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2012年5月 3日 (木)

脚本・尾崎将也の「梅ちゃん先生」・戦後の物価上昇率は?

週にに一回ぐらい「梅ちゃん先生」の感想を書きたいと思います。「梅ちゃん先生」はネットでの評判はボロクソですが、個人的にはけっこう楽しんでいます。辛口の批評をされている方の指摘はいちいちもっともなんですが、それはそれとして、このドラマ、どうも憎めないところがあります。
 

さて、第25回(4/30)です。下村家では梅子の母親が物価の値上りに頭を痛めていました。当時(1946年ころ)は戦後の混乱の中で物価が暴騰したといわれています。どんな感じだったのか、当時の物価動向を調べてみました。

実際に知りたいのは消費者物価ですが、諸般の事情(データが見つからない)から卸売物価を検討することにしました。卸売物価でもおおよそのイメージは掴めると思います。

「これがデフレだ!」(吉野俊彦著・日経ビジネス文庫)の巻末資料に「日本銀行戦前基準全国総合卸売物価指数」という、1901年(明治34年)から2000年(平成12年)までの100年間の卸売物価指数の推移を記録した大変貴重な時系列データが掲載されています。

このデータをもとに、1944年(昭和19年)を1として、1944年以降の卸売物価指数を計算してみました。以下の通りです。

全国総合卸売物価指数(1944年=1)
 1944年     1.0
 1945年     1.5
 1946年     7.0
 1947年    20.8
 1948年    55.2
 1949年    90.0
 1950年   106.4
 1951年   147.7
 1952年   150.6
 1953年   151.6
 1954年   150.6
 1955年   147.9
 
各年の物価上昇率(前年比)を計算すると、概算で以下のようになります。

       物価上昇率
1945年  約 50%  去年100円 → 今年150円
1946年  約3.6倍  去年100円 → 今年460円
1947年  約2.0倍  去年100円 → 今年300円
1948年  約1.7倍  去年100円 → 今年270円
1949年  約 60%  去年100円 → 今年160円
1950年  約 20%  去年100円 → 今年120円
1951年  約 40%  去年100円 → 今年140円
1952年  約  2%  
1953年  約  1%  
1954年  約 ▲1%  
1955年  約 ▲2%  

インフレは戦争中にすでに始まっていました。1936年から1944年までの8年間で物価は約2倍になっています。それでも物価統制令などによって何とか物価の上昇は抑制されていました。それが戦後になるとまるでタガがはずれたように暴騰が始まりました。溜まりに溜まっていたマグマが一気に爆発した感じです。この物価の暴騰は1951年まで続きました。何とか落ち着いたのは1952年になってからです。
 
かりに1944年に100円だった商品があったとします。上記のペースで物価の上昇が続いた場合、この100円の商品は7年後の1951年にはいくらになっているでしょうか?

  答え → 約15000円(約150倍)
 

凄まじいインフレです。しかもこれはあくまでも平均値です。当時の生活実感からすると150倍どころではなかったかもしれません。こうした終戦直後の狂乱物価を思うと、5%の消費税を10%にするとかしないとかで揉めている今の時代というのは何なんでしょうね。

 

さて、以下は「梅ちゃん先生」を観ての雑感です。

●梅子がヤミ市で売ろうとしていた30円の体温計は、現在の貨幣価値でいうと500円から1000円くらいの値段になると思います(あくまでも勘です)。

●梅子の同級生の園田江美(白鳥久美子)は実は秋田の大金持ちのお嬢さんだったというオチかと思っていましたが、残念ながら夏休みなのに帰省する汽車賃もない貧乏な人でした。でも、終戦直後に秋田から娘を上京させて医専に通わせている家庭が貧乏なはずはないのですが……。
 
●こぶ平(林家正蔵)のナレーションはホントに蛇足です。画面を見ていればわかることをいちいち解説するんですね。ナレーションが入るたびに「わかっているから黙っていてくれ」と言いたい気分になります。最近では「また始まった」と思って笑っています。

●片岡鶴太郎は歌もうまいですね。絵心だけでなく歌心もあります。これにはホントにびっくりです。「復興節」のCDでも出せば売れるかもしれません(ムリか?)。
片岡鶴太郎はかつて具志堅用高のモノマネをして「ちょっちゅね」とさかんに言っていたら、本人から「そんなこと言ってない」と怒られたそうです。ところが、サービス精神旺盛な具志堅用高は、鶴太郎のモノマネを逆にモノマネして「ちょっちゅね」と言ってくれるようになったとか。鶴太郎が「ライオンのごきげんよう」でそんな話をしていました。

●「あきらめ節」とか「復興節」とか、昔の古い歌をよく見つけてきたものです。当時(1946年)の人にはよく知られていた懐メロだったのでしょうか。

復興節 ← 関東大震災後に流行った歌です。

 

 

あきらめ節 ← 「蟹工船」のころの歌です。歌詞の中に金解禁(1930)が出てきます。

 

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コメント

梅ちゃん先生への突っ込み、なんか同じような考察でおかしくなりました。お互いに楽しみましょう。

ちなみにリンクをはらせていただきましたが、園田江美は東京から秋田まで37円の汽車賃が払えません。おかしいです。闇市の雑炊10円、ダンパ入場料50円なのに。

投稿: イケてる、モノ・コト | 2012年5月12日 (土) 13時00分

コメントありがとうございます。

たしかに秋田まで37円はいくらなんでも安過ぎですね。ただ当時の物価っていうのはよくわからないところがあります。

「ザ・20世紀」によると、1947年の物価で、国鉄東京~大阪三等が45円になっていました(7月に155円に値上り)。秋田まで37円というのはそれなりに根拠のある運賃なんだと思います。

それにしても、闇市の雑炊が10円で、ダンパの入場料が50円で、東京から秋田までの運賃が37円と言われても困っちゃいますね(もっとも去年は10銭だった闇市の雑炊が半年経ったら100倍に値上りして10円になっていたということは十分考えられます)。

投稿: むぎ | 2012年5月12日 (土) 22時32分

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