で出ています。

「絶対零度~特殊犯罪潜入捜査~」
上戸彩が活躍するサスペンスタッチのドラマです。けっこう面白いです。情報分析係・匠役の木村了もががんばっています。

「ブルドクター」
法医学ドラマと警察ドラマと夫婦ドラマと親子ドラマと恋愛ドラマがごちゃ混ぜになったような大変欲張りなドラマです。

「美男ですね」
滝本美織がドラマの中でお好み焼きを焼いていました。柳沢慎吾も出ています。何だか「てっぱん」の続きをやっているみたいです。
女であることを隠してヒロインが男装で出てくる設定はフジテレビの「花ざかりの君たちへ」と同じです。TBSvsフジテレビというべきか、滝本美織vs前田敦子というべきか、TBSがフジテレビのドラマチックサンデーを潰してやろうと企画したドラマかもしれません(逆かな?)。

「ドン★キホーテ」
「ドン★キホーテ」は今クールで一番笑いの要素が豊富なドラマです。豪放磊落なヤクザの親分(高橋克実)と児童相談所に勤務するひ弱な青年(松田翔太)の魂が入れかわってしまったという設定になっています。この徹底的なくだらなさは「デカワンコ」に味をしめて2匹目のどぜうを狙ったのに違いありません。視聴率的にはイマイチですが高橋克実と松田翔太がいい味出しています。

「IS(アイエス)~男でも女でもない性~」
インターセックスの症状を持つ星野春(福田沙紀)と相原美和子(剛力彩芽)が、悩みながら人間としてどう生きていくかを描いたかなり重たいドラマです。少女マンガっぽいところもありますが、興味本位ではない真面目なドラマです。

注)あるサイトでインターセックスを次のように説明していました。

分野や医者によって見解の違いがあり、決定的な定義はありませんが、米国国立健康研究所による定義では「先天的な生殖系・性器の異常」とされています。より一般的には、外性器・内性器・内分泌系(ホルモン異常など)・そして場合によっては性染色体などが、「普通」とされる「男性」もしくは「女性」と異なる場合、その人はインターセックスであるといいます。具体的な例としては、以下のようなものが挙げられます。

 ●内分泌系の異常によって起きるクリトリス(陰核)の肥大化
 ●外見上の性別が性染色体上の性別(Y染色体があれば男性、なければ女性)とは逆
 ●尿道がペニスの先端ではなくて、下側にある
 ●外見が女性型だが、膣を持たない
 ●性腺が睾丸もしくは卵巣に分化していない、もしくは両方を含む
 ●二次性徴が異常に早い、起きない、あるいは育てられた性とは別の性の特徴を持った二次性徴が起きる

これを見て分かる通り、インターセックスと呼ばれる状態にはさまざまな症状があります。わたしたちがインターセックスをひとまとめにして語るのは、これらの症状が生物学的に似通っているからではなく、これらさまざまな症状を持つひとたちが置かれた社会的状況が似通っているからです。

1950年代以降、先進各国では「インターセックスの子どもは、できるだけ早い時点でノーマルな男性もしくは女性に見えるように外科手術をほどこして、本人には事実を教えないのがその子のためである」とされてきました。そうすることで、インターセックスの身体は病院で「修正」され、その存在自体が社会から隠されています。事実、インターセックスの症状を持つ人たちのほとんどは、普通の男性もしくは女性として社会で生活しています。

詳しくは → http://www.ipdx.org/japan/index.html

 
最後に夏ドラマのおススメ・ベスト3です。

 1.IS(アイエス) ~男でも女でもない性~
 2.チーム・バチスタ3
 3.ドン★キホーテ

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2011年9月 2日 (金)

