2011年10月13日 (木)

山田風太郎の「あと千回の晩飯」(朝日文庫)を読む

「あと千回の晩飯」は朝日新聞の家庭欄に1994年10月から96年10月にかけて連載されていたエッセイです。タイトルは読んで字の如く、「わが人生で晩飯を食うのもあと千回ぐらいだろう」という意味です。

1994年当時、山田風太郎は72歳でした。「老境に入った人間の身辺や心境を書いてくれ」というリクエストに応えて、まさに老境に入った山田風太郎の身辺や心境が赤裸々に綴られています。人生の第四コーナーを回ってあとはお迎えが来るのを待つばかりといった人におススメのエッセイです。読んでいると、「いずこも同じ秋の夕暮れ」といった感じで何だかホッとします。

 万葉の歌人山上憶良(やまのうえのおくら)にみずからの老いを悲しむ歌がある。
「……四支動かず百節みないたみ、身体はなはだ重く、なほ鈞石(きんせき=おもりのこと)を負へるがごとし。布にかかりて立たむとすれば翼折れたる鳥のごとく、杖によりて歩まんとすれば足跛(な)へたる驢(うさぎうま=ロバのこと)のごとし」
 これを詩人らしいオーバーな表現だと思っていた。事実いまの私がそんな状態だというのではないが、しかし遠からぬうちにそういうことになりそうな予感を、骨や筋肉や内臓の深部から聞いているのである。

このエッセイには山田風太郎が考えたという死のアフォリズムがいろいろ出てきます。

  「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやってくる」

「自分が死んだこともないくせに偉そうに」とツッコミを入れたくなりますが、こういうユーモアのセンスは捨てがたいです(山田風太郎が実際に亡くなったのは2001年)。

こんなのもあります。

  「最愛の人が死んだ夜にも、人間は晩飯を食う」

「あと千回の晩飯」を読んでいると、小説家である前に、山田風太郎という人はどういう人だったのかという興味がわいて来ます(個人的印象としてはどこか水木しげるに似ています)。たとえば、山田風太郎は自己分析をして自分自身を次のように評したりしています。

 幼少時から、ただぼんやり時をすごしていることに何の苦痛も感じない性分であった。 

 (中略)

 生来蒲柳のたち(ほりゅうのたち=からだが弱く病気にかかりやすい体質)が七十歳ごろまで医者にかかったこともないという状態であったのは、ひとえに「したくないことはしない」という横着性のおかげであったにちがいないと私は信じている。

素晴らしいじゃありませんか。こういう人が老境を迎えると次のような悟りの境地(?)に達するみたいです。

 七十を超えて意外だったのは、寂寥とか憂鬱とかを感ぜず、むしろ心身ともに軽やかな風に吹かれているような感じになったことだ。 

要するに「無責任」の年齢にはいった、ということらしい。
 この世は半永久的に続くが、そのなりゆきについて、あと数年の生命しかない人間が、さかしら口にいう資格も権威も必要も効果もない。
 人間この世を去るにあたって、たいていの人が多少とも気にかけるのは遺族の生活のことだろうが、そんな心配は無用のことだ。子孫は子孫でそれなりに生きてゆくし、また七十を過ぎた人間に、死後の子孫の生活の責任までおしつける人間はいないはずだ。
 生きているときでさえ、万事思うようにはいかぬこの世が死後どうなるものではない。
 七十歳を過ぎれば責任ある言動をすることはかえって有害無益だ。
 かくて身辺、軽い風が吹く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月30日 (火)

坪内祐三の『ストリートワイズ』(講談社文庫)を読む

毎月文庫の新刊を1冊読むことにしています。何を読むかはそのときの気分で決めます。7月は坪内祐三の『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』を読むことにしました。

この本は、明治の元号と満年齢が一致する慶応三年生まれの七人の評伝を同時進行で進めることによって、明治という時代を立体的に描こうとした大変な労作です。個人的には興味深い本でしたが、いかにも売れそうもない本です。

この坪内祐三という人、大学の先生ではなさそうだし、こんな売れそうもない本ばかり書いていて、ご飯食べていけるのだろうかとちょっと心配になりました。夏目漱石の小説でさえ読まれなくなりつつある現在、こうした本は普通の人はまず読みません。だいたい斎藤緑雨なんてほとんどの人は名前すら知らないと思います。

あえてこういう売れそうもない本を書く坪内祐三とはどういう人なのだろうかと思ってネットで調べたところ、坪内逍遥の曾孫ではなかったですが、いいとこのお坊ちゃん(父親が元日経連専務理事)で、あまり生活には困っていないみたいでした。フリー百科事典のWikipediaでも、(その著作において)「金銭に余裕のある現代のオタクや高等遊民のような側面を見せる」と評されていました。つまり、売れようが売れまいが知ったこっちゃない、自分の興味のあることを徹底的に追及する「旋毛曲り」の人みたいです。

『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』は明治27年8月1日の日清戦争勃発のところで突然終わっています。「あとがき」には次のように書かれていました。

 唐突に思えるかもしれないけれど、いちおう、これはこれで完結したのである。
 私は飽きてしまったのである。

 

先日、新宿のジュンク堂で文庫本の棚を眺めていたら、講談社文庫のところに『ストリートワイズ』という坪内祐三の本があるのを見つけました。奥付をみると、「2009年4月15日第1刷発行」となっていました。つまり売れてないんですね。ジュンク堂だからかろうじて並んでいたもののスペースの限られた普通の街の本屋さんではまずこの本は置いてありません。つい買ってしまいました。
 
