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2011年10月13日 (木)

山田風太郎の「あと千回の晩飯」(朝日文庫)を読む

「あと千回の晩飯」は朝日新聞の家庭欄に1994年10月から96年10月にかけて連載されていたエッセイです。タイトルは読んで字の如く、「わが人生で晩飯を食うのもあと千回ぐらいだろう」という意味です。

1994年当時、山田風太郎は72歳でした。「老境に入った人間の身辺や心境を書いてくれ」というリクエストに応えて、まさに老境に入った山田風太郎の身辺や心境が赤裸々に綴られています。人生の第四コーナーを回ってあとはお迎えが来るのを待つばかりといった人におススメのエッセイです。読んでいると、「いずこも同じ秋の夕暮れ」といった感じで何だかホッとします。

 万葉の歌人山上憶良(やまのうえのおくら)にみずからの老いを悲しむ歌がある。
「……四支動かず百節みないたみ、身体はなはだ重く、なほ鈞石(きんせき=おもりのこと)を負へるがごとし。布にかかりて立たむとすれば翼折れたる鳥のごとく、杖によりて歩まんとすれば足跛(な)へたる驢(うさぎうま=ロバのこと)のごとし」
 これを詩人らしいオーバーな表現だと思っていた。事実いまの私がそんな状態だというのではないが、しかし遠からぬうちにそういうことになりそうな予感を、骨や筋肉や内臓の深部から聞いているのである。

このエッセイには山田風太郎が考えたという死のアフォリズムがいろいろ出てきます。

  「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやってくる」

「自分が死んだこともないくせに偉そうに」とツッコミを入れたくなりますが、こういうユーモアのセンスは捨てがたいです(山田風太郎が実際に亡くなったのは2001年)。

こんなのもあります。

  「最愛の人が死んだ夜にも、人間は晩飯を食う」

「あと千回の晩飯」を読んでいると、小説家である前に、山田風太郎という人はどういう人だったのかという興味がわいて来ます(個人的印象としてはどこか水木しげるに似ています)。たとえば、山田風太郎は自己分析をして自分自身を次のように評したりしています。

 幼少時から、ただぼんやり時をすごしていることに何の苦痛も感じない性分であった。 

 (中略)

 生来蒲柳のたち(ほりゅうのたち=からだが弱く病気にかかりやすい体質)が七十歳ごろまで医者にかかったこともないという状態であったのは、ひとえに「したくないことはしない」という横着性のおかげであったにちがいないと私は信じている。

素晴らしいじゃありませんか。こういう人が老境を迎えると次のような悟りの境地(?)に達するみたいです。

 七十を超えて意外だったのは、寂寥とか憂鬱とかを感ぜず、むしろ心身ともに軽やかな風に吹かれているような感じになったことだ。 

要するに「無責任」の年齢にはいった、ということらしい。
 この世は半永久的に続くが、そのなりゆきについて、あと数年の生命しかない人間が、さかしら口にいう資格も権威も必要も効果もない。
 人間この世を去るにあたって、たいていの人が多少とも気にかけるのは遺族の生活のことだろうが、そんな心配は無用のことだ。子孫は子孫でそれなりに生きてゆくし、また七十を過ぎた人間に、死後の子孫の生活の責任までおしつける人間はいないはずだ。
 生きているときでさえ、万事思うようにはいかぬこの世が死後どうなるものではない。
 七十歳を過ぎれば責任ある言動をすることはかえって有害無益だ。
 かくて身辺、軽い風が吹く。

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