脚本・坂元裕二の「それでも、生きてゆく」第9話を観る・後編

双葉(満島ひかり)を送り届けて帰路についていた洋貴(瑛太)に、双葉からメールが来ました。

  あにがうちにいます。

双葉は約束どおり、警察に連絡する前に洋貴に連絡してきました。
 
 
遠山家(三崎家)では父親の駿輔(時任三郎)も帰ってきて、気まずい雰囲気の中で家族5人が貧しい食事をしていました。

駿輔は文哉(風間俊介)に自首を勧めます。でも文哉は警察に出頭するつもりはありません。あくまでも逃げるつもりでいます。いっしょに行こうと逃避行に双葉を誘いますが、双葉はきっぱりと拒絶しました。
 
 
双葉からのメールで引き返してきた洋貴が車から降りると、ちょうど文哉が家から出てくるところでした。お互いに気がついた洋貴と文哉は少し離れた距離でしばらく見詰め合っていました。お互いに無言でしたが、異様な洋貴の形相に殺意を感じたのでしょうか、文哉はいきなり全速力で逃げ出しました。

トンネルを抜け、車道を横切り、どこかの配送所に逃げ込んだ文哉は、追いかけてきた洋貴に車の陰からいきなり襲いかかりました。幸いなことに二人とも凶器になるような刃物は持っていません。素手での殴りあいならめったに死ぬことはありません。激しく揉み合った後、壁に頭をぶち当てて先に気を失ってしまったのは洋貴のほうでした。文哉は気絶した洋貴を残したまま立ち去っていきました。

雨宮健二はすでに警察によって指名手配されています。雨宮健二が15年前に三日月湖で少女を殺害した三崎文哉だということが世間に知られれば、三崎家(遠山家)は加害者家族としてまた世間からいじめや嫌がらせの標的にされます。遠山隆美は双葉と灯里を連れて三崎駿輔とは別れて暮らすことにしました。子どもたちのためです。世間からの非難は文哉の父・三崎駿輔がひとりで背負うことになります。
 

反省も謝罪の気持もない文哉のために家族がまた塗炭の苦しみを味わうことになるのかと思うと、双葉はもう耐え切れなかったと思います。双葉はある重大な決意をしました。洋貴から電話がかかってきてももう出ることはありません。
 
双葉はレンタカーを借りると洋貴のところへこっそり冷凍ミカンを届けました。1個だけです。冷凍ミカンは洋貴の好物ですが、夏だから高かったかもしれません。

次に双葉が向ったのは、洋貴とはじめて行ったあのファミりーレストランです。双葉は紙ナプキンに洋貴へのメッセージを書きました。別れの言葉です。

  深見さんへ
  ごめんなさい
  好きでした

  遠山双葉

双葉はレンタカーで広島の因島に向います。因島は双葉と文哉を生んだ母親の故郷です。おそらく文哉も因島に向っています。どうやら双葉は文哉を殺しに行くつもりらしいです。心中かもしれません。「釣船ふかみ」の洋貴の車からはいつも洋貴が携行していたナイフがなくなっていました……。
 

 
 
ドラマ「それでも、生きてゆく」には演出を担当しているディレクター(監督)が3人います。フジテレビの公式HPでこの3人のディレクターのインタビューが紹介されていました。次のようなコメントが印象的です。

並木道子 「みなさんが登場人物になりきって演技して下さっているので演出をしているというのもおこがましいくらいです」

宮本理江子 「演出的にはなるべく余計なことをしないというか…。役者さんたちと一度芝居を作ったら、もうそれを“見守る”ようなスタンスでいたいと思っています」

永山耕三 「キャスティングは、全て制作サイドとして演じて欲しい方にお願いしました」

詳しくは → http://www.fujitv.co.jp/ikiteyuku/spe_interview/index.html

続きは → http://mugigicat.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-00b7.html

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脚本・坂元裕二の「それでも、生きてゆく」第9話を観る・前編

何の理由もなく衝動的に人を殺してしまう人間の心理は、本人でない限り想像によって描く以外に描きようがありません。このドラマの文哉(風間俊介)の場合、いったいどこまでが正気でどこからが狂気なのでしょうか。文哉は、二重人格者のように、正気と狂気の間を揺れ動いています。満月の夜になると血が騒ぐのでしょうか……。