 
この『ストリートワイズ』はエッセイ集です。この本を読むと、坪内祐三(1958~)がどのようにして保守反動の重鎮(?)福田恆存(1912~1994)に可愛がられるようになったのか、またどのようにして親子ほども年の離れた文化人類学者・山口昌男(1931~)と親しくなったのかがわかります。

『ストリートワイズ』に収録されている「一九七九年の福田恆存」(追悼文)によれば、学生時代の坪内祐三は、福田恆存が隊長(?)を務めていた現代演劇協会の事務局員の募集(ほとんどタダ働きのアルバイト)に応募して初めて福田恆存に会ったそうです。そのときの印象を次のように述べています(坪内祐三21歳、福田恆存67歳のころです)。

ただ一つ憶えているのは、自分の孫ほどに年の離れた一介の大学生相手に、少しも偉ぶることなく、一人前の会話相手として対等に接してくれた福田さんの姿である。これには驚いたし、感動した。私はそれまで、そういう大人に出会ったことがなかった。

話しているうちに坪内祐三が福田恆存の著作のかなり熱心な読者であるとこが福田恆存に伝わりました。おそらく、その著作で言わんとしていることが正確に坪内祐三に理解されていて、その正確に理解されているということがこれまた正確に福田恆存に伝わったのだと思います。

大思想家だって人の子です。自分の著作の熱心な読者(理解者)が現れればそりゃあ悪い気はしません。しかも相手が学生となれば、いやでも坪内祐三を可愛がりたくなろうというものです(新潮文庫の坪内祐三著・『考える人』によると、坪内祐三の父と福田恆存は知り合いだったらしいです)。

ところで、この福田恆存という人は何を問題にしていた思想家だったのでしょうか。「一九七九年の福田恆存」の中で、坪内祐三は『諸君!』1980年6月号に掲載された「言論の空しさ」という福田恆存の論文に言及して次のように述べています。

 この時期、日本の言論界は、ソビエトのアフガニスタン侵攻、中国の四人組裁判などの影響で、左派いわゆる進歩的文化人、およびそのシンパたちが勢いを失い、右派は、それみたことかと、己の状況分析の正しさを我先にまくしたてていた。先見の明を誇ってよいはずの福田さんは、そういうジャーナリズムの中で居心地の悪さを感じていた。孤立していた。

この「居心地の悪さ」は何に起因するのでしょうか。孫引きになりますが、坪内祐三は福田恆存の「言論の空しさ」から次の箇所を引用しています。

 なるほど平和論批判の時、私(福田恆存)の為に援護射撃してくれる人は殆ど無く、私は村八分にされた、その頃に較べれば確かに世の中は変り、私の様な考へ方(反左翼的考え方)は、「常識」になったとさへ言へる。寧ろ左翼的な「進歩的文化人」の言論の方が村八分にされかねない世の中になった。そして私は二十数年前と同様、厭な世の中だなと憮然としてゐる。その意味では、世の中は少しも変ってゐはしない。

注)福田恆存は頑固一徹の人で最後まで旧仮名遣いをやめませんでした。

1980年当時、何が変ったかといえば、世界情勢の変化によって左翼的言論が流行らなくなり、右翼的言論がもてはやされるようになりました。変わったのはただそれだけです。時代の空気に流されて、自分の頭で物事を考えようとしないジャーナリズムの体質(=根本的欠陥)は、百年一日のごとくまったく変わっていないというのが福田恆存の認識です。

忙しくて考えている暇がないのか、考えていると貧乏神に取りつかれて出世ができなくなるのか、いつの時代でも大半の人は状況に身を任せて深く物事を考えようとはしません。そのほうがが人生楽だからです。「厭な世の中」と言われてしまうと返す言葉がありません。実にすまんことです。
 
 
さて、文化人類学者の山口昌男とは、坪内祐三はどこでどうして知り合いになったのでしょうか。どうやら古本好きという趣味が共通していて意気投合してしまったみたいです。『ストリートワイズ』には、「『月の輪書林古書目録9』を読む」という世にも奇怪なエッセイが収録されています。このエッセイの中で坪内祐三は次のように述べています。

 かなりの読書家で、本については口うるさい私の友人の何人もが、この目録を手にしてしばらくの間、注文したい本のチェックを忘れて読みふけり、この目録の世界にはまってしまったと告白していた……中略……なかでも、その中毒症状が激しかったのは(たぶん私以上に)、ほかならぬ『本の神話学』の著者である山口昌男氏である。山口さんは私に、この目録に目を通したあとで、しばらくは、もうほかの目録を手にする気が起きない、と語った。

古書の目録を読んで感動できるようになれば、読書家としては達人の域に達したといえるのかもしれません。そして、その達人の読書家を感動させる目録が作れる古本屋は、これぞまさしく古本屋の達人です。読書家と古本屋の戦い……世の中にはマニアックな世界があったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月26日 (土)

角田光代の「空の拳」・第64回(3/8)~第67回(3/11)

「空の拳」は日経新聞夕刊に連載中のボクシング小説ですが、東日本大震災の特別紙面のため連載が中断されていました。連載が再開されたのは25日(金)からです。連載中断前は、出版社に勤めている空也が同期会に参加するというお話でした。
 
 
第64回

この小説の第2回に次のような記述があります。

 同期入社したのは七人だが、入社三年目の現在、残っているのは空也を入れて四人である。その四人で、昨日飲みにいった。空也以外の三人はときどきいっしょに飲んでいて、声を掛けられることもあるが空也はいつも断っていた。

空也は同期入社の三人を「ノリが軽くて薄っぺらいことしか言わない、ちゃらけた人種」と見なして無視していました……と思っていたのですが、実はそうではなかったみたいです。どうやら無視されていたのは空也のほうです。
 
 
空也は五歳年下の坂本秀志路と鉄槌ジムで知り合いになりますが、坂本のアパートに泊まるのがうれしくてたまらなかったり(第23回)、坂本から鉄槌ジムの飲み会に誘われてはしゃいだり(第31回)しています。これは会社で同期入社の三人に相手にされず、他に友だちもいなくて寂しかったからです。今思えばそのように考えられます。

空也と同期で入社したメンバーは次の三人です。

 川口弓恵 二十代の働く女性をターゲットにした女性誌に所属。
 江野正  仕事より私生活を重視。何で出版社に就職したのかは不明。
 田中芙美 上司と不倫関係の噂がある。翻訳部署に移動。空也とは少し親しい?
 
 
十月も中旬になり六月の人事異動から四ヶ月が経過しました。いつもなら無視している空也に田中芙美がうっかり声をかけてしまいました。「しまった」と思ったときはもう遅く、同期の食事会に芙美が空也を誘った形になってしまいました。空也は久しぶりに同期会に参加することになりました。

場所は青山のリストランテ(イタリア語でレストランの意)です。空也が得意な(?)居酒屋や焼き鳥屋ではなく、高級レストランです。こういう店は空也にとっては場違いで落ち着きません。ラフな服装だと睨まれたりもします。困ったね。

空也が店に入り席に案内されると、先にきていた川口弓恵と江野正がけげんな顔をして空也を見ました。

「いや、なんかすみませんねえ、いきなりきちゃって」空也は嫌味と自覚しながら言い、
「何言ってんの、同期じゃない、私たち」弓恵がゆったりほほえんだ。

空也は「招かざる客」です。何だか白けた雰囲気になってきました。

 

第65回

七時を少し過ぎてから田中芙美があらわれてメンバーがそろいました。
 
西暦2000年はオーストラリアのシドニーでオリンピックが開催された年です(9/13~10/1)。この大会では女子マラソンの高橋尚子がオリンピック新記録で金メダルを獲得、「最高でも金、最低でも金」と豪語していた柔道の田村亮子(現・谷亮子)もその言葉通り金メダルを獲得しました。

シドニーオリンピックのことなどを話題にしながら、同期の三人が楽しそうにおしゃべりをしています。しかし空也は参加できずに蚊帳の外です。

「クーちゃん、決まった?」芙美に訊かれ、
「いいよ、わかんないから、まかす。きみとおんなじのにして」空也は言ってメニュウをテーブルに置いた。

メニュウにはわけのわからない横文字がやたらと並んでいました。空也は何を注文していいのかわかりません。芙美はうっかり空也に声をかけたようでいて、実は空也を呼んで恥をかかせて楽しんでいるのかもしれません。嫌な性格。でも、これも一種の愛情表現かもしれません。

 気がつくと、三人はレストランと食べものの話ではなく、パスタを食べながら仕事の話をしていた。

だいたいこういうときの仕事の話というのは、自分の有能ぶりをアピールしようと、背伸びをして偉そうなことを言い出すのが通例です。たとえば、さも自分の意見であるかのように、日ごろ先輩から聞かされている話を受け売りしたりします。

 

第66回

二十代の働く女性をターゲットにした女性誌で仕事をしている川口弓恵は、(一般の人には?)聞き慣れないファッション業界のブランド名を並べて、これからは趣味の違いによって雑誌の購買層を設定すべきだという自説(?)を主張しました。弓恵は、あくまでも読者を年齢層で捉えようとしている保守的な会社の編集方針に不満です。これからは年齢の違いがあまり意味をもたなくなるエイジレスの時代になるから頭を切り替えなくてはいけないというのです。

この弓恵の意見に翻訳部署に勤務している田中芙美が賛同しました。芙美は、(一般の人には?)聞きなれない新潮クレスト・ブックスの作品名を並べて、新潮社がいかにいい仕事をしているかを力説します。それに比べて保守的な「わが社」は安定した有名作家でないと翻訳契約にOKが出ません。これでは海外の新進気鋭の作家を発掘して紹介しようとしてもうまくいきません。

営業部でチンタラ仕事をしているはずの江野正も議論に加わってきました。正は、これから流行りそうな電子書籍の話を持出してきて紙の雑誌の将来を憂いてみせました。

焦ったのは空也です。先見的な意見がポンポン出てくる同期入社のメンバーに比べて、空也は旧態依然としたボクシング雑誌で悪戦苦闘しています。まさに保守的で旧弊にとらわれている世界にどっぷりと浸かっているのです。この四ヵ月というもの、ジムに通ったり、ボクシングの試合を観戦したりして、空也は空也なりに一生懸命仕事に取り組んできたつもりでした。しかし気がついてみると、自分だけが同期のメンバーから取り残されている感じになっていました。

沈黙している空也に、「クーちゃんはどう、もう慣れた?」と芙美が声をかけてくれました。

「ま、ジムに入会して、ちょっとは近いところで雑誌を作ろうとぼくは思っているけどね」置いていかれるのはいやだった。まだそんなところにいるのかと思われるのはいやだった。

 

第67回

同じ背伸びをするのでも、空也の背伸びは紋切り型の演説みたいになってしまってスマートさがありません。弓恵や江野は適当に話を合わせながら内心では「やれやれ」と思っています(たぶん)。

芙美が空也の話なんか興味がないと言わんばかりに突然「マルコヴィッチの穴」(1999年に制作されたアメリカ映画。日本では2000年9月23日に公開)という映画に話題を変えてしまいました。

話の腰を折られた空也は、なんだか馬鹿にされたような気分になりました。不愉快になってヤケ酒を煽ったようです。

空也は酔いすぎると記憶を失くすクセがあります。この日もいつのまにか見覚えのないバーのカウンターで芙美と並んで座っていました。空也は、沢木耕太郎の『一瞬の夏』のような一般の読者にも読んでもらえるスポーツノンフィクションを書くんだと、芙美を相手に息巻いていました。ふと気がつくとどうも様子が変です。

「あれ、いつの間に店、変わったの」芙美に訊いた。
「クーちゃん、だいぶ酔ったね、女の子口調になってるもん。さ、帰ろうか」

空也は酔うと記憶を失くすだけでなく酒癖も悪いです。やたらと芙美にからみます。それと、(尾木ママのような)女の子口調になるクセもあるみたいです。これはじめて知りました。そっちの気があるのでしょうか。

普通なら酔いつぶれた空也などほったらかして帰ってしまっても不思議はないのですが、芙美は根が優しいのかもしれません。最後まで空也に付き合ってくれます。「最後まで」といっても変な意味ではありませんよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月10日 (木)

角田光代の「空の拳」・第61回(3/4)~第63回(3/7)

第61回

中神がKO負けしてしまったのがショックだったのか、坂本秀志路にはいつもの明るさや愛想のよさがありません。相当落ち込んでいます。空也が話しかけても、ぶっきら棒な返事しか返ってきません。返事がなかったりもします。坂本は思い詰めたようにリングを見つめています。こういうときはしばらく正気になるまでそっとしておくのがいいです。

空也はもう残りの試合には興味がありません。退屈してきた空也は席を外して売店に出かけました。

売店に行くと、短い列に立花が並んでいた。その後に空也は並ぶ。
「残念だったね」立花に言うと、
「そっすね」さほど興味もなさげに言い、商品名の書かれた頭上のボードを眺めている。

立花はコーヒー牛乳とたこ焼きを買っていました。コーヒー牛乳とたこ焼きの組み合わせというのはごく普通なんでしょうか。いかにも不味そうです。立花は味覚障害ではなかろうか。

いつもなら立花は空也を避けてさっさと席に戻ってしまうのですが、このときは空也が買い物を済ませるのを待っていました。珍しく立花の方から何か訊きたいことがあったようです。

 

第62回

立花の前に並んでいた人がブラックカードを持っていました。立花はセレブが持っているブラックカードと多重債務者のブラックリストを勘違いしていて、ブラックカードを持っていた人を破産した人だと思い込んでいました。

空也がブラックカードとブラックリストの違いを説明すると、立花は自分の勘違いに気がついたらしく、なんだか落胆した様子です。

「なーんだ、はじめて破産した人を間近で見たと思ったんだけどなあ」ぼやくように言いながら、会場に戻ろうとする。

どうしてここで「破産した人」の話が出てくるのかわかりません。何かの伏線でしょうか。

 

第63回

 打ち上げ、というよりも、有志が残って残念会があった。立花も中神母もおらず、有田と林、丸尾夫妻に坂本、あとはジムの練習生四人が居酒屋の座卓を囲んでいる。

残念会というのは、負けた本人が気を遣って、落ち込んでいる周囲の人を励ます会になってしまうのが通例です。周囲が気にするほど(自分の実力を知っている?)負けた本人は落ち込んではいないものです。

中神の話によると、今日は腹をこわしていて体調がよくなかったとのことです。

「いや、昨日測定のあと、馬鹿食いしちゃって」中神が笑いながら答え、何か空也は違和感を覚える。何に対しての違和なのか、わからないながら、しかし何か、小石の入った靴に足を通したような、飲み込んだ味噌汁に髪の毛が入っていたような、そんな感触が空也の内に残る。

空也としては、中神がヘラヘラ笑っているその場の雰囲気にウソのにおいを感じたのでしょうか?この違和感というのが何なのかよくわかりません。

「馬鹿食いなんかするなよ」ずっと黙っていた坂本が、安心したように、笑う。

この一行もわかりにくいです。もしこの箇所が入試問題として出題されたとします。次のような設問にどう答えますか?

 問1. なぜ坂本はずっと黙っていたのでしょうか?
 問2. なぜ坂本は安心したように笑ったのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月 4日 (金)

角田光代の「空の拳」・第56回(2/26)~第60回(3/3)

第56回

いよいよ10月13日(金)がやってきました。この日のメインイベントは日本スーパー・ライト級タイトルマッチです。バンタム級の中神真の試合は全六試合の二試合目です。

プロボクサーのライセンスには、A級(八回戦)、B級(六回戦)、C級(四回戦)の区別があります。アマチュアで実績のある選手を除けば普通はC級からスタートです。C級で四勝(引き分けは1/2勝)するとB級に進み、B級で二勝(引き分けは1/2勝)するとA級に進めます。中神真のこれまでの戦績は九戦五勝二KOです。つまり今日の試合に勝てばA級ボクサーになれます。A級ボクサーになれば、八回戦、十回戦、十二回戦の試合に出場することができるようになります。いわば一人前(?)のプロボクサーです。今日の試合は中神にとってA級ライセンスのかかった大切な試合です。

チケットは二枚買ったが、倉田真喜にも橋爪雅人にも断られ、鹿野もべつの仕事があるとかで、(空也は)ひとりでの観戦になった。

倉田も橋爪ももともとボクシングに興味があるわけではなく、自分の担当している選手の試合を義務的に見ることはあっても、自分に関係のない選手の試合までわざわざ観戦に来たりしません。せっかく買ったS席なのに空也の隣りは空席になってしまいました。空也の隣りに限らずこの日の会場は空席が目立っていました。
 
 
第57回

空也は隣の空いている席を観戦に来ていた立花に勧めましたが、立花は遠慮して自由席にいってしまいました。立花は悪役キャラだから好青年なのがバレてしまうとまずいのです。トレーナーの有田から取材記者(空也のこと)と親しくしないようにと言われているのだと思います。

立花のかわりにやってきたのは坂本です。坂本は勧められたわけではないのに空也の隣りに座ってしまいました。「(チケットは持ってないけど)どうせ空いているんだから近くで見たい」というのが坂本の言い分です。坂本は遠慮深い立花とは対照的にちゃっかりしています(社会人になったら出世するタイプかもしれません)。

中神のバンタム級は二試合目である。照明の落ちた会場にストーンズの「サティスファクション」が流れ、有田と林、丸尾剣を従えて中神が登場する。

中神のような地味な(?)ボクサーでも入場曲は気分を高揚させてくれる派手な曲がいいです。ストーンズの「サティスファクション」は悪くないと思います。
 
1990年にローリング・ストーンズが初来日したときの映像です。

 

第58回

ゴングが鳴り、両者がグローブを合わせて試合がはじまる。どちらも相手を見定めるかのごとく、軽いジャブの応酬が続く。ときどき双方、ストレートやフックを出すが、決定打はないまま試合は続く。

中神の対戦相手は、二十五歳でこれまでの戦績が十戦四勝一KOということはわかっています。しかし名前がわかりません。読者に名前を教えないまま試合がはじまってしまいました(わざとか?)。

「なにちんたらやってるーッ」ひときは大きな、しかも女性の野次が飛び、空也は思わずあたりを見まわす。

さかんに野次を飛ばしているのは興奮した中年女性(五十歳ぐらいか?)です。この人、中神の母親でした。坂本は中神の母親とも知り合いみたいです。

一ラウンドは、強力な打ち合いがないままに静かに終了しました。そして、第二ラウンドのゴングが鳴ります。
 
 
第59回

リーチが長い相手の選手はジャブで牽制しながら、自分のパンチだけが当たる距離を保って戦おうとしています。中神としてはなんとか懐に潜り込んで接近戦に持ち込みたいところです。しかし、なかなか思うようなボクシングをさせてもらえません。

 近づこうとすると相手のパンチを受けてしまう。隙をつこうとしているのになかなか隙が生まれない。中神がジリジリしているのが空也にもわかった。

二ラウンドが終了して、三ラウンド目に入ると激しい打ち合いになりました。やがて中神真はロープに追い詰められ相手の執拗な猛ラッシュを浴びて防戦いっぽうになります。

いけいけ、KOしろっ、今だ今ー、まだいけるまだいける、さまざまな声がわき上がり、真ーッ、真ーッ、真ーッ、たえろ真ーッ、中神の母の声がひときわ大きく響き渡る。

 

第60回

三ラウンドは何とか持ちこたえた中神でしたが、四ラウンド目にはすでに戦意を喪失していました。相手のボディ攻撃をまともにくらってダウン、レフリーストップで試合終了です。

「たぶん三ラウンド目のラッシュで、そうとうボディもらったんだと思う。四ラウンド目で、とどめの一発をもらったというより、限界がきたんじゃないかな」坂本はリングをおりる中神を見つめて言い、「と、思います」とつけ加えた。

集団で応援に来ていた中神の母親は、真が負けるのにはもう慣れているみたいで試合後はいたって冷静でした。

中神母は笑顔で周囲の人々に頭を下げ、彼らも笑顔で彼女の背をたたいたり、うなずいたりし、あっという間に彼らは去る。そこだけぽっかりと席が空いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月28日 (月)

角田光代の「空の拳」・第51回(2/21)~第55回(2/25)

第51回

7月に初めて生の試合を観戦した時、空也は興奮して訳もわからず洟をたらして泣いていました。そんな空也も、地味で模範演技のようなボクシングには退屈を感じるようになっていました。生意気になったものです。

お互いに相手を倒すつもりで(殺すつもりで?)激しく打ち合っているボクシングと、テクニックは優れていても適当にポイントを稼いで判定に持ち込もうとしているボクシングとでは迫力が違います。目が慣れてくるとその迫力の違いを感じるようになります。
 

第52回

 新人王準決勝を二日続けて見た翌土曜、十時過ぎに起きた空也は残りもので炒飯とスープの朝食兼昼食をすませ、そそくさとジムにいく用意をした。なんだか急に強くなったような気がしていた。

タイガー立花の試合が空也に勇気を与えてくれました。「よし、ボクも頑張ろう!!」という気になったようです。空也はこれまでジム共用のグローブを借りていましたが、一大決心をして自分専用のグローブを買うことにしました。グローブはジムで売っているらしいです(まいど)。
 
 
第53回

鉄槌ジムの事務所では、立花と有田と丸尾夫妻の4人が、立花の試合のビデオを見ていました。新人王決定戦も決勝になるとテレビ中継があるらしいですが、一昨日の試合はまだ準決勝です。有田たちが見ていたのはテレビ中継の録画ではなく独自に撮影したビデオです。

事務所に顔を出した空也はいっしょにビデオを見せてもらいました。スローで観ると空也にも試合の細かい展開が理解できます。

有田が指摘する立花の弱点は、「スタミナがないことと、ボディと首」です。決勝戦に向けて効果的な練習メニュウを考えるのはトレーナーの有田の仕事です。おそらく決勝戦の相手の選手も立花のボクシングを徹底的に研究してくるはずです。ボクシングはトレーナーと選手がタッグを組んだ知恵と技術の総力戦ですね。
 