さて、「釣船ふかみ」を出た文哉が遠山家(三崎家)にやってきました。家には隆美(風吹ジュン)と灯里(福田麻由子)の母娘しかいません。

第4話で、

 「この家に、人殺しは入れません」

と拒絶していた隆美の目の前にその「人殺し」が現れました。15年ぶりの再会です。隆美は怯えながらも文哉を招き入れます。文哉は平気で人を殺せる男です。隆美は強盗に入られたよりも怖かったと思います。

文哉は隆美が用意したスリッパを履こうとしません。隆美が来客用のスリッパを出したことが気に入らなかったみたいです。どのツラさげてという気もしますが、文哉にしてみれば、「オレは客じゃない。この家の息子だ」と言いたかったのかもしれません。文哉は警察を恐れています。隆美に家のカギを閉めさせました。

 

少し遅れて、洋貴(瑛太)が双葉(満島ひかり)を家まで送ってきました。双葉は出迎えた隆美に、文哉から連絡がきてないか訊きました。隆美は力なく首を横に振るだけです。ふたりのやり取りを文哉が無言で二階の窓から見詰めていました。双葉を送り届けた洋貴は、文哉には気づかないまま立ち去ってしまいました。

双葉が家に入ると、灯里が「帰ってきた……」と、あまり嬉しくなさそうに言いました。家出中だった双葉は、一瞬自分のことを言われているのかと思って苦笑いしそうになりました。でもすぐに誤解だとわかりました。階段を降りてくる足音がします。双葉の目の前に文哉が現れました。灯里の「帰ってきた」は文哉のことでした。
 
 
15年間の双葉たちの苦労を知らない文哉は言いたい放題です。文哉の頭の中には、昔の生活が豊かだったころの三崎家のイメージしかありません。

 文哉 「狭い家だよな、なあ、狭くないか」
 双葉 「そうかな」
 文哉 「前の家には、お兄ちゃんの部屋も双葉の部屋もあったろ」
 双葉 「しょうがないと思う」
 文哉 「父さんちゃんと働いてんのか」
 双葉 「……クリーニングの配達してる、汗かいて頑張ってる」

双葉は無神経な文哉の態度に段々腹が立ってきます。文哉は双葉の話をまったく聞いていません。話題が急に飛びます。

 文哉 「晩ご飯なに?」
 隆美 「何にしようか。あっ、灯里、何か買ってきてくれる」
 文哉 「あるもんでいいよ」
 隆美 「でも」
 文哉 「だって外出たらその子裏切る(警察に通報する)かもしれないし」
 隆美 「あなたの妹よ」
 文哉 「ぼくが少年院に入れられている間に生まれた子でしょ」

双葉に怒りがこみ上げてきました。

 双葉 「何言ってんの」
 文哉 「何って?」
 双葉 「この15年間……みんがどういう思いで……」
 文哉 「お兄ちゃんのことずっと恨んでいただろ」

文哉のヒガミ根性にとうとう双葉がぶち切れました。

 双葉 「恨んでなんかいなよい!恨んでいないから、家族恨めないから苦しかったんじゃない!!」

隆美がとめようとしても双葉の怒りは収まりません。

 双葉 「なんであんなことしたの。わたしのせいなの……わたし殺せばいいじゃない……もう取り返しがつかないんだよ。わかってんの。お兄ちゃんがやったことは、お金とか物とか奪ったことじゃないんだよ。命だよ。命奪ったら、もう償えないんだよ」

 文哉 「死んだ人はいいよ、死んだ人は死んだらそこで終わりだけど……殺したほうは、殺したほうは生きていかなきゃいけないんだよ。お兄ちゃん、お兄ちゃんかわいそうなんだよ」

人殺しにも三分の理があるのかないのか、「自分で言うな、だったら何で人殺しなんかしたんだ」と言いたくなります。文哉の言い訳は屁理屈にもなっていません。

続きは → http://mugigicat.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-31a1.html

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