 
第54回

空也は立花のビデオに気を取られてグローブを買うのを忘れてしまいました。帰りは坂本といっしょです。坂本の友人の中神はもうすぐ試合だというのに練習に来ていません。生活費を稼がなくてはいけないのでバイトです。空也は坂本に誘われて中神が働いているバイト先の居酒屋に行くことにしました。ジムの近くです。

坂本と中神は仲が良すぎるので有田からはホモだちではないかと疑われています。ホモだちというのは冗談だと思いますが、仲のいい双子の兄弟みたいな感じです。空也はなぜかこの二人とは気が合います。
 
 
第55回

中神は居酒屋の店名の書かれた黒いトレーナーを着て元気に働いていました。試合が近いというのにバイトをしなくてはいけないのは気の毒ですが、中神自身はいつも明るく笑顔です。空也と坂本がビールとつまみを注文すると、頼んでいない鉄鍋餃子をサービスしてくれました。サービス精神も旺盛です。

試合を控えている中神の様子について緊張していないかどうか、空也が坂本に訊くと、中神のことをよく知っている坂本は次のように答えました。

「うーんどうだろう、あいつは気、つかうから、よくわかんないですよね。ほら、ぴりぴりしているとみんなナーバスになっちゃうから、そういうのいやなんだ、あいつは。だからもしかして緊張してるのかもしれないけど、してないふりすると思う」

中神は自分の気持を抑えて周囲に気を遣うタイプの人みたいです。目立つのが苦手で遠慮がちの人生が好きなんですね、たぶん。

「中神くん、勝つといいねえ」気がつくと空也はそんなことを言っていた。
「だいじょうぶですよ、ぜったい」坂本が言う。
 十一時に中神の姿はフロアから消えて、十分後、ジャージ姿であらわれた。会計をすませていっしょに外に出ると、これからロードワークがわりに走って次のバイト先までいくと中神は言う。遠ざかる背中を空也は坂本と並んで見送った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月21日 (月)

角田光代の「空の拳」・第44回(2/12)~第50回(2/19)

第44回

空也はなんとか有田正宗のいないところで立花望と話がしたいと考えて、隙を狙って立花と二人だけで話す機会をつくりました。それでも立花は有田から何か言われているらしく、何を訊いても言葉少なにあいまいな返事しかしてもらえません。鉄槌ジムはタイガー立花を傲慢不遜の悪役キャラとして売り出そうとしているみたいです。そんなときに、「タイガー立花は好青年である」みたいな記事を空也に書かれては困るのです(たぶん)。

 

第45回

 新人王準決勝戦の直前に二度目の校了があった。八月末に大阪で行われたWBCスーパー・フライ級の世界タイトルマッチが巻頭を飾った。担当は橋爪雅人、記事を書いたのはスポーツライターである。

このスーパーフライ級の世界タイトルマッチは、2000年8月27日に大阪府立体育会館で行われたチャンピオン曺仁柱(チョ・インジュ)と徳山昌守の試合です。結果は12回判定勝ちで徳山昌守が王座を奪取しています。その後、徳山は8度の防衛に成功していて、連続防衛8回は、日本ジム所属の選手としては、歴代4位の記録です。なお、徳山昌守は在日朝鮮人3世です。

徳山は通名(徳山昌守)を通しつつ、出自と本名(在日朝鮮人・洪昌守)を隠していない。

また、リング上で統一旗を振ったり、トランクスに「ONE KOREA」と刺繍するなどの徳山の行動が「政治パフォーマンス」ととられ、コリアンにおける旧来の対立構図、すなわち「北朝鮮 vs 韓国」、あるいは「コリアン vs 日本人」を越えているなどという主張がある。これらをもって、徳山を新世代の在日韓国・朝鮮人における象徴的存在として支持するファンもいる一方で、「スポーツに政治を持ち込んでいる」と批判的な意見もある。

前述したことに加え、2002年9月17日の小泉純一郎総理大臣の北朝鮮訪問をきっかけに、北朝鮮による日本人拉致問題に関する話題が日本の各メディアによって報道された。結果、北朝鮮を擁護し続けてきた自身の公式サイトの掲示板に批判的な書き込みが頻発し、一時閉鎖した経緯がある。

また北朝鮮郵政当局は、2002年に徳山によるタイトル奪取を機に記念切手(小型シート)を発行しており、北朝鮮もまた「祖国の英雄」の扱いをしていたともいえる。なお、小型シートの余白にある楽譜は前述の「海岸砲兵の歌」と思われる。

詳しくは → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B1%B1%E6%98%8C%E5%AE%88

空也も準々決勝戦の記事を書いたのですが、空也の文章は「(表現が)暑苦しい」ということで、鹿野編集長によって勝手に削られたり表現を変えられたりしてしまいました。せっかく書いた空也にしてみれば心外だったかもしれませんが、前号のときのように「書き直せ」と怒鳴られなかっただけ進歩したといえます。
 

第46回

準決勝が迫っているというのになぜか鉄槌ジムには緊張感がありません。空也が担当している他のジムは、「通う足が重くなるほど毎日緊張感が満ち満ちて」いたり、そうかと思えば弱小ジムで人数が少ないため、「準決勝に出る選手のプレッシャーが狭いジムいっぱいに伝染していて、全体的にぴりぴりして」いたりで、その雰囲気はのんびりした鉄槌ジムとはまるで違います。

何が勝利の条件なのかわからない空也には、はりつめた空気もそれを左右するようにどうしても感じてしまう。だから、エアロバイクを漕ぎながら談笑する立花や、インターバルにリング下の練習生と軽口を交わしている中神を見て、オイオイ大丈夫かよ、と思ってしまうのだった。

 

第47回~第50回

第47回から第50回までは、新人王戦準決勝です。マンガだと1試合の打ち合いが延々と数週間に渡って描かれていても読者は熱中して読んでくれます。小説だとさすがにそういうわけにはいかないかもしれません。でも、ものは試しです。実験的に1試合の打ち合いを数十ページに渡って描写してみるのもいいかもしれません。読者がいい加減にしろと怒り出すまで。

 新人王戦準決勝は九月二十八日と二十九日だった。二十八日、空也は鹿野編集長と会場で落ち合い、リング真下の取材者席に着いた。倉田真喜は今日はこず、橋爪雅人が遅れてくるそうである。

タイガー立花の試合は九試合目でしたが、八試合目の最中にやっと橋爪雅人がやってきました(橋爪雅人はいつも暇なはずなのに何をしていたのでしょうか?)。

試合は2ラウンドタイガー立花のKO勝ちでした。

「今、最後はアッパーでしたよね」空也は鹿野に確認してみた。
「アッパーときてフックだね、フックが入った」鹿野はリングを見上げたまま、言った。
「ちょっとお茶目な選手なんだね、彼」鹿野越しに橋爪が顔を出し、にっこり笑っていった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月14日 (月)

角田光代の「空の拳」・第43回(2/10)まで

映画「あしたのジョー」は大好評公開中だし、プロボクシングでは井岡一翔が日本選手最短のプロ7戦目でWBC世界ミニマム級のチャンピオンになりました。このところ久しぶりに(?)巷ではボクシングの話題が盛り上がっています。でも、日経新聞夕刊に連載中のボクシング小説「空の拳」はなかなかエンジンがかかりません。

やはり映像表現のできない小説でボクシングの魅力を伝えるのは難しいのかもしれない……などと考えながら「空の拳」を読んでいます。
 
 
さて、空也はタイガー立花に話を聞こうとしても、トレーナーの有田のガードが固くてなかなか思うような取材ができません。それではということで、空也は立花の対戦相手だった大塚ジムの矢部龍也から話を聞こうと考えました。

大塚ジムを担当しているのは先輩の倉田真喜です。空也は倉田真喜に頼んでいっしょに大塚ジムに連れて行ってもらいました。空也に言わせると、倉田真喜はオカン系ということで、母性本能を刺激して甘えれば人間関係がうまくいくらしいです。よくいえば聖母マリア(?)、悪くいえば醜女の深情け(?)のような人です。

大塚ジムは鉄槌ジムの和気藹々とした雰囲気とは違って、プロボクサーを養成するための本格的な(?)ボクシングジムです。このジムには、いつもはスカート姿の倉田真喜も女刑事(?)のようなパンツスーツで出入りしています。

空也は倉田真喜といっしょにしばらく練習風景を眺めていましたが、やがてジャージ姿の矢部龍也が現れました。矢部がバンテージを巻き始めたため、空也は話しかけようかどうしようか迷っていると、倉田真喜から「(矢部龍也は)すぐ練習に入るだろうから、(話しかけるなら)今のほうがいいと思うけど」と言われました。空也は意を決して矢部に話しかけました。

まず名刺を渡して自己紹介してから、先日の試合のことや対戦相手のタイガー立花についていろいろ訊いてみました。矢部は笑顔がさわやかな好青年です。しかし、空也の質問の仕方が悪いのか、矢部にサービス精神が足りないのか、矢部の答えはどうも要領を得ません。何だか禅問答みたいになってしまいました。

矢部はこれから練習のため、空也もあまり長くは話しかけられません。

「また見学にきてもいい?」空也は質問を終えるべく、訊いた。
「はい、もちろん」矢部は最初に見せたさわやかな笑顔で即答した。

練習が終わってからいろいろ話をして「また見学にきてもいい?」と訊くならわかります。でも、これから練習を始めようとしている矢部龍也に「また見学にきてもいい?」って訊いておいて、矢部が練習に入ったら空也は帰ってしまうんですよ、きっと。倉田真喜が、練習前に話しかけたほうがいいと言ったのも、矢部の練習が終わるまで待っているつもりはなかったからです。
 
大塚ジムを訪問した翌日、空也が鉄槌ジムにいくと、有田から中神の試合が決まったと知らされました。空也はチケットを二枚買いました。一枚は倉田真喜の分になりそうです。中神の試合は10月13日、東日本新人王準決勝の2週間後です。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年2月 7日 (月)

角田光代の「空の拳」・第37回(2/3)まで

 試合観戦の二日後、仕事を終えて空也がジムにいくと、すでに立花望はリングでシャドーをしていた。はじめての試合観戦で、文字どおり泣くほど興奮した空也にとって、試合などなかったかのようないつも通りのジムの風景は、なんだかもの足りなかった。

試合観戦の二日後といえば8月25日です。25日はサラリーマンにとっては給料日です。給料泥棒(?)の空也にも8月分の給料が振り込まれているはずです。練習後、空也は立花望といろいろ話がしたいと思って、望を食事に誘いました。もちろん空也のおごりです。

横で話を聞いていたトレーナーの有田正宗が、望と空也を二人だけにしてはまずいと思ったのか、「おれもいっしょにいく」と言い出しました。有田は空也の書く原稿をチェックしたがっているし、どうもなにかよからぬこと(?)をたくらんでいるみたいです。

早稲田通り(勝手に決めた)の料金の異様に安い焼肉屋で空也と有田と望の三人は七輪を囲みました。給料日なんだからもっと豪華なところに招待すればいいのにね。せめてしゃぶしゃぶにすればよかったのに(空也はケチです)。

空也が望に何を訊いても答えるのは有田でした。有田は望の経歴から鉄槌ジムに入会した経緯まで、立て板に水のごとくしゃべりまくります。望にはしゃべらそうとしません。望はただあいまいに笑っているだけです。

有田正宗の話しによると、立花望は1974年9月生まれの25歳、四国の愛媛県出身で高校卒業後上京して二年前の夏から鉄槌ジムに通うようになったとのことです。ボクシングにはなぜか少年院がつきものですが、立花望も少年院に入っていた経験があるらしいです(真偽の程は定かではない)。

立花望は、大阪弁特有の「~やから」という話し方をします。明らかに関西人です。愛媛県出身というのは怪しいです。作者の設定ミスでなければ、この矛盾は有田正宗がウソをついていることを示唆しています。

空也は立花とは直接話をさせてもらえずに有田に煙にまかれてしまった感じです。何だか釈然としないまま空也は帰路に着きました。

善良な小市民(?)の空也からすれば、立花望は犯罪の臭いのする別世界を生きてきた人間です。空也は取材云々とは関係なく立花のことをもっと知りたいという好奇心を抱くようになりました。そして、立花望にたいする好奇心が強くなれば強くなるほど、空也は、得体の知れない世界に近づいているのではないかという、恐怖とも不安ともつかない不思議な感覚にとらわれるのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月31日 (月)

角田光代の「空の拳」・第33回(1/29)まで

「あいつ、わざと連打させてカンガルーパンチしやがった、いやまぐれか?」鹿野はつぶやき、「へっ、カンガルー?」空也は訊くが、それには答えない。

カンガルーパンチというのは、ロープに追い詰められたときにロープの反動を利用して放つパンチです(たぶん)。いかにも威力がありそうです。タイガー立花は、1ラウンドのもたつきがウソのように、2ラウンドでKO勝ちしました。

 立花は相手方のトレーナーにも矢部にも挨拶することもなく、会場全体をねめつけるように見渡して中指を立て、威嚇するように顔をしかめてリングを下り、さっさと帰っていった。

タイガー立花は自分の実力をひけらかしている傲慢で生意気なボクサーを意識的に演じているようにみえます。もっとも、スポーツというのは実力がすべてのところがあります。あらゆるマイナス要素を一発のパンチでプラスに変えてしまうこともできます。なにはともあれ、空也は華のあるタイガー立花のボクシングにすっかり魅了されてしまったようです。

 

七時を少し過ぎてすべての試合が終わりました。空也は鹿野編集長の飲みにいくかという誘いを断って、鉄槌ジムの控え室に挨拶しにいくことにしました。

「そういえば、クーちゃんってジム通いはじめたんでしょ?すごいわねえ。本気で記事書くのねえ」帰り支度をしながら倉田真喜が言う。

空也は編集部には内緒で鉄槌ジムに通っていたはずなんですが、なぜか倉田真喜はそのことを知っていました。やっぱり内緒だと思っていたのは本人だけだったみたいです。

空也は鹿野編集長と倉田真喜を見送ってから控え室に向かいました。通路も控え室も人でごった返していました。1人では心細かったのか、だれか知っている人はいないかとキョロキョロあたりを見回していると、背後から坂本と中神に声をかれられました。

「なんか飲みにいくみたいですよ。いきますよね」坂本が言う。
「いくいく、っていうか。ぼくもいっていいのかな、いいんだよね」
 空也ははしゃいで言った。

どうやら鉄槌ジムの懇親会(?)があるみたいです。同じ飲み会でも鹿野編集長とは御免だけど絡まれる恐れのない坂本や中神となら空也も大歓迎みたいです。

 

空也の意識の中ではすでにタイガー立花がアイドルスター並の存在になっていました。鉄槌ジムの懇親会に参加すればタイガー立花を身近で見ることができます。雑誌の編集者という立場で親しく言葉を交すチャンスだってあるかもしれません。

 

タイガー立花はリング上の派手で憎々しげなパフォーマンスとは裏腹に、普段はマナーをわきまえた明るい好青年です。おっかない悪人みたいでいて実は優しい……女性はこういうギャップに弱いものです。それにタイガー立花はボクサーには珍しくまともな顔をしています。

空也にそういう趣味があるのかどうかわかりませんが、空也がタイガー立花を見ている視線は明らかに女性のそれです。やたらと身体に触りたがるし……まあ、タイガー立花は男が惚れるいい男ということにしておきます。

 ようやく空也が立花と話すことができたのは、十一時すぎ、座敷を埋めていた三分の二ほどの人が帰ったあとだった。

空也は雑誌の編集者というよりもまるで熱烈なファンであるかのように立花望に語りかけていました。

「あのさ、新人王まで望くんを追いかけてもいいかな?ほくさ、新人王の決定戦のあとで、ばーんときみの特集記事書きたいって今日思ったんだよね、許可出るかわかんないけど、でも、出るっていうか出させるよ。だからこれからきみの試合はぼくぜんぶ見る!」

立花は関西の出身なのか言葉に少し関西弁のなまりがあります。空也が酔った勢いで熱く語りかけるもんだから、ニコニコしながらもやや困惑気味です。

「何言ってるんですか、新人王だなんて、これから準決勝もあるし、まだマジ新人やから」

ふたりのやりとりを聞いていたトレーナーの有田正宗が空也と立花のあいだにわりこんできました。

「立花のこと、今日の試合も含めてなんか書くんだよね?そしたらさ、できるだけ悪く書いてよ。すっごい態度悪い生意気な糞野郎なんだよ、こいつの正体は」

ボクシングも選手の背景に何か物語があったほうが盛り上がります。どうやら鉄槌ジムはタイガー立花をふてぶてしい悪役として売り出そうとしているみたいